立場
「監査」の目が光る講義を終えて、リシアは肩の力を抜いた。周りの生徒も同様なのか、皆気が抜けたように体を動かす。
これでは講義の内容も頭に入らない。板書と手帳を見比べる。漏れはない。家でゆっくり復習をした方が身につきそうだ。そのまま終礼に流れそうな空気の中、席についたまま教科書を鞄にしまう。
「普通科の転入生の話、聞いた?」
教室の隅で女生徒達が語らう。噂好きで、まだ普通科の貴族と付き合いがある家の令嬢達だ。
つい、リシアは耳を側立てる。
「聞いた!ジオードから転入だなんて……なんだか可哀想」
「そもそも学業なんて要らないでしょうに」
「ほら、セレスタイン様がいらっしゃるから」
転入生とは珍しい。それも、大国の首都であるジオードからやってきたとは。普通科に転入してきたということは、ジオードでも名のある家の子女なのだろう。そんな家なら、学校には通わずに家庭教師を雇う方が普通だ。そうではない事情がある、というのなら話は別だが。
「今の監査も、それと関係があるとか」
「というと?」
「……私達が、ジオードからのお客様に迷惑をかけないように」
「なぁにそれ」
同輩達は笑うが、どことなく緊張感が漂った。
迷宮科は、学苑の腫れ物だ。王の息がかかっていると言っても、堂々と外部に紹介できるような存在ではない。元々批判の方が多いのだ。外部のご令嬢が目にしたら、卒倒しかねない。
ただ、どうもこの転入生の件にはセレスが関わっているらしい。迷宮科にさして忌避感の無い彼女なら、何かの思いつきで「紹介」してしまうこともあるだろう。
そうならないための、監視か。
未だ教室の外を彷徨く影を視界の隅に捉える。それなら、監視すべきは普通科の令嬢の方だというのに。
「その子、お名前は?」
「アルミナ・エメリー……だったかしら」
怖気と共に、記憶が翻る。聞き覚えのある名前だった。よく母や家庭教師が引き合いに出していたような、気がする。
「その話、よく聞かせて?」
鈴を転がすような声を最後に会話は遠くなる。アルミナという名前が反響するように、リシアの耳に残り続けた。
報告事項も少なく終礼は終わり、学生達は思い思いの放課後を過ごす。リシアは朝の決意を新たに、書類を携え職員室に向かった。
廊下に佇む男と目が合い、会釈をする。お仕着せ姿ではなかったが、役所で見覚えのある顔だった。衛士には良い思い出がない。そそくさと教室を後にする。
何をそんなに警戒しているのだろうか。普通科の講師どころか衛士まで駆り出す事態に、不安を覚える。まさか要人警護ではあるまい。同輩の話のとおりなら、要人はここではなく普通科にいる。
単なる「監査」にしては、仰々しいのだ。これでは生徒の不信感も増すばかりだろう。
自身の不信感をため息とともに落ち着けて、リシアは職員室の入口で呼びかける。
「アンナベルグ先生はご在席でしょうか」
一拍ほど間をおいて、返答があった。
「入りなさい」
「失礼します」
一礼をして入室する。いつもなら、終業間際の職員室はもっと閑散としているはずだが今日は人口が多い。増えた人員は普通科の講師や役人であることに気がついて、リシアは日を改めるべきか悩む。
「……お取り込み中でしょうか」
「いいや、別段問題はない」
リシアは迷宮科講師に向かって尋ねたつもりだったが、別の講師が答える。問題はないと言いながら、その目は学生の一挙一動を見逃さずにいるような気がした。
「部外者」から離れ、講師の元へ向かう。
いつもと変わらぬ様子で、講師は席に居た。別班の採取物と思わしき試験管を見つめながら、片手で隣の椅子を引く。
「かけなさい」
頷き、席にかける。要件を述べる前に鞄から書類を取り出す。先日の課外活動についてまとめたものだ。
「こちらが依頼の領収書代わりになるものです。それから、採取物の売買も」
告げる背中に視線が刺さる。講師は書類を受け取り、目を通した。
普段ならこの後に、いくつか質問がある。怪我はなかったかとか、価格は適正だったかとか。ただ、今日はどうだろう。背後の人々に木を向けながら講師が確認を終えるのを待つ。
しばらくして、講師は口を開いた。
「これは控えても」
「はい」
紙の端に署名を書き入れ、再び向き直る。
「次の依頼の目処は」
「探しているところです」
「そうか」
一度講師は言葉を切る。
「この調子で励みなさい」
いつもなら、嬉しい励ましの言葉だった。それが今日は当たり障りのない響きに思えて、リシアは自身に嫌悪感を抱く。
「頑張ります」
リシアもまた、無味無臭の答えを返す。
背後の部外者に向かって自身の成果を見せつけてやりたい。だが、彼らはリシア個人の歩みなど一笑に付するのだろう。
講師の立場を理解することはできないが、今は難所なのだと感じる。アキラとよく似た感情の見えない灰色の目を見つめ、伏せた。




