解散
すれ違う人々が増える。
これから前線に向かうのか、依頼で近辺に用があるのか。振り向けば、隊列のすぐ隣を見覚えのない冒険者が歩いている。先程通り過ぎた地上口から降りてきたのだろうか。彼らもまた、エラキスに向かう道連れのようだ。
俄かに活気付いてきた通路を歩きながら、リシアは手帳を開いた。
「そろそろ着くね」
そう告げると、アキラはどこか名残惜しげにため息をつく。
「終わりかあ」
「依頼はまだだから、気を引き締めていこうね」
「うん」
旅の終盤は気が緩む。それはアキラも承知しているようで、肩を回し、荷を背負い直した。
最後の休憩から然程時間は経っていない。熊の襲撃の時に持った展望よりも、ずっと早く一行は進んでいた。現金なもので終わりが近いと感じると一層足取りも軽くなる。配分に気をつけなければ、と自制しつつ水を飲む。
浮き足立っているのは冒険者だけではない。学士達からも何やら労うような声が早々にあがっている。
「今回の調査も疲れた」
「ホルンフェルスは成果あって良かったな」
「はい!」
「アガタは」
「私もちゃんと記録取れたわよ。これで具体的な工程を出せる」
聞き耳を立てるリシアの側で、アキラは何か別のものが気になったのか前方を見据える。リシアもまた相棒の挙動に気付いたのか視線を向けた。
「どうしたの」
「出口が近くなると、空気が動くなと思って」
そう言って細長い指を立てる。つられてリシアも指を立てると、確かな風の動きがあった。
「そう言えば、瓦斯の話は聞くけど窒息とか中毒もあるの?」
「駅付近ではまだ報告は無いけど、深部や他所ではあるみたい。水場の迷宮とか」
「じゃあ、あの小迷宮にもあるかもしれないんだ」
「そうだね。もしかしたら、この間の火事騒ぎもそれが原因だったり?」
キノコ狩りの際の出火を思い出す。ウィンドミルを扱うリシアからすると他人事ではない話だ。他の種族はともかく、ドレイクは淀みを察知することに長けてはいない。瓦斯はともすれば、野生動物や遺物よりも恐ろしい相手になりうる。
「何があるかわからないね」
「そうだよ。迷宮は怖いところなの」
呑気なアキラに言い含めるように告げる。微動だにしない横顔をじとりと見つめながら、ため息をつく。
本当に、わかってくれているのだろうか。
前線で見たアキラの後ろ姿を思い返す。たとえ釘を刺したとしても、彼女は何かのきっかけで、どこか遠いところへ駆けていってしまいそうだ。それがただの杞憂であれば良いと思いつつ、口を開く。
「無事に帰り着かなきゃ。セレス様もパン屋のあの子も待ってるんだから」
夜色の瞳が此方を見下ろす。唐突なリシアの言葉に、アキラは確かに頷いた。
「瓦斯溜まりが無いといいけど」
「怖いこと言わないの」
軽口を叩き合い、道を行く。
土を踏み固めただけの地面が、次第に整地された「道路」に変わりゆく。歩き易さを感じ取ったところで、笛の音が響いた。
「やっと地上口か」
誰かが呟く。
列が止まった。
「地上広場の混雑が予想されるため、人員の確認と解散は此方で行う」
長らく声を聞いていなかった数学科の学士が、遥か先頭でそう告げる。途端、隊列が崩れ冒険者同士が何やら集まり始めた。
「書類の配布と確認が行われるのでしょう」
自身はその場から動くこともなく、ウゴウは学生に向けてそう言った。
「おそらく代表の招集がかかる」
すぐに、再度笛の音が鳴り響いた。代表者の集合を求める声に応じる。
ウゴウの後に並び、順番を待つ。先頭で渡されているのは、どうやら役場窓口で報酬と引き換える書類のようだった。小物入れを探り、念の為申請書の控えを用意する。
リシアの番が来た。
ウゴウの影から、シルトの陰鬱げな姿が現れる。淀んだ緑色の瞳と目が合った。
「君は……」
か細くシルトの声が漏れる。
「お父上は、ご健勝でしょうか」
数拍遅れたのち、返事をする。
「は、はい。元気です」
数学科と聞いていたが、まさか父を知っているとは。驚きつつ、リシアは曖昧な表情を浮かべる。アキラとシノブほどでは無いが、リシアも血の繋がりを感じさせる顔立ちをしているのだろう。少し複雑だが。
シルトは何事もなかったかのように、手元の書類に視線を落とす。
「屋号は」
「学苑第四十二班です」
「はい」
既視感のある淡々としたやり取りの後、書類を貰い受ける。採集よりは大きい額面に頬が緩む。
「ありがとうございます」
礼を述べ、足早に同輩の元へと戻る。アキラ一人を残してきたが、リシアが戻る頃には見慣れた組合員達が集まっていた。
「お疲れ様。といっても、まだ目的地じゃあないが」
同じ書類を懐に納め、ケインが微笑む。既にハロは気抜けしたように、荷物を地に下ろして座り込んでいた。
「疲れたぁ」
「熊も売りに行かないとな」
「うげ、そうだった」
「浮蓮亭で引き取ってくれるのでしょうか」
随分と大荷物になったライサンダーが呟く。これまでも虫やら蛇やらを渡した店主の伝手なら、熊ぐらいは引き取ってくれそうだ。
「ウゴウは……また雲隠れか」
「あんまり接触しないの。怒ったら手つけられないんだから」
「すまないすまない。それじゃあ、そっちの夜干舎とはここでさよならだな」
「ええ。また迷宮で会いましょう」
一時の間、同じ仕事をしたフェアリーはケインからリシア達に複眼を向ける。
「貴女達も、またね」
外套の下から二本の腕が、ひらりと揺れる。深く頭を下げ、姿勢を戻した時には彼女の姿は無くなっていた。
「地上に出たら、君らはどうする?」
ケインの問いに、リシアはもう一人の左翼担当を探す。この場にはいない。他の冒険者と同様に書類を受け取りに行ったのだろう。
「アガタさんに挨拶をして、それから浮蓮亭に……アニュイさんと一緒に」
ぴん、と驚いたようにケインの耳が立ち上がった。
「いつの間にそんな関係に」
「おすすめの店を聞かれたので」
「なるほど」
興味深くリシアの話を聞くケインの目には、好奇の他に何か別のものが宿っていた。
笛の音が劈く。
「これにて、解散とする」
学士の声が微かに反響した。
地上への道を幾らか残して、送迎依頼はひとまず完了した。




