地上へ
その場に留まり同業者と語らう者、書類を片手に地上へと向かう者。混沌とした通路の中で、リシアは女冒険者の姿を探す。
通行人に揉まれながら、なんとか地上口に向かおうとしている後ろ姿を見つけ、声をかけた。
「アニュイさん」
足を止め、アニュイは辺りを見回す。横を通り抜けた冒険者が何事か呟き、それに対して申し訳なさそうに頭を下げた。慌ててアニュイに歩み寄る。
「向こうに行きましょう」
「あ、ありがとうございます」
人混みに慣れていないのだろうか。身を縮めながらアニュイはリシアに着いてくる。
「地上口は久しぶりで……」
案の定、冒険者らしからぬ発言が出た。最前線の大通路はともかく、アニュイが彷徨いているという小通路が混み合っているとも思えない。静かな冒険をしてきたアニュイにとっては、ここは賑やかすぎるのだろう。
「フェアリーさんは?セリアンスロープさんとは先程挨拶をしましたけど」
「アムネリスさんも帰りました」
「そうだったんですか」
アニュイへの挨拶は代表に任せていたらしい。
「その、休憩の時のお話……」
念の為、おそるおそる尋ねる。アニュイは微笑みながら頷き、答えた。
「楽しみです」
安堵しつつ、アキラの方を見る。
「楽しみですね」
こちらも、まだまだ話は聞き足りなかったようだ。
元の配置場所に戻ると、変わらず夜干舎の組合員がたむろしていた。ケインが真っ先に気付き、手を振る。
「やあ。初めまして……ではないか」
差し出された手を、アニュイはごく自然に握る。浴場での事は覚えているだろうか。自己紹介をする横顔からは表面的な笑顔以外何も見て取れない。
「私はケイン。夜干舎の代表をしている」
「あら。先程も夜干舎さんとは」
「同じ名前の組合があってね。まあ、大したことでは無いよ」
しれっとした顔で告げるケインに対して、アニュイは糾弾することもなく頷く。
「こちらはライサンダー。そしてハロ。ハロは、世話になったみたいだね」
「ああ。あの時のハルピュイアさん」
会釈を交わす。危うげなところもない会話を、リシアは少し距離を置いたような心地で見守る。
道中の違和感が嘘のような「普通の冒険者」だった。これなら、と踏んで口を開く。
「浮蓮亭で一緒に食事でも、と話していたんです」
「一緒にって」
気を抜いていたのだろう、リシアの言葉を復唱したハロは即座に口を閉ざす。先に話をしていたケインは、頷きながらアニュイの荷物を指差す。
「しばらくエラキスに滞在するのかな?それを売る必要もあるだろうし……浮蓮亭では引き取りもしてくれる。少し日にちはかかるが」
「まあ、そうなんですか」
何か気掛かりなことがあったのか、アニュイは目を逸らす。
「できれば今日中にと、思っていたのですけど」
すぐに前線に戻りたいということか。納得しそうになり、信じられないものを見るような目のハロが視界に入る。
「……いいえ。どこか宿を探して、泊まります。たまには地上の空気を目一杯吸いましょう」
そう告げて女冒険者は笑った。困ったような眉が、彼女の内心を如実に表していた。
対する代表は、どこか気が抜けたように頬を緩める。
「それなら、私達も一緒に浮蓮亭に向かおうか」
ケインの言葉を既に察していたのか、夜干舎一同は各々返答をする。
「どうせ他に行くあてもないし」
「お腹空きましたね」
多少の距離はあるが、夜干舎一同はアニュイの同行を受け入れてくれた。自然、皆の足は地上口へと向かう。
歩みながらリシアは辺りを見まわし、学士の姿を探す。
「アガタさんに挨拶しとこう」
そう告げると、アキラも了承したように頷く。おそらく碩学院側はまだ作業が残っているはずだ。今一緒に地上には戻れないだろう。
少し人混みがはけたところで、学士の姿を見つける。大きく手を振ると、向こうも即座に女学生達を見つけて手を振り返してきた。
「お疲れ様!貴女達は解散よね」
「はい。アガタさんはまだ……」
「そうなの。これから事後報告会。数学科がどこかの会議室を取ったって言ってるんだけど、構内にそんなところがあるのね」
「駅構内ではなく、役所だと思います」
以前確認した構内図を思い返しながら告げる。アガタは肩をすくめ、ぼやいた。
「しばらくは解放されないと思う」
しかしすぐに目を瞬かせる。
「ところで、そのままお家に帰るわけではなさそうだけど」
「一度浮蓮亭に寄ります」
「あら、やっぱり?それなら私も反省が終わったらお邪魔しようかしら」
そう告げて、慌てて何かを否定するように手を振る。
「待ってて、って事じゃないからね。学生は早めに帰ること!」
なんて、言えた口じゃないけど。
そう寂しげに溢して、アガタは再び笑顔を見せる。
「それじゃあ、またね」
踵を返し、学士が集う中へと去り行く。
止まっていた足を再び動かし、少し離れたところで待っていた夜干舎と合流する。
「きっと疲れ果てて浮蓮亭に来ると思うぞ」
「そういえば、浮蓮亭は何時ごろまで開いているんでしょうか」
「そもそも閉店してるのを見たことがないかも」
「確かに、定休日とか聞いたことがない」
耳の良いセリアンスロープの話が発端となって、浮蓮亭に関する様々な憶測が飛び交う。それをアニュイは傍らで、にこにこと微笑みながら聞いていた。
その目が、不意にリシアを捉える。
「みなさん、親切ですね」
音もなくアニュイは距離を詰める。わざとではないのだろうが、若干の威圧を覚える仕草にリシアは息を呑む。
「そ、そうですね」
「貴女達二人のこと、気にかけているのがよくわかります。お風呂の時も、食事の時も」
その言葉を聞いて違和感を覚える。何も気にかけていないようで、実はつぶさに観察していたのか。
「……はい。本当にお世話になっています」
頷く。アニュイもまた、真似るように小さく首を縦に振った。
「浮蓮亭というところが、貴女達の帰るところなのでしょうか」
一瞬目を見開き、微笑む。
「そうかもしれません。家と並んで、帰り着く場所」
アニュイの目に穏やかな光が宿る。
瞬時に、その色が別の何かに塗りつぶされた。
「彼女の手を離しちゃダメですよ」
女冒険者は低く囁く。
「アキラさんは、私と同じニンゲンです。迷宮から出られないヒト。ちゃんと連れ帰ってあげてくださいね」
みなさん、それをわかっているみたいですから。
その言葉を最後に、アニュイは元の距離感に戻る。忘れていた呼吸を思い出し、は、と息を吐く。
「……はい」
小さな返事は、そよいだ風に掻き消える。ふと前を見ると、長い長い階段が現れていた。階段の先に続く喧騒がひどく恋しくて、歩みを速めた。
前を行くアキラが、階段に足を乗せる。
ただそれだけの光景に、リシアは安堵した。




