不在(1)
「貴女は、スペサルティン卿に招待された?」
今日の同輩達の私語はもっぱら、「会合」にまつわるものばかりだった。普通科に籍を置いているだけの庶民であるアキラには関係のない話だが、教室のそこかしこから探り合いの会話が、どうしても耳に入って来る。
「ええ。心配なさらずとも、あなたがたの家にも届くわ」
「そうかしら。だって、貴石の家とは縁遠いもの」
「スペサルティン卿は貴族にも厳しいことで有名ですし」
近くの席で三人の女生徒が囁き合う。それを何処か困ったように見つめながら、セレスはアルミナに問う。
「今日のお昼休みも練習?」
「ええ。満足のいく仕上がりにしたくて」
珍しくアルミナは年相応の微笑みを浮かべる。おそらく彼女は件の会合に招待されているのだろう。勿論、語らう令嬢も。
「もしお時間があれば、お二方にも是非とも練習を見てもらいたい」
「私は構わないけど、アキラは?」
「お昼食べてからでもいいかな」
忌憚ない言葉に、眉を顰めることもなくアルミナは快諾する。
「ええ、勿論。私も軽食は持ってきたの」
「珍しい。普段は帰って食事を済ませるでしょう?」
「ええ。でも、時間がもったいないから」
そう告げてアルミナは、机の端に提げられた包みを示す。弁当というよりは、菓子などおやつの類のように思える。
「学食、また行ってみる?」
セレスの誘いに令嬢は目を丸くする。
「またお邪魔してもいいかしら」
「邪魔だなんて。生徒なんだから好きに使っていいの」
「アキラさんもご一緒にどうかしら」
「お供するよ」
つい最近も同じような返答をしたはずだ。アルミナは頷いて、再び口を開く。
「リシアも学食を使ったりする?」
これまでの事を思い返して、アキラは答える。
「大体お弁当」
「その、お手間をかけさせてしまうけれど……」
そう呟いて、アルミナは逡巡したように言葉を切る。
「いいえ。きっと怯えるでしょうし。何でもないわ。ごめんなさい」
少し思うところはあったが、アルミナの判断を尊重して黙する。怯える、という予想はきっと正しい。リシアは時々、過去の影に怯えている。迷宮の危険以上に。そしておそらくは、アルミナにその影を重ねて見ているのだろう。
一方で、アルミナがリシアを食事に誘おうとしたことを意外に思う。てっきり「好敵手」という関係性なのだと思っていたが、実のところ、アルミナはリシアとごく普通の友人になりたいのだろう。
悲しいすれ違いだ。
そう考えると、今の状況をどうにか変えたいと余計な心遣いも湧く。だがそれはきっと、リシアに大いに負担をかけてしまう行為だ。
「夜会の折に声をかけてみます」
一方のアルミナはそういった配慮は全く念頭にないらしい。セレスも何処となく遠回しな言葉をかけてはいるが、あまり気にはしていないようだ。
「それじゃあ、お昼休みに」
そうセレスが告げた途端、予鈴が鳴る。教室に入ってきた老講師が壇上に立つ前に、生徒達は自身の席へと戻っていった。
この授業が終われば、お昼休みだ。既に文句を言い出しているお腹を抑え、教科書と手帳を広げる。
迷宮科の友人を想う。お昼は一緒に食べられないだろうけど、一緒に帰ることは出来るだろうか。その時は浮蓮亭にでも寄って、軽食もいただこう。何だか香辛料の効いた肉を食べたい気分だ。
耐えかねて、腹の虫が鳴く。
ふふ、と教室の何処からか忍び笑いが聞こえた。
微かに赤面したり集中したりと目まぐるしい思いで授業を終える。教科書をしまい、セレスの席を向く。
「お腹、空いてるでしょ」
声をかける前にかけられる。少しだけきまり悪く目を泳がせる。
「行きましょうか」
包みを手にしたアルミナが、席を立つ。頷いて追随する。
「早く食べて……」
食堂へ向かう道中、ぽつりとアルミナは呟く。すぐに失言だと思ったのか口を噤む。
「素人の私が言うのも、とても失礼だとは思うのだけれども」
心底心配そうに、セレスは尋ねる。
「あまり焦りすぎるのも、どうかしら。確かにより高みを目指す気持ちもわかる。けれども今の貴女には、少しだけ肩の力を抜く時間も必要だと思う」
一瞬、アルミナは目を見開き何事か告げようとする。目に滲む色は苛立ちなどではなく、「困惑」だった。
「……善処します」
アルミナは答える。
おそらく立ち止まる気は無いのだろう。そう思ったのはセレスも同様なのか、変わらず案ずるように眉を下げていた。




