聖女の誘い
待ち合わせ場所はいつもと同じ、中庭の一画。
同じように長椅子にかけ、いつも通り掲示板を遠目に眺める。新しい依頼は無い。やはり、外へ出る必要がある。ちらちらと大時計を見ながらリシアは普通科の同輩を待つ。
遠くからは歌声が聞こえる。アルミナは放課後も練習に励んでいるようだ。かつてのリシアも時間を見つけては音楽室に通い、スフェーン邸でも講師を呼んで稽古をつけてもらっていたことを思い出す。
あの時は一日中、歌のことを考えていた。歌以外の道があるなんて、思いもしなかった。
目を伏せる。
こんなことを考えても、しょうがない。今やるべきことは迷宮やアキラと向き合うこと。
過去から目をそらし耳を塞ぐこと。
「リシア」
鈴を転がすような声が響く。身をすくませ、目を見開く。
「やっぱりここにいた!」
花の如き微笑みを浮かべ、元親友は駆け寄る。すれ違った男子生徒が目で追うほどに眩い姿から、リシアも目が離せない。
今度はなんだ。
警戒する。
「ごめん。人を待ってるんだ」
「知っているわ」
先手を打とうとして、断たれる。
「アキラさんでしょう」
聖女は首を傾げる。
「それとも、他の人?」
黙する。
「そうだ。アキラさんも、一緒に来てもらうのはどうかな」
手を合わせ、マイカは目を輝かせる。
急に話が飛んだ。「結論ありき」で話すことはこれまでも良くあったことだが、今日は随分と急ぐ。
置いてけぼりのまま、リシアはマイカに得体の知れないものを見るような目を向ける。
「普通科の、アルミナ様。貴女に会いたいんですって」
ギョッとして、昼休みの出来事を思い返す。もう会ったじゃないか。何を改めて。
いや、それ以前に。マイカは何時彼女と接触したのか。
問いへの返答が浮かばず唖然とする。そんなリシアを見てマイカは殊更嬉しそうに微笑んだ。
「貴女の歌を聴きたいと仰っていたの」
血の気が引く。
不意に、聖女は手を伸ばす。滑らかな指がリシアの手を取った。
「勿論、了承するでしょう?」
一応。そんな体でマイカは確認を取る。
手を振り払うように滑り抜け、身を引く。すぐに長椅子の背もたれに阻まれた。
「そんな暇は、ない」
以前も、今の状況によく似た出来事があった。あの時と同じ言葉を返そうとして、囁きかけられる。
「課外が大事なのはわかる。でも、今は後回しにして欲しいの」
何を、言っているんだ。
「アルミナ様との約束なの」
「それは、マイカとの約束でしょ。私はもう歌う気なんて」
「そんなこと、言わないで」
冷えた声だった。
普段の、いや、これまでに聞いたマイカのどの声よりも硬く冷たい声音に、口を閉ざす。
「リシア。こんな機会、もう二度とない」
聖女が顔を覗き込む。
知らない声。知らない目。
「貴女の歌を、アルミナ様に聴かせて。そうしたらきっと、彼女もわかってくれる。みんなも、考えを改めてくれる」
歌姫は貴女しかいない。
心臓が引き絞られるような感覚が走った。
「何を言っているの!」
上擦った声が痛々しい。リシアの剣幕に、しかしマイカは動じない。いつもなら傷ついたように悲しげな表情をするのに。
「そうね、今日は諦める。でも明日は?明後日は?いつでもいいの。いくらでも待つ。アルミナ様だって待ってくれる」
リシア。
囁き声に、別の誰かが名を呼ぶ声が重なる。
聖女は身を起こし、背後を振り向いた。
「何してるの」
赤い体育着の少女が、間合いを測るように近付いてくる。怪訝な顔が聖女の顔を見た途端、すとんと感情を落とす。
「大事な話、ですか?」
「ええ」
アキラの問いに似た警句に、マイカは笑顔で答える。
「そうだ。アキラさんはアルミナ様をご存知ですよね。普通科ですもの」
小首を傾げ、告げる。
「リシアと一緒に、アルミナ様の練習を見学しませんか」
聖女は微笑む。
無表情のまま、同輩は首を横に振った。
「今日は、リシアと約束があるので」
そして、夜色の瞳がリシアを見つめる。
「リシア、行こう」
その言葉を聞いてやっと、体が動いた。腰を上げ、マイカの横をすり抜けてアキラの元へと向かう。
「待って」
小さくマイカが呟いた。
聞こえないふりをする。
「それじゃあ」
リシアの代わりにアキラは一際よく通る声で別れを告げる。目を丸くした聖女はその挨拶を聞いて、暫く立ち尽くす。
そして、再び目を細めた。
「ええ。また今度ね」
優雅に礼を返した。
諦めてはいない。だが、何を。
幼馴染の不気味な振る舞いは何時ものことだが、今日は殊更理解不能だった。
背を向ける。
おそらく、まだ聖女は微笑んでいるのだろう。
アキラに目礼をして、早々と中庭を後にした。




