きっかけ
スペサルティン家の紋章を見つめ、スフェーン卿は微かに眉を顰める。父の珍しい表情にリシアも内心穏やかではない。
家に帰りついてまず、役所で手渡された封書に目を通し……すぐに、相談が必要だと判断してスフェーン卿に声をかけたのだ。
封書はスペサルティン卿が主催する「ちょっとした」会への招待状だった。
「スペサルティン卿から声がかかるなんて、珍しい」
物々しくスフェーン卿は呟く。リシアが覚えている限り、スペサルティン卿から会合の招待状が届いたことはない。母の件以来、殆ど絶縁状態だと聞く。スペサルティン卿と会い見える機会はいつだって、別の誰かに招待された場か、舞台の上からだった。
「歌についても、書いてあるね」
「はい……」
横から手紙を覗き、頷く。「是非とも」から始まる一文は、今のリシアにとっては気分が重くなる宣告だった。
「勿論、断ることはできるよ」
娘の表情を見て、父は助け舟を出す。だがそれに乗ることは、父の立場を今以上に難しいものにする。
リシアは文面を眺め、意を決する。
「いいえ、せっかくの招待だもの。参加します」
「……歌については、どうする?こればかりは」
黙する。スフェーン卿の言う通り、歌に関しては丁重に断りたい。ここ最近はまともに練習もしていないのだ。する由もないのだが。
「手紙を認めるか、直接お話しするか。でも、どちらもスペサルティン卿のご機嫌を損ねてしまいそう」
「機嫌を損ねたりはしないと思うよ。彼女は理解を示してくれるはずだ」
父はそう言うが、娘のリシアはスペサルティン卿の人となりをよく知らないのだ。悩みつつ、執事の用意してくれたお茶を飲む。
まさかとは思うが、この会にエメリー家……更に言えば、アルミナも招待されているのだろうか。アルミナやマイカと何事か示し合わせてこのような招待状を出したのだろうか。突飛と言われても仕方がない発想だが、父にその事を告げるべきか迷い、ため息をつく。
「あの、お父様。アルミナ・エメリー様はご存知?」
「最近此処に拠点を移した、エメリー家のご令嬢だよね。そういえば学苑に転入したのかな」
「ええ、普通科に。それでね」
今日の出来事を話す。スフェーン卿は黙したまま、リシアの話を静かに聞いてくれた。
「関係無いかもしれないけど、なんだか気になっちゃって」
「つまり、スペサルティン卿が『橋渡し』として、この会に招待した可能性もあると」
「うん……その、スペサルティン卿に対してすごく失礼な事を言っているとは思うけど」
言葉を告げるに連れ、後ろめたさが増してくる。そんな思惑は全くなく、ただ単に血縁上の姪を誘ってやろうと気を使っただけなのかも。口ごもりつつ、笑顔を浮かべる。
「や、やっぱり気のせいかも。お返事書こうかな」
「うーん、リシア。返事を出すのは少し待ってもらっても良いかな」
指を組み、スフェーン卿は告げる。論文を書いている時と同じ、真剣な眼差しだった。
「スペサルティン卿の意向を確認してみるよ。なんというか、もしリシアの言う通りだとしたら、このやり方は彼女らしくない」
「それならやっぱり、気のせい……」
「一応、一応ね」
父は微笑む。
「それから、リシアが出席をするか、歌うかを決めても遅くはないと思う。保護者としては直接娘に招待が来たのが不安だし」
そこまで告げて、目を丸くした。
「そうだね。僕を通さないのも、すごく不思議だ」
なんとも呑気に溢す父を見て、リシアは若干の不安に襲われる。
本当に確認できるのだろうか。
「ただ、リシア。もし、この手紙に何の裏も無くて、スペサルティン卿のお招きと要望に応えるのなら」
少しだけ居住まいを正して、父は告げる。
「僕は全力で後押しするよ」
一瞬、頭が真っ白になった。
なんと答えるか迷い、黙する。
彼はこれを「切っ掛け」だと思っているのだろう。娘が、今の境遇からどうにか抜け出るための。
でも、正直なところ。父にはそう言ってほしくなかった。
膝の上で手を握る。
「考えておく」
何とか、そう答える。少しだけ震えた声に、流石の父も失言を察したのだろう。狼狽する。
手紙もそのままに、食堂を後にする。
自室のウィンドミルを横目に寝台に沈んだ。
何を今更。
そう呟いた声も熱も、布に吸われて消えていった。




