復路(5)
水を補給した後、持ち場へと戻る。アムネリスとウゴウの姿はまだ無く、壁際でぽつんとアニュイが腰を下ろしていた。
「あ……」
目が合う。特有の困ったような笑顔を浮かべ、アニュイは会釈をした。
一人で食事をとったのだろうか。声をかければ良かったかと思いつつ、振り払う。向こうの都合もあるだろう。
先程までのリシア達と同じように丸めた寝袋の上に腰を下ろしたまま、こちらを見上げてアニュイは尋ねる。
「休めましたか?」
「はい」
「アムネリスさんとウゴウさんは」
「そろそろやって来ると思います。他のお仲間と話しているみたいで」
そう告げた側で、アキラが囁く。
「ん、来た」
夜色の瞳が見据えた先から「夜干舎」の二人がやって来る。アニュイは立ち上がり、二人を出迎えるように支度を整えた。
「そろそろ動くそうだ」
「忘れ物、ない?」
アムネリスの質問を受けて、改めて荷物を確認する。アキラの荷物にもついでに目を向け、声と手を上げる。
「はい、問題ないです」
「学生は返事がいいわね。士官学校を思い出すわ」
顎が裂ける。笑ってはいるが、そこに隠された感情がわからずにリシアは戸惑う。
「ええと」
「可愛いってこと」
素直に照れることも出来ず、リシアは返答に迷う。
「恐縮、です……?」
ふふ、とフェアリーの身体から呼気が漏れる。
士官学校ということは、どこかの軍に所属していたのだろうか。身近な元軍属である執事の姿を思い浮かべつつ、アムネリスに目を移す。
言われてみれば、何でもない立ち姿が妙に姿勢良く見えた。帽子や外套もお仕着せなのかもしれない。
何故冒険者に、と聞く勇気は流石になかった。
劈く笛の音が響く。
「次の休憩所まで頑張りましょ」
「はい」
弾みをつけて鞄を背負い直す。ゆっくりと動き出した荷車を横目に、再び一行はエラキスへと向かった。
日の光の刺さない暗い通路の中では、当然時間の感覚も無くなる。少し気になって、リシアは懐中時計を探った。
「十時……そんなものか」
「ちょうどいい具合に休憩があったんだ」
「ちょうど?」
「午前のお茶休憩」
アキラの言葉に首を傾げる。家や学苑ではそんな時間は無かった。
「少し働いたところで、休憩がてら軽食をとる」
「なんだか合理的」
確かに、ちょうど小腹が空いた頃に休憩があった。休憩所との兼ね合いもあるのだろうが、一般的な習慣なのだろう。
「次はお昼で、三時頃にはエラキスに着く感じかな」
「おやつ時間かあ」
多分、おやつは浮蓮亭でなどと考えているのだろう。同輩の顔を覗き見ながら、内心賛成する。
案の定、次の瞬間にアキラの口からは同様の言葉が出てきた。
無論、賛同する。
「もう次の食事のこと考えてるの?」
ひょっこりとアムネリスが横から顔を覗く。照れるリシアの隣で、アキラはいつも通りの無表情で尋ねる。
「お昼はもっと量があるんでしょうか」
「うーん、同じくらいじゃないかしら。なんなら、さっきの残りかも」
「そうなんですか」
「なあに、腹ペコなの?」
流石に腹の虫が代弁することは無かったが、アキラはしっかりと頷いた。
「お昼は量を増やしたいなと」
「あら。それなら少し分ける?」
思いがけないアムネリスの返事にアキラは目を輝かせる。しかしすぐに、「申し訳ない」とでも言うような身振りをした。
「いいのよ、いっぱい食べちゃいなさい」
「でも」
唸り声が響く。
今までの探索では、一度も聞いたことのない唸り声だった。
アムネリスの触角がぴんと立ち上がった。束の間、リシアはウィンドミルを抜く。
「……前方ね」
「クズリでしょうか」
昨日の道中を思い出しながら告げる。しかし、アムネリスは首を横に振った。
「あれはクズリじゃないわ」
外套の下で淡く光が模様を描く。
「熊よ。構えて」
唸り声が近付く。
同時に、前方の隊列が遠目にも崩れ始めた。
「前衛が抑えきれなかった……?」
「もしかしたら、複数匹いるのかもしれませんね。珍しいことですけど」
アニュイが囁く。弾かれたようにリシアは周囲を見渡し、すぐ隣にアニュイを見つけた。気配が湧いて出た、そんな気がしたのだ。
「一匹は斥候と戦ってますね。もう一匹はここに駆けてきます」
前方を向く。黒い大きな気配が、のそりと立ち上がった。その姿がウワバミとはまた違う異様に見えて、リシアは短く息を止めた。
呼気が聞こえる。ウワバミは確かに長大だったが、対峙する獣ほどの「存在感」は無かった。まだはっきりと姿形が見えないことも相まって、恐怖心が増幅する。
そういえば、熊ってどんな生き物だったっけ。
恐怖を紛らわすためか、そんなことを考えてしまう。
「気をつけて。避けることを考えなさい」
アムネリスが鋭く発する。
その隣で、先程まで存在していた気配が忽然と消えた。




