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 相対する「熊」は威嚇を終えたのか身を屈め、地を蹴る。足元が揺れるような錯覚にリシアは爪先に力を入れた。ウワバミの滑るような動きとは違う、息遣いと熱気を伴った襲来が、頬に汗を伝わせる。


 避けることを考えなさい。


 アムネリスの言葉が再度響く。避ける。これだけ直線的な動きだ。きっと避けられる。でもまだ遠い。今動けば隙を見せることになってしまう。防戦の構えを取る。ウィンドミルの炉が、いつもよりも鮮やかに見えた。


 幽鬼のように人影が目の前に立つ。


 袖口から微かな音も立てずに、鎖と錘が滑り落ちた。


 ふらりと現れた人影を見上げ、一瞬リシアは気を取られる。


 誰だったっけ。


 そんな考えが脳を過り、即座に熊の存在を思い出す。これでは動きが見えない。まさか庇うつもりなのか。だとしても、こんなに、気迫を感じさせないことがあるのか。


 ほんの一瞬、風を切るような空気の動きがあった。


 咆哮が轟く。


 体勢を崩した熊が、地を削った。


 前脚に絡みついた鎖を見て、何が起きたのかを理解する。しかし理解をしたその瞬間、既に当事者は目の前からいなくなっていた。


 もがく熊の真横に冒険者は立つ。薄刃の剣を抜き、頸に刺し入れた。


 一連の所作に、躍動感や緊張感は一切感じられなかった。


 とにかくその一刺しで、熊は絶命した。


 剣を捻り抜き、切先から血を滴らせながらアニュイは顔を上げる。


「一体は仕留めました。前方に加勢しますか?」

「いいえ、こちらで待機しましょう。向こうもすぐに済みそうだし」


 アムネリスとアニュイの応対の最中、リシアは呆然と立ち尽くす。あまりにも呆気ない討伐に脳の処理が追いつかない。アニュイの立ち回りは最低限の動きで成り立っていた。あんなことが、可能なのか。


「起こしましょうね」


 前方の喧騒が響く中、アニュイは熊の肩を引き仰向けにする。用いたのが小剣だったためか、毛皮は殆ど汚れていない。光を反射する艶やかな毛並みは、クズリやイタチ以上に有用に思える。


 それよりも、灯りの元でようやくはっきりと見えた熊の顔に、リシアは驚いた。


「うわ、何これ」


 一瞬、ヒドラが口から這い出たのかと思った。触手のように枝分かれした赤い鼻先がぐったりと枝垂れる。


「ホシバナは初めて?」


 獣の傍でしゃがみ込んだアニュイがこちらを見上げ、問いかける。


「はい。その、熊を見るのも初めてで」

「そうだったんですか!じゃあ、驚いたでしょう」


 絡まった鎖を解きながら、女冒険者は目を丸くする。


「大きいし、速いし、攻撃的だし。突進はもちろん、撫でられただけで大怪我をしちゃいます」


 そう言いながら、巨大な鉤爪の生えた手を見せた。クズリの比ではない凶器にリシアは怖気付く。


「本当に熊手だ」


 その背後で、納得したような声音でアキラが呟いた。


「ケラの手に似てますよね」

「確かに、土を掘り返す手」


 収斂進化だったか。


 父の本に書いてあった用語を思い返しつつ、リシアは遠巻きに告げる。


「あの、解体お手伝いしますか」


 喉に切れ目を入れながら、アニュイは微笑む。


「これぐらいなら、一人でも出来るから大丈夫。ありがとう」


 そう告げられると、引き下がるしかない。


 ふと思いあたる。倒してもいないのに始末を手伝おうとするのは、警戒されるのだろうか。自身の不用意な発言を思い返しながらリシアは所在なさげに辺りを見渡す。


「……熊肉、食事用に欲しがるかしら」


 ぽつりとアニュイが溢す。休憩時のやり取りを思い出して頷きかける。


「熊、喜ぶと思います」


 先にアキラがそう告げた。


「それなら、声をかけてみましょうか」


 血の臭いと湿気を含んだ熱気が立ち昇る。いつの間にか腹を暴かれていた熊を見下ろし、リシアは尋ねる。


「熊を仕留めた時、どこを刺したんですか」


 作業の最中、特に表情も変えずにアニュイは答える。


「脊髄です。いわゆる急所ですね。突き刺して、捻る」


 自身の首の後ろに手を当て説明する。つられてリシアも首に手を伸ばした。


 急所に関しての知識はもちろんある。執事から学んだ剣術は、元々はそういった精密な剣捌きの物を動物にも対応できるように調整したものだった。


 ただ、彼女のように実践できるかは別問題だ。


「力は必要ないので、誰でも試せると思いますよ」


 軽い質感の言葉が続く。


 心中を見透かされたような気がして、リシアは愛想笑いで驚きを隠した。


「突き刺して、捻る」


 隣でアキラが復唱する。感慨もなく、ただ耳に入った言葉を反射的に放った言葉のようだった。


 あの動きを難なく「実践」するアキラの姿は、容易に想像できた。

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