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聖女の憎悪

 走り去る親友の後ろ姿を、呆然と見つめる。


 遅れてやってきた頬の痛みに、手を添える。それほど強くもない暴力だが、他でもない親友が振るったという事実に把握が遅れる。


 手を出すような子じゃなかったはずなのに。


 赤く染まっているのであろう頬をさする。


「大丈夫?」


 名前も知らない普通科の生徒が声をかける。思わず目尻に涙を溜め、頷く。遠巻きにやり取りを眺めていた生徒や講師のうちの幾人かが集まってくる。


 去っていった親友を追う者はいない。


 口々に何かを告げる人々の真ん中で、涙をこぼす。


 この中の誰か一人でも、親友のことを追いかけてくれたら。連れ戻してくれたら。考え直したらと、自身の代わりに言ってくれたら。


 でも、そんな動きを見せる人間はいない。ただマイカを宥めるだけだ。


 涙を拭い、親友を追う。教室に向かったとは思えない。では、渡り廊下を通って普通科棟に向かったのか。あるいはデマントイド卿が詰める小屋か。どちらにせよ、他人がいる。マイカではなく、親友の「味方」になりそうな他人だ。須く、彼らは「毒」だ。親友はそのことに気がついていないけれど。


 小屋へ向かう。人の気配はない。念の為に戸を叩いたが、返事はなかった。


 続いて普通科棟の王妹が在する教室へ向かう。朝一番に現れた迷宮科の女生徒を、奇異の目が追いかける。遠巻きに覗いた教室の中にリシアの姿も、友人らしき少女の姿もない。既に席に着いていた王妹と目が合い、踵を返す。


 それならばと、図書館へ向かう。一時「自習」をするために籠っていたことを思い出したのだ。登校の喧騒から離れ、閑静な図書館は人目を避けるのにちょうど良い。第六班の班長が打ち合わせに使うこともあるが、その時は挨拶でもしてリシアを見なかったか尋ねたらいい。


 図書館へ続く小径を歩く。


 対向から不規則な足音と、杖の音が聞こえた。


 少し逡巡して、制服の裾をつまみ膝折礼を見せる。


「ごきげんよう、アンナベルグ先生」


 書籍を抱え、杖をついた講師に微笑みかける。


 冒険者上がりの講師はいつも通りの無表情のまま、目礼をした。


「おはよう。そろそろ予鈴が鳴る」

「リシアを見かけましたか」


 教室へ向かうように促す言葉を遮り、尋ねる。隻眼の講師は灰色の瞳を細め、答えた。


「見ていない。教室ではないか」

「そうですか」


 書籍を見るに、講師は図書館へ立ち寄ったのだろう。ということは、向かう先にリシアはいない。もう一度膝折礼をして立ち去ろうとする。


「何故、探している」


 講師の問いに、動きを止める。


 視線だけを上げて、講師の目を見据えた。


「……」


 何か答えなければいけないけど。


 何も言おうとは思わない。


 講師は、いつだってマイカの邪魔をする。マイカが行おうとしていることがどんなに正しいのかを、彼は知らないのだ。


「この頃、紅榴宮周辺で動いているようだな」


 マイカの答えを待てなくなったのか、あるいは答える気がないと悟ったのか。講師は唐突に告げる。


「第六班の課外で動いているわけではないと聞いた。スペサルティン卿を丸め込んで、何がしたい」

「丸め込むなんて、そんな」


 弁解しようとする。


「私はただ……」


 ただ。


 以前の親友を取り戻したいだけだ。


 でもそれには、障害が多過ぎる。例えば、目の前の講師。


「私はただ、リシアを歌姫にしたいだけなんです」


 涙を浮かべ、うったえる。


「先生も知っていますよね。リシアが昔、歌姫だったことを。歌を学んでいたことを」


 無表情のまま、講師は黙する。


 知らないはずはない。何故なら講師はアルマンディン邸で、かつてのリシアに会っているはずなのだ。まだ幼くて、歌姫としての輝かしい未来しか見えていないリシアに。


「……本当は、見限っているのでしょう?リシアに冒険者としての才能は無いって、わかっていますよね」


 変わらず講師は黙する。


 「聖女」の胸中に熱が沸く。たった一人にだけ向けられる、明確な憎悪。


 愚かで無力な父も、リシアを歯車としてしか見ていないシラーも、手を差し伸べないスペサルティン卿も、全員思うところはあれど「嫌い」ではない。


 マイカが憎悪するのは、ただ一人だけ。


「なのに何故、今のリシアを肯定するのですか。貴方がリシアを肯定するから、リシアは後に退けなくなっている」


 マイカの、そしてリシアの敵は、この講師だ。


「私に見捨てられて、普通科の子を丸め込んで迷宮に行って、卑屈で、嘘つきで、他人に頼ってばかりで、要領が悪くて、慣れない剣を振るって、傷だらけで」


 言葉を並べ立てるほど、マイカの声が押し殺したものになっていく。遮る間も見つからず、ただ講師は毒を吐く様を眺める。


「そんな子、私の知っているリシアじゃない」


 微かにしゃくり上げ、マイカはこぼす。


「リシアは、歌が好きで、いつも自信を持ってて、誰からも愛されていて、私の無二の親友で、ただ一人の最高の歌姫なんです。私はただ、そのリシアを、取り戻したいだけなのに」


 吐き捨てる。


「リシアをつまらない人間のまま、迷宮で死なせる気ですか」


 熱と共に言葉が響く。


 その言葉も、木々に吸い込まれるように消えていった。


 しばらく、マイカのしゃくりあげる声だけが響く。彼女の息が落ち着いた頃を見計らって、講師は口を開いた。


「友人の言葉とは思えない」


 マイカは顔を上げる。泣き腫らしてもまだ、美しさを保った顔。その姿を冷たく講師は見下ろしている。


「リシアが迷宮科を選んだ経緯は知っているはずだろう。なのに何故、彼女の過去にしがみつく。当事者でも無いのに」


 静かな声。その底に怒気のようなものが這っていることに気付いて、マイカは息を飲む。


「確かにリシアの過去は煌びやかなものだったかもしれない。だが、本人はそれを過去のものとして、未来に進もうとしている。その足を引っ張るのが、友人のすることなのか」


 見限られたのは、君の方だ。


 講師はそう告げた。


 理解できない。


「やっぱり、肯定するんですね」


 制服の裾を握り込む。


「王様と同じ。貴方にも、人の心は無い」


 聖女は告げる。


 灰色の目には、落胆も動揺も滲んでいなかった。

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