因縁
昼前の講義が終わる。
絡みつくような視線の最中、生徒達は思い思いの行動を取る。リシアもまた、教科書を仕舞い弁当を携え席を立った。
今日は、アキラに声をかけよう。次の依頼に向けて話をしなければ。まずは放課後に役所にでもいかないかと誘ってみるか。教室を出て、階下に向かう。
折り悪く、廊下の監視員達も着いてくる。講師室に戻るのだろうか。少し時間をずらそうかと思いながらも、堂々と講師室の前を通り過ぎる。何も後ろめたいことはしていないのだから、逃げる必要はない。
渡り廊下に一歩踏み出す。
「きみ」
背後から声をかけられる。嫌な予感がして振り向くと、講師室の戸に手をかけた監視員がこちらを睨みつけていた。
「普通科に何の用がある」
ムッとして答える。
「友人がいるので、会いに行こうかと」
「普通科の友人?」
嘲笑うでもなく、監視員達はただただ怪訝な顔をした。おかしなことではないはず、と言おうとして、他の迷宮科生徒と普通科生徒の関わりを思い出した。
「……友人がいるのは結構なことだが」
監視員は前置く。
「迷宮科の生徒は向こうには行くな」
強張る。
「理由をお聞きしても」
精一杯、冷静な口調で尋ねる。監視員は眉を顰め答えた。
「口答えか」
「理由をお聞きしているだけです。何も理由が無いとでも」
「お前達の存在を知られるわけにはいかないのだ」
返す言葉が無くなる。
「知らない人なんて、いますか?この学苑に通っていて」
「迷宮科は、普通科からは見えなくてもいい」
ああ、と納得する。
転入生への配慮のつもりなのだ。あの噂は、本当だった。
「なるほど、そうですか」
馬鹿馬鹿しいと思う反面、講師の顔がよぎる。これ以上に口答えをしたら、皺寄せは講師に向かう。
では、と前置く。
「普通科へは行きません。中庭に向かいます」
そう宣言すると、訝しげな表情をしながらも監視員は講師室に入っていった。
ふん、と鼻を鳴らして外に出る。校舎裏に周り、運動場と林縁を経由して普通科棟に向かう。
腹が立つ。真っ当でないと思っているのなら、少しは待遇を変えてくれたら良いのに。結局、迷宮科は他所から見たら批難待ったなしの存在なのだ。
それをリシア達生徒のせいにされているようで、殊更腹が立つ。
校舎をぐるりと周り、普通科棟の昇降口に至る。昼休みの人の出入りは粗方済んだのか、往来は少ない。堂々と昇降口から忍び込む。
アキラの教室へ向かう階段の途中で、耳を澄ませる。
讃美歌だ。澄んだ歌声に、流れるような鍵盤琴の音色。
思わず立ち止まり、聞き惚れる。建国節では定番の歌だ。何度も何度も歌ってきた旋律が、今となっては懐かしい。そう思ったことに愕然としつつ口ずさむ。
そも、讃美歌は独唱するものではない。合唱でこそ心に響く歌だとリシアは思う。だからこそ、あの晶洞では神々しいほどに聴こえるのだが。
追随する。
爆ぜるような音が響いた。
「誰!」
弾き飛ばされそうな声量で、それまで歌っていたと思わしき人物が呼びかける。
まずいと思って逃げようとしたが、遅かった。
「貴女」
階上から、どこか見覚えのある顔が覗き込む。
その目に何か複雑なものが滲んでは沈んだ。
「スフェーン家のリシア」
絞るように、声が出る。
はっきりとはしない。だが、リシアは彼女の名を知っている。
「アルミナ、様」
歌姫候補に名を告げる。
目が細まり、鋭くリシアを見据えた。
「迷宮科にいると聞きましたが、本当なのですね」
硬い靴音を響かせながら、アルミナは階段を降りる。鍵盤琴の音は聞こえない。当然か。歌っていた本人が、飛び出してきたのだから。先生はさぞかし驚いていることだろう。
「会いたいと思っていました」
目が離せない。
「是非とも話がしたい。聞きたいことが、たくさんあります」
舞台に立つものが持つ、ある種の威厳。それを遺憾なく発揮する佇まい。気圧されそうになって、リシアは笑う。
「そうですか。何と言うか、名誉なことです」
「何故歌を辞めたのです」
普通科棟中に、声が響いたような気がした。
唇を引き結び、アルミナを見つめる。
「貴女は、此処にいるべきでしょう。私と競うために」
頷きたくなる。嘆きたくなる。
それらを全て飲み込み、リシアは声をあげる。
「いいえ。それは既に、私の目標ではありません」
アルミナは目を見開く。
靴音が止まった。
「……嘆かわしい」
瞳に満ちていたのは軽蔑だけではなかった。
踵を返し、歌姫候補は上階に戻る。
どこからか騒めきが聞こえたような気がして、リシアは周囲を見渡す。遠巻きに何人かの生徒が、こちらを見つめている。
まずい。
慌てて廊下を早足に去る。アキラの教室まで遠回りになるが、別の階段を使おう。
肩越しに背後を見やる。まだ、監視員の姿は無い。流石に普通科棟の中までは騒ぎがあっても来ないのかもしれない。
ほっとしたのも束の間、対向の人影に気づく。
「お前は」
一瞬息を詰める。兜代わりの制帽を被った隊長が、こちらを睨め付けた。
もっとまずい人に見つかってしまった。




