不在(4)
終業を告げる鐘の音が響く。
老講師に終礼を告げ、学生一同、思い思いの行動を取り出す。喚き出した腹の虫を抑えながら、アキラも鞄を携え席を立った。
「アルミナ様」
何人かの女子生徒がアルミナの元へと集まる。
「放課後も、練習に同席しても良いでしょうか?」
「構いません」
女子生徒の問いにアルミナは微笑みを浮かべながら返す。その様子を、セレスはただ見つめているだけだった。
「ところでアルミナ様。今度の会合は」
「もう。それについては先程もお聞きしたでしょう」
「その事については」
零下の声が響く。
「出席は、少し考えさせてもらおうと思っているの。とても残念な事なのだけれど」
アルミナは目を細める。「残念」というよりは「怒り」の滲んだ眼差しだった。令嬢達はアルミナの気迫に気圧されたのか、二の句を告げられないでいる。
ふと、アルミナは眼差しに滲んだ「怒り」を鎮める。穏やかな笑顔を再び浮かべ、令嬢達に声をかけた。
「本当に……都合が悪いの。申し訳ないわ。スペサルティン卿になんとお伝えすれば良いのか」
「まあ」
「もしかして、御家業の都合なのかしら」
「大丈夫。スペサルティン卿は、きちんと説明をしたら快く許してくださるわ」
アルミナを宥めるように、口々に言葉が並べ立てられる。その度にアルミナは、表情に暗いものを湛えていった。
首を突っ込むわけにはいかない。気配を消すように、教室を出ようとする。その後を、音もなくセレスもついて来た。
廊下で呼び止められ、小声でセレスに話しかけられる。
「帰る?」
「うん。ちょっと、気になる事があって……」
アルミナの放課後練習に付き合えない事を詫びつつ、用事がある事を告げる。もっとも、用事といっても午後の講義の合間に思いついた事だ。
「セレスに質問」
「どうしたの改まって。まあ、どうぞ」
「連絡もなしにお見舞いに行くのって、無作法?」
アキラの問いに令嬢は少しだけ目を丸くする。答えの前に、確認の問いが返ってくる。
「リシアのお見舞い?」
「うん」
「先に言伝を送るのが正しいやり方ではあるけど……スフェーン卿やウルツ氏なら、歓迎してくれると思う。持っていく物はお茶や花が定番かしら」
セレスの言葉をしっかりと覚える。
「ありがとう」
「もっとも、本当に体調不良かとかは、詳しい話を聞いていないからわからないけど」
次いでセレスの告げた言葉に強張る。しかしすぐに、気遣うような言葉が返って来た。
「でも、あなたが相手ならリシアも話してくれるはず」
いってらっしゃい、とセレスは告げる。会釈と手を振り返して、アキラは昇降口へと向かった。
道すがら、菫青茶房で茶葉を買う。「本物」の茶葉ではないが、どんな薬や食事とも合わせる事ができる。一番値段の高い品、は流石に買えなかったので一つ下の値段のものを奮発して買い、包んでもらう。花の分の金は無くなってしまったが、大切に抱えてスフェーン邸へと向かう。
坂を登り、エラキスを一望する。改めて立地や佇まいを見ると、スフェーン邸はかなりの規模だ。迷宮科に所属する貴族子女への言葉は冷たいものが多いが、それでも、スフェーン家は確かに四大貴石の家と縁を結べるほどの名家だったのだ。
厳しい門へと近づき、格子の合間から中を覗く。門側に面した窓硝子に人影のようなものは見当たらない。どうしたものかと考え、意を決する。
「すみませーん!」
思いの外大きく響いた声の後に、耳を澄ませる。
音は聞こえない。
ただ、薄く邸宅の扉が開いた。
「……おや。アキラ・カルセドニー様」
剣の扱いを教えてくれた老執事が、此方へと駆け寄る。老いを感じさせない走りからは、僅かな音も聞こえない。ぴりぴりと首の皮が張る。
「その、お見舞いに来ました」
門を開けた執事が何事か告げる前に、茶葉を差し出す。不躾だったかと思いつつ、言葉を重ねる。
「ご迷惑でしたら、すぐに帰ります。ただ、その……」
「お見舞い、ですか」
静かに、遮る様子でもなく執事は告げる。その目に迷いが見えて、アキラは言葉を控えた。
執事は洗練された所作で、半身を引く。
「どうぞ」
何か迷いはあったが、意を決したようだ。執事に頭を下げ、敷地に立ち入る。
促されるままにスフェーン邸の応接間へと向かう。不思議なことに、人の気配は無かった。
リシアはどこにいるのだろう。
周囲に視線を向けるのを抑え、姿勢良く立つ。
「少々、お待ちくださいませ」
椅子をそれとなく示しながら、執事は一礼のち応接間から去る。暫くして、人影が応接間に面した硝子窓の向こうを通り過ぎた。どうやら執事は庭に出たらしい。
座り心地の良さそうな椅子に腰掛けるか迷っているうちに、再び人影が硝子の向こうに現れる。かちりと音を立てて、硝子窓が開いた。
「お嬢様が、お会いしたいと」
扉の向こうから現れた執事の言葉に、アキラは表情を輝かせる。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げ、応接室から庭に出る。
一方で、少しだけ暗い執事の表情が気に掛かった。
学苑のような左右対称の花壇ではなく、多種多様な花が抑揚を持って咲き乱れる庭の小径を歩く。以前、招かれた時にリシアと茶を飲み剣を学んだ東屋が見えた。
小さな背中が、所在なくそこにある。
声をかけようとした矢先、執事が立ち止まった。アキラを振り向き、何かを差し出す。
手帳と硬筆だった。
「こちらをお使いください。必要になりますので」
執事の言葉には、有無を言わせない何かがあった。頷き、筆記用具を受け取る。
執事はその場で立ち止まる。どうやら、ここで待機するようだ。
「ありがとうございます」
礼を告げ、一人東屋へと向かう。
段差を上り、友人の名を呼んだ。
「リシア」
着心地の良さそうな服を纏った友人が、ゆっくりと此方を見上げた。青白い顔に、胸が高鳴る。
「ごめん、急に。休んでるって聞いたから、お見舞いに行こうと思って」
茶葉を探す。そういえば執事に渡したのだったと、思い出す。
「お茶も持って来た。美味しいと思う。花はないけど」
慌ただしいアキラの仕草を見て、リシアは曖昧に微笑む。卓の上に揃えた手元に、何事か走り書きのある紙と硬筆があった。
「体調、平気? 無理させてたりする?」
続いた問いに、首を横に振る。
細い指が硬筆を手に取った。紙の走り書きの合間に、何かを書き込む。
空いた手が、ちょいちょいと手招いた。違和感を覚えながら近付く。
紙を見下ろす。
ごめんね。
綺麗な書体で、そう記されていた。
続いてもう一文、追加される。
今、声が出なくて。
アキラはリシアを見つめる。
作り笑いを浮かべて、友人は筆を置いた。




