アルマンディン邸にて
会に出ると、皆が腫れ物に触るように扱う。その度に憤慨する父にも、紛れ込む嫌な手つきにも慣れてしまった。
慣れたけど、楽しいと思えるわけではない。むしろ退屈だ。
今日だって本当は、あの子のお家でお茶をする予定だったのだ。けれども、アルマンディン家のご息女の誕生祝いを聞きつけた父に、予定を変更されてしまった。「リシアも来るよ」と言っていたのに、今この場所に友人の家族も、友人本人の姿も無い。
「おとうさま」
父に声をかける。当の父は誰か貴族に縋り付くのに必死で、娘の声など耳に入っていないようだった。
寂しくなって、紅い広間をあてもなく彷徨く。
同じ年頃の子供達は、主役であるアルマンディン家の令嬢の周りに集まっている。彼女も、彼女の周りの子も、「仲良し」ではない。特に主役のあの子は、少し意地悪なのだ。
「お願いがあるなら、ちゃんと言って」
以前のお茶会で、怒ったような口振りでそう言われたけど、よくわからなかった。「お願い」なんて何も無い。ただ、周りの人はみんな親切にしてくれるだけ。
遠巻きに子供達を見て、踵を返す。
大人達の中に見覚えのある恰幅の良い姿を見つけて、小走りで近寄る。
「リシアのおとうさま」
この喧騒の中ではかき消されてしまいそうな声だったが、父よりも耳の良いスフェーン卿はこちらをすぐに見つけてくれた。膝を折り目線を合わせて挨拶をする。
「やあ、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
挨拶をして、辺りを見回す。
「リシアも、いらっしゃるのですか」
「ああ、実はその事なんだけどね」
遠くのアルマンディン卿を気にするように、スフェーン卿は声をひそめる。
「楽団が練習をする小部屋は知っているかな。今、そこにリシアがいるんだ。とても緊張しているようだから、会いに行ってあげてほしいな」
「まあ」
父が言っていたことは本当だった。お茶会の予定が無くなった後、リシアもここに連れて来られたのだ。それにしても、緊張しているとは一体何があるのだろう。
「わかりましたわ。元気づけてきます」
「ありがとう」
そう告げると、スフェーン卿は穏やかに微笑んだ。すぐさま小部屋に向かう。
小さな手で分厚い扉を叩く。中から、元気のない友人の声が返ってきた。
「どうぞ……」
背伸びをして扉を開ける。隙間から顔を覗かせると、浮かない顔の友人は瞬く間に表情を変えた。
「マイカ!」
「リシア、どうしたの。とても悲しそう」
手を取りながらそう尋ねると、友人は首を横に振った。
「ううん、悲しくはないの。ただ、こわくて」
「こわい?」
「……今日ね、とつぜんおかあさまに、ここで歌ってほしいっていわれたの。びっくりして、そのままここにきちゃった」
友人が歌の練習をしているのは知っていた。いつか披露するのだと言っていたけど、それが今日になるとは、当人も思ってもいなかったようだ。
マイカとしても、少しびっくりした。最初に披露してくれるのは、アルマンディン家のあの子ではなくてマイカにだと思っていたからだ。
リシアはうつむく。
「うまく歌えなかったらどうしよう」
しょんぼりとする友人を見て、首をかしげる。歌いたくないと言えばいいのに。そう告げようとして、何か覚悟を決めたようなリシアと目があった。
「ううん。練習たくさんしたから、だいじょうぶ」
にっこりとリシアは微笑む。言おうとした言葉を少し含んで、囁いた。
「リシア、かくれんぼしましょう」
今度はリシアが首をかしげた。椅子にかけていた友人の手を引く。
「リシアが歌うまで、まだ時間はあるでしょ?それまでいっしょに遊んでほしいの」
気を紛らわせてくれるのだと、リシアは考えたのだろう。はにかみながら頷いた。
「うん」
「わたしがリシアを見つけるから、どこかにかくれて。このお部屋はせまいから別のところね」
そう言うと、友人はほんの少し怪訝な顔をして、でもすぐに扉の方へ向かった。
「じゃあ、百かぞえてね」
扉を半開きにしたまま、リシアの足音が走り去る。
小声で数えながら、これからのことを考える。どれだけこの遊びを長引かせればリシアの初舞台は無くなるのだろう。きっとスフェーン卿は途方に暮れるだろうし、令嬢は腹を立てるはずだ。そうしてリシアはきっと、とんでもないことをしたと震え上がる。それは少し可哀想だけど、みんなの面前で歌を失敗してしまうことのほうが可哀想だ。
それに、もしリシアが怒られてもマイカが慰めればいい。そうすれば周りは少しだけ優しくなることを知っているのだ。
全部終わったらその時は、またリシアのおうちでお茶会をする約束をしよう。そして、今度はマイカの誕生日に歌を披露してほしいとお願いをする。そうすればリシアもきっと、喜んでくれるはずだ。
もっとも、この目論見は上手くいかなかった。
隠れ場所を探していたリシアは別の招待客にあえなく見つかり、マイカの知らぬ間に広間へと連れて行かれた。そして予定通り、アルマンディン家の令嬢に歌を贈った。
鍵盤琴の伴奏を耳にして慌ててマイカが広間に向かった時には、既にリシアは一曲目を歌い終わり、喝采と共に次の曲に移るところだった。
そうして歌い出した彼女を見て……少しだけ、この目論見が失敗して良かったと、思ったのだ。




