立て直し(3)
ハロが座り込んでいる間に、周囲の様子は刻々と変わり行く。同僚に肩を貸され歩む斥候の少女、熊を見物に来たらしい冒険者達、呼ばれて駆けてきた夜干舎の代表。
「怪我は」
「問題ないよ」
開口一番、ケインは組合員の身を案じる。ついこの間まで固定していた手を振り、ハロは気だるげに答えた。
「血抜きは済んでる」
「まあ、あの感じだとね」
黒々と血の染み込んだ地面を眺め、頷く。切り裂かれた腹も解体の手がかりとして好都合だ。あの裂傷が致命傷だとしたら、どのように切りつけたのだろうか。リシアは視線を落とし、蹴爪を見つめる。
なるほど。こう使うのか。
「配分は」
「全部うちのだと思う。あの通りだから」
ハロが顎で示した先では、先程見かけた斥候の少女が手当を受けていた。滲む涙を目にして、思わず目を逸らす。痛み以外の感情が含まれているように見えたからだ。
「何匹か後ろにも行ったはずだけど、どうなったの」
話を振られ、リシアは同じ配属の冒険者が難なく倒したこと、その冒険者が戻らないため探していることを伝える。後半部分には興味が無いのか、ハロは生返事をした。
「ふうん」
「熊の爪を持っていたけど、見かけていない?」
「知らない。ケインは?ここに来るまでに見た?」
「いいや」
異種族二人の返答を聞いて、リシアはアニュイの異様な影の薄さを思い返した。アニュイを気にかける余裕も理由も無いとはいえ、ドレイクよりも優れた感覚を持つ二人の視界に入らなかったのは、不思議な気もする。
「ケイン、解体手伝って」
「もちろん。まあ、今は休んでいてくれ」
夜干舎代表は小刀を抜き、熊に近付く。休めと言われたハロは、蹴爪の血を拭うように指を滑らせた。
「ちょっとブレたな」
反省するような言葉を溢す。案外克己的なところも、この頃よくわかってきた。
「肉、二体分は流石に引き取ってもらえないか」
腑分けをしながらケインは呟く。「荷物」を減らそうとしているのだろう。ライサンダーのことを鑑みても、肉と毛皮を持ち運ぶのは骨だ。一方でアニュイの交渉がうまくいっていれば、既に尾花堂では肉は間に合っている。
ふと気になって、ハロに尋ねた。
「仕留めた動物を捨て置く、ってこともあるの?」
刃を拭う手は止めず、しかし眉を顰めてハロは告げた。
「そんな事は起きないように仕留めるってのが前提だけど……他の組合に引き取って貰ったりするよ。手を出してなくてもね。それでも処理できなかったら、燃やすしかない」
「そうだったんだ」
「屍肉を漁る奴らが増えるのが、一番困るから」
通路内の治安を保つことは共通認識のようだ。ゴミ捨て場を設け、それを使うことを徹底できなかった事例を思い出し、複雑な気分になる。
ハロと話す間にも、熊は次第に形を失っていく。先程アニュイがそうしたように、熊の毛皮が折り畳まれた。
「終わったよ」
「早いね。手伝う隙もなかった」
「休めたかい」
「ん。ありがと」
ケインと言葉を交わしながらハロは立ち上がる。血を拭い去った蹴爪が妖しく輝いた。
「やっぱり肉がな」
「お見舞いがわりに声かけてみる?」
「今はそれどころじゃなさそうだ」
ハロが示した先で、先程の斥候が治療を受けていた。声をかけられる雰囲気ではない。
「となると、うん、尾花堂の女将さんに声をかけよう」
「じゃあ僕が交渉してくる」
音も無く二、三歩進み、熊の傍で軽く地を蹴る。
斬り飛ばされた爪を拾い、ハロはリシアに向かって告げる。
「そっちも、人を探してる途中なんでしょ」
「うん、尾花堂に行ったかも」
特に返答もなくハロはすたすたと荷車へと歩む。
一緒に行く、ということなのだろうか。訝しがりながらもアキラと共に後を追う。
進むにつれ、隊列の乱れが目立つようになる。その原因が散乱した荷物にあることに気付いて、荷車を注視した。
「もしかして、荷を荒らされた?」
小声だったが、ハロの耳にはしっかりと届いたらしい。一瞥して答える。
「後ろに行った奴が暴れて、荷車にぶつかったみたい。尾花堂のやつかはわからないけど」
「そうだったんだ」
道理で待機が長かったわけだ。怪我人も出ているのだから、熊の損害は後部のリシア達が思っていたよりも大きかったようだ。
「それで、探してるのはあのドレイク?」
細い指が一点を指し示す。
傾いた荷台の側で、尾花堂の女将が指揮をとっている。自身も散乱した荷物を抱え、別の荷車へと運ぼうとしている。
理由はすぐにわかった。
「ほら、空いたからここで寝転ぶくらいはできるだろう」
「すみません。ご迷惑をおかけします」
「いいんだよ。怪我人は寝て休んでな。向こうの治療が終わったら学士が此処にも来るはずだ」
空いた荷台に、支えられながら冒険者が乗り込んだ。燻製肉と乾酪を渡してくれた組合員だ。
その様子を遠巻きに見つめながら立ち尽くす、女冒険者の後ろ姿を見つけた。
「困ったね。荷物が……」
何事か呟きながら、女将は紙袋を拾い上げる。熊に裂かれたのか、隠れた破れ目から乾パンが滑り出た。
「ああ、もったいない」
しゃがみ込む女主人に、アニュイが近付く。
「あの」
女冒険者は囁く。
「熊を仕留めたんです。買い取ってもらえませんか」
暫し無言のまま、女将は乾パンを拾い集める。最後の乾パンの汚れを払った後、小脇に紙袋を抱えアニュイを見上げた。
「さっきも言ったけどね、今はそれどころじゃないんだ」
リシア達から、女将とアニュイの表情は見えなかった。ただ、かける言葉も失くなるような険悪な雰囲気が、そこに漂っていた。




