比較(2)
「今、伺おうとしていたのです」
いつだったかマイカと名乗った女生徒は、小さく膝折礼をして立ち尽くす。
聞くところによると、彼女は「聖女」などと呼ばれているらしい。薄暗い迷宮で力尽きる直前に彼女の姿を見たら、そう見紛うも無理はないだろう。舞台映えする姿ではないが、焼きつくような印象を残す面立ちだ。
そして、何かと薄暗い背景を持っているとも、聞き及んでいる。
階段の途中で立ち止まり、マイカを見下ろす。
「何か、ご用件でも」
「リシアに関することです」
そう言えばアルミナが耳を貸すことを、マイカは知っている。思う壺だが、話を聞くことにする。
「ご報告を楽しみにしていました」
「はい。その、リシアと直接約束を取り交わすことはできなかったのですが……」
そう前置いて、マイカは衛兵と殆ど同じ内容の報告をした。即ち、スペサルティン卿の夜会についてだ。
「この場になら、リシアも来ます。来ざるを得ません」
友人に対しての言葉とは思えないが、明るくマイカは微笑む。
「きっと、リシアの歌を聞くことができますよ」
「……ありがとう」
「ただ、難点はリシアのお父様であるスフェーン卿でしょうか。スフェーン卿が断りの連絡を入れてしまったら、リシアは出席出来ないと思います」
女生徒は上目で此方を見つめる。
「どうしましょうか」
どうにか出来るのか、と思った。この女学生は人を使おうとする。さも当然であるかのように。この問いも、裏にはアルミナが手を回すであろうという「期待」が込められているのだろう。彼女の期待通りに動くのは不本意だし、抑そこまで手を回せるほどアルミナに力があるわけでもない。
「無理強いは出来ないのではなくて?」
そう告げてみる。マイカは困ったように微笑んだ。
「そうですね。ただ、相手はスペサルティン卿ですから。『配慮』はあるでしょう」
軍とそう変わらない階級構造が、この国にも色濃く残っているのだろう。振り切ることが難しいのであれば、都合が良い。
スペサルティン卿に任せることにしよう。
笑顔を作り直す。
「感謝します。マイカ嬢」
「いいえ!私も、確実にリシアをお引き合わせ出来るよう尽力しますから」
マイカもまた満面の笑みを浮かべる。
何故、そこまで力を尽くしてくれるのか。それを改めて聞こうとして、鐘の音に妨げられる。
「ああ、講義が」
迷宮科の令嬢は片手で口元を覆い、眉を落とす。再び膝折礼を見せた。
「それでは、また」
そう告げて、制服の裾を翻し迷宮科棟へと去る。彼女の足音が聞こえなくなった頃に、ため息をついた。
「……私も、教室へ急がないと」
黙したままの衛兵を見やる。
「貴方も、他の仕事があるでしょう」
「は、はい」
そうは言うものの、基本的に講師室で待機していることはアルミナも知っている。どうやらアルミナが在学している間は、他の衛兵と交代で駐在しているらしい。アルミナの身辺を守るため、にしては大仰だとも思う。風の噂で、迷宮科の実情を「貴賓」に見せないためとは聞いた。実際迷宮科側にも衛兵は詰めていて、通行を規制しているらしい。
「厳戒態勢」を内心鼻で笑いながらも、労う。
「ありがとうございました。また、放課後もよろしくお願いします」
衛兵の眉間の皺がより深くなる。不本意なのだろう。学苑以外にも、彼の仕事場はあるのだろうに。
講師室の前を通り、悠々と教室に向かう。他の生徒達も廊下を往来する。
その中に、唯一信頼する姻戚を見つけた。
「セレス」
アルミナの親戚に嫁いではいるが、未だジオードには入らず旧姓を使う令嬢に声をかける。月のように冷えた雰囲気とは裏腹に、令嬢は溌剌とした声音でアルミナを呼ぶ。
「練習帰りかしら」
「ええ。まだ先生は見えてないのかしら」
「少し遅れているみたいね。でも、油断はできないわ」
微笑みつつセレスは教室の自席に着く。その隣にかけているはずの女生徒の姿が、珍しく見当たらない。
「あら。アキラがまだ戻ってない」
セレスは級友の不在に首を傾げる。爵位を持った家の出身ではないが、学苑に通い他の生徒達とも良好な関係を築けている女生徒にはアルミナも一目置いている。何より、リシアと友人だというのが良い。
アルミナはリシアの歌姫以外の面を知らない。それを知って彼女への評価を変えるつもりもない。
だが、セレスやアキラのように気楽に会話をしたいとは、思ってみたりもするのだ。
廊下を走る音が聞こえる。
「遅刻?」
いくらか切羽詰まった声で、しかし息切れをする様子は一切無く、アキラが教室に顔を出す。
呆れた様子でセレスはため息をついた。
「廊下を走るなんて、淑女らしくない」
「秘密にして」
「どうしようかしら」
発言の割には堂々とアキラは教室を横切り、席に着く。ちらりとアルミナを見つめ、会釈をした。
彼女とも、出来ることならリシアについて話をしたいのだけれど。
「廊下を走っていたのは誰ですか」
壮年の講師が教室を覗く。
今は、無理そうだ。




