不在(3)
衛兵長の視線を感じながらも、アルミナの歌に耳を傾ける。美しい歌だと思う。芸事に疎いアキラでも、それはわかる。
だが不思議なことに、聞けば聞くほどリシアの歌声を思い返してしまう。比較などという畏れ多いことは出来ないが、他に「歌」と紐づけられた人間がいないのだ。
二人で合唱とかしないのかな。
それは合唱って言うのかな。
そんなことを考えていると、いつの間にか、伴奏の旋律が絶えていた。
「今日は、ここまでにしましょう」
老いた講師が告げる。
壁にかかった時計を見る。まだ、予鈴までは時間がある。
「まだ時間はあります」
普段の敬意に満ちた言葉からは程遠い、鋭い声音でアルミナは告げた。
動じることなく、講師は目を伏せ首を横に振る。
「ここまでにしましょう」
再度、同じ言葉を告げた。
一瞬アルミナは目を不満げに細め、すぐに息を吐く。
「……わかりました。また、放課後に来ます」
アルミナは講師に一礼、振り向いて席にかけていた令嬢達に一礼をする。続いて満面の笑顔。
「お時間を頂戴しました。ありがとう」
「私達こそ、光栄だわ」
そんな言葉を交わす。それを聞き流しながら、アキラは講師を見つめる。何か思い悩むように、手元の楽譜を見つめている。
講師も講師で、納得がいかないのだろうか。
そこまで考えて、ハッとする。何に、納得していないとでも。
失礼な想像を押し込め、席を立つ。
「セレス」
隣にかけたままの令嬢の名を呼ぶ。先程から変わらず、どこか心配気な表情の令嬢は、促されるように立ち上がった。
「少し、アルミナとお話を……」
そう告げる傍らに、アルミナが近づいてくる。
「今日の歌は」
アルミナはそう溢し、口を閉ざす。
「素敵な歌だったわ」
すかさずセレスが答える。それが最良だと、アキラも思った。
歌姫候補は僅かに表情を暗くした後、微笑む。
「ありがとう……ごめんなさい。こんなことを聞いて」
そして次は、不敵に笑った。
「私らしくもない」
「そうね。貴女は自身家だもの。それも、実力に裏打ちされている」
そうして気軽く、セレスはアルミナの肩を叩いた。ごくごく普通の女生徒がやるような仕草を、少しだけアキラは意外に思う。
「さて、戻りましょうか」
セレスがそう告げた途端、視界の隅で衛兵長が立ち上がった。様子を伺うようにおずおずと近づいてくる。その姿からは以前の覇気のかけらも感じられなかった。
アキラは振り向き、衛兵長を見据える。
「いかがしました」
警戒したアキラに続いて、牽制の言葉をセレスは告げる。衛兵長は即座に姿勢を正し、礼を見せた。
「……このような姿で御前に出ることをお許しください」
「構いません。今の私はただの学生なのですから。それより、何か用向きでも」
「は、アルミナ・エメリー様にお伝えしたいことがありまして」
そう告げた衛兵長の目が、セレスとアキラに向いた。
またもや、内密の話か。
「今日はないしょ話が多いわね」
セレスは揶揄うように微笑む。一方のアルミナは、表情を固く引き締めて衛兵長を見つめた。
「……いいでしょう」
アルミナが静かに告げる。次いで、申し訳なさそうに眉を下げてセレスに向き直る。
「ごめんなさい。少しだけ、お話を聞いてから教室に戻るわ。だから……」
「わかった。ないしょのお話を聞いては悪いもの。アキラと一緒に、先に戻っているわ」
セレスは微笑む。
「遅刻しちゃダメよ」
続いた言葉にアルミナは頬を緩ませる。
「気をつける」
返事を聞いて安堵したのか、セレスは少しだけ肩を下げた。アキラに声をかける。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん。また後で」
「ええ」
アルミナと衛兵長に向かって会釈をする。流石に令嬢達の前では威圧的な態度は取れないのか、おとなしく衛兵長も会釈を返した。
セレスと共に、静かに音楽室を後にする。
「以前とは歌い方が違うような気がする」
ぽつりとセレスは呟いた。次いで、失言でもしたように唇を噛む。
「アルミナに悪いわね。比べているわけではないのに」
少し躊躇いもあったが、アキラは告げる。
「リシアと?」
「それだけアルミナにとっても、私たちにとっても、彼女の存在は大きかったということ」
令嬢はため息をつく。
「歌姫候補になる前から、リシアの歌は有名だったの。ジオードに届くほどにね。彼女を招いて夜会で歌ってもらうことが、ある種の贈り物や格式になったのだから、相当のもの」
「それは」
どうかと、アキラは思った。
上手く言語化は出来ないが、何だかリシアのことを物扱いしているように聞こえたのだ。
無論、それを即座に言い放つほどアキラは無鉄砲ではない。
「すごいね」
だから、少し迷いながらもそう告げた。
一方のセレスはアキラの内心などお見通しなのか、少しだけ哀しげに目を細めた。
「そう。凄いの、リシアは。今だってきっと歌えるはず」
でも、とセレスは一瞬口を噤む。
「……それを私達が伝えても、彼女は傷つくだけかもしれない。実際、彼女が元の名声を取り戻すのは、とても難しいと思う」
何度目かのため息が一つ。
「アルミナもマイカも、わかっているのかしら」
アキラは答えることが出来なかった。
何故なら、目の前の令嬢や他の生徒達と違って、過去のリシアを知らないのだから。だから彼等がどれほどリシアの歌に執着しているのかも、理解が出来ない。
一つ言えるのは、歌への執着はリシアを傷つける理由にはならない、ということだけだった。




