悔悟
手土産を抱え、聖女は立ち尽くしている。
律儀なことだと思いつつ、自身も気持ちばかりの品を携えてゾーイは声をかけた。
「待たせた。すまない」
どこか遠くを見つめていた瞳が、ゾーイを鈍く映す。すぐに浮かべた微笑みが浮世離れした雰囲気を覆い隠した。
「いいえ!今来たばかりです」
制服の裾を翻し紅榴宮を向く。斜陽が染める宮殿は、王の膝下。グロッシュラー家からすれば「敵地」と言っても差し支えの無い場所だろう。そこに悪びれもせず、喜色を浮かべてマイカは踏み入る。
「驚いていましたね、班長」
和やかに告げた言葉にため息が出る。あれは、確実に班長の寿命を縮めただろう。
先日のスペサルティン卿との会談は「保留」で終わった。大抵、保留やら検討というのは暗に拒絶が入っていることが多いのだが、今回ばかりは訳が違った。
スペサルティン卿の様子が明らかに違っていたからだ。
マイカと共にスペサルティン邸に出向き、相対した時はまだ平生の女公爵だった。冷ややかな目つきは姪とは似ても似つかず、迷宮科の学生二人を言葉少なくもてなす。どう考えても無理筋だと思っていた。
風向きが変わったのは、マイカがリシアの近況を話した頃だったか。
「リシアは今日、最前線に行きました。エラキスに戻るのは明日のようです」
茶杯を持った手が一瞬止まり、女公爵はマイカを一層鋭く見つめたのをよく覚えている。背筋が冷える思いだった。
「……彼女はまだ一年生のはずだけど」
「講師の許可が下りれば、いつでも長期遠征に出られるんです。迷宮科発足当初はどうだったかは、わかりませんが」
講師と上層部で、何度か講義計画の見直しは行われている。それは女公爵が首を突っ込むべき事項ではないと、スペサルティン卿自身も弁えてはいたのだろう。
だが不信感は確かにあったようだ。
「私達もまだ、長期の依頼は受けられていないんです。凄いですよね」
場違いな程にマイカは声を弾ませる。
「でも、正直に申しますと……不安で堪りません」
一転、表情が翳る。
「リシアは何か急いでいるようです。私と別れて他の子と迷宮に潜っているのも、焦りがあるからでしょう。私が至らないのが、原因なのですが」
目を離したばかりに、と悲しげに眉を顰める。
「だから、リシアを班に呼び戻したいのです。もう無理はさせたくないから」
隣にかけていたゾーイは、表情を変えないように必死に食いしばる。第六班について明らかに誤った印象を与える発言だ。まるで班長が己かのような振る舞いを、マイカは平然と行う。
「第六班にリシアが所属すれば、私から現況を報告もできます」
「……だから、迷宮科により深く関われと?」
女公爵は低く囁く。
「いえ、そういうわけでは」
「はい」
耐えきれなくなって口を挟んだゾーイとマイカはほぼ同時に口を開いた。口を塞ごうとした手を理性で止めたゾーイの横で、更に聖女は語る。
「学苑を変えるには、それしか方法はないかと」
鈴を転がすような声が、目眩く話を変化させる。
「随分と高尚なことを」
「そうでもしなければ、リシアを死地へと送り出すことは止められません」
「内部にいるデマントイド卿ですら、強硬手段を取れないというのに」
「デマントイド卿は既に講師側、学苑側の人です」
危うい。「失礼」で済む状態ではないと考え、ゾーイは女公爵の表情を盗み見た。変わらず、冷たい印象を与える瞳がマイカただ一人を映している。
「スペサルティン卿、私達の……リシアの味方は貴女だけなのです」
リシアの名を出せば女公爵は動くと、マイカは言っていた。しかし実際はどうだ。
「マイカ・グロッシュラー。貴女の目的は何かしら」
不信感を募らせただけではないか。
「先程から出ている班とは関係の無い生徒。彼女を助けたいと貴女は言うけど……当の本人が此処に来ていないということは、其方との意思疎通が取れていないのでは」
やはり。この件はほぼマイカの独断だと、露呈している。
「彼女が助けを求めたの?それともただ、私と話をするために名前を出しただけかしら」
そう告げる声に、今までと違う何かが滲んだ。
女公爵にも身内を案じる気持ちはあったのだなと、どこか冷静にゾーイは思う。そして班の戦略に利用されたことに怒りを覚える様にも、当然かと納得する。
いつものマイカなら、班長か誰かの背後に逃げ隠れるような剣幕だ。
しかし今回ばかりは違った。
「リシアは彼処にいるべきではない」
密やかに聖女は告げる。
「スペサルティン卿も、スフェーン卿も、本心ではそう思っているのでしょう?あんなことが無ければリシアは、今頃舞台にいた。これは機会です。今なら過ちを正すことができます」
その時確かに、女公爵は揺れた。
だから。
「うまく行きます、きっと」
斜陽の翳りの中で微笑むマイカの言葉に、勝算もないまま乗ってみようと思ったのだ。
「今日で、スペサルティン卿は快諾してくれると思います」
「それは希望的観測だ。次の手も考えないと」
「次の手ですか」
マイカは考え込むように頬に手を添える。実のところ、次の手など何も考えていないのだろう。彼女は確信しているからだ。
「……こっちは謝罪の言葉を考えておく。言葉で足りるのか不安だが」
「そんなに怖がらなくても。とても優しい方ですのに」
「君は随分とスペサルティン卿に対して気安いというか、懐いているんだな。特に接点もないだろうに」
「好きなんです。スペサルティン卿とお話しをするのが」
見たこともないほどの満面の笑みで、マイカは告げる。
「リシアの話をたくさんしてくれるから」
眩しいくらいの夕陽を浴びた瞳には、目前のものは何一つとして映っていなかった。




