警護対象
忍び込んだ迷宮科の少女を追い返し、衛兵長は溜息をつく。何かと見知った顔だが、思い出す限りどの場面でも素行が良くない。挙句、普通科の生徒を巻き込む始末だ。
何故、警護対象の令嬢と見えることが出来たのか。
迂闊な迷宮科側の監視者達に後で小言を告げようと誓いつつ、階段を上る。
この昼休み内だけでも何度目かの演奏と歌声に、内心呆れる。練習とはいっても、よくもまあ飽きないものだ。
音楽室の戸を軽く叩く。返事はない。立ち尽くすのも癪なので、入室する。
開いた戸から、大声量の歌声が溢れ出る。確かに耳に心地よく、聞き惚れるような声だ。これが歌姫候補の声なのかと感心する。
鋭く、鍵盤琴が打ち鳴らされる。
「入室と開閉は静かに!もしくは、外で待ちなさい。関係者であろうと、練習の邪魔は許されません。扉もすぐに閉めなさい」
老婦人の怒声に、すくみ上がりそうになる。無論出ていくわけもなく、ただ扉は閉めろという指示にはおとなしく従う。
「……先程の小節をもう一度」
「はい」
再び伴奏が始まる。口ずさむ令嬢を後目に、手身近な席にかける。
歌というものに思い入れはない。一度だけ、エラキスが怪物騒ぎに陥った時は躍起になって調べたが、その時でさえ耳を傾けようとは思わなかった。
ただ「歌姫」という地位の名声と、それを目指す過酷な少女達の戦いだけは知っている。
先程の少女が、一度はその戦いを制したことがあるということも。
本当だろうか、と思う。とてもではないが目の前の令嬢達と渡り合えるようには見えなかった。もっとも、彼女の背後にいる女公爵の力を頼れば、不可能を可能にすることも出来るのかもしれない。その神通力がエラキスの外で通じるかは甚だ疑問だが。
それに、女公爵はスフェーン家の令嬢を見限っている。そうでもなければ迷宮科になど在籍しないはずだ。
伸びやかな高音。
おそらく、この曲の最高潮なのだろう。どこまでも続く息に感心する。
声が違うな。
ふと思う。先程下階を警邏している時に聞こえた声とは、随分と声質が違うような気がした。今、彼女の歌に聞き惚れている少女達のうちの誰かが歌っていたのだろうか。
「もう一度」
「はい」
鍵盤琴の演奏を止め、老婦人は短く告げる。それに令嬢も答える。何が悪かったのかもわからないが、再び同じ伴奏が始まる。
「讃美歌は定番ですから、練習に力も入りますね」
「ええ」
片隅で見学をしている少女達が囀り合う。
それが、気に食わなかったようだ。
令嬢は歌を止める。
「貴女方」
振り向いた令嬢の視線に、少女達はすくみ上がる。
「先程、私が練習を中断した時に聞こえた歌を、覚えていますか」
「い、いえ」
「そう」
ふいと老婦人に向き直る。
何を確認したかったのか。ともあれ、少女達は可哀想なほどに萎縮し、私語など出来ないような様になってしまった。
「衛兵長」
「はい」
疑問が浮かぶ前に、反射的に返事をする。
眼中になど入っていないと思っていたが、自身が入室してこの場にいたのはわかっていたようだ。
令嬢はこちらを見つめる。
「貴方は聞きましたか。先程の歌を」
「はい。練習に随分と身が」
「階下で、スフェーン家の令嬢が歌っていた讃美歌のことです」
ぞっとするような目の輝きが、衛兵長を見据える。
「……もう一度、聞きたいと思いませんか」
咎められているのか。
一瞬、そんな警戒が脳をよぎった。
職務を思い出す。
「彼女は迷宮科の生徒です。迷宮科には迷宮科の本分があります」
思ってもないことを言う。
令嬢が牙を剥いたように見えた。実際にはそれは可憐な微笑みで、鈴を転がすような声がかけられる。
「失礼しました。愚問でしたね」
確かな棘が含まれていた。態度や表情にも出せずに、慎ましく席に着いたままで居る。
「この部分が終わったら、教室に戻ります。続きは放課後に……構いませんか」
「ええ。ほどほどにしないと喉を痛めますから」
一転、令嬢は生真面目な声音で老婦人に問う。老婦人は頷き、答える。
「高音の練習が続き過ぎています」
これは老婦人なりの叱咤だったのだろう。令嬢は口を引き結ぶ。
鍵盤琴の旋律が響く。
「衛兵長」
歌ではなく、言葉が出てきた。
「教室に戻る前に、少しお願いしたいことがあります。お時間はよろしいでしょうか」
はい、と答えつつ困惑する。
令嬢の転入に伴って警邏や護衛は請け負っているが、つまらない要望を聞く仕事は含まれていない。
だが。
「ありがとうございます」
高貴だから、などではない。確かな「力」が、この令嬢の声には宿っている。
その「力」によく似たものを、以前あの迷宮科の少女と対峙した時に感じたような気がした。




