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起き抜け

 百を数える前に、リシアが音をあげた。


「のぼせちゃう……」

「君ら、熱さにも弱いのか」

「人によります」

「個人差かあ」


 茹だる前に湯船から出る。アキラとケインも後を追うように立ち上がった。


「ちょっと失礼」


 ケインは一人、浴場の隅へと向かう。耳や尾の毛が逆立ち、水が散った。脱衣所に戻ってきた際の毛並みを見るに、粗方水分は飛んだようだ。


 あれが出来るようになりたい、などと布で身体を拭いながらリシアは思う。


 迷宮科の制服を纏う。昨日今日と同じ服だが、身体を清めた分気が楽になった。心なしか、アキラもすっきりとしたような表情だ。


「気持ちよかったね」

「のぼせてなかった?」

「のぼせる前にあがったから、今は平気」


 布を畳み、ケインに声をかける。


「外で待ってますね」

「うん、すぐいくよ」


 長大な布を巻き付けながらケインは答える。衣服の後は装飾品もある。少し時間がかかりそうだ。


 アキラと共に浴場の外に出る。振り向き様、番台のセリアンスロープに会釈をした。


「いいお湯でした」

「ん……」


 湿気を含んだ耳が、微かに動く。木戸を開けて宿泊棟との狭間でケインを待つことにした。


 騒ぎ合う声が受付から聞こえて、リシアは耳を澄ませる。


「風呂があるって言ってたよな」

「申し訳ございません、今は女風呂の時間で」


 なんとも申し訳なさそうな従業員の声の合間に、まだ酔いの覚めてなさそうな顔つきの男が浴場へと繋がる扉を覗き見た。


 確かに視線が交錯したのに、男は面白くもなさそうな表情のまま連れの方を向く。


「こっちじゃないな。別の棟か」


 そのまま踵を返し、広間へと戻っていく。


 あの老女か。


 一人リシアは納得する。


 素知らぬ顔で頭を下げる従業員を見るに、「時間外」の対応なのだろう。


「やあ、お待たせ」


 扉が開き、湯気と共に待ち人のセリアンスロープが出てくる。やはりというか、近くの冒険者達は誰も反応しなかった。


「あのご婦人、テンかもしれないな。凄いまやかしだ」

「テン?」

「セリアンスロープの……一種?家や派閥ではないな。種族か。ほら、前話しただろう」


 ぼんやりと浮蓮亭での会話を思い返す。


 セリアンスロープは一つの種を指す言葉ではない。耳や尻尾、臍など「哺乳類」の特徴を持つ「ヒト」全体を指した言葉だ。


 老女は内包される多様な種のうち、テンと呼ばれる種族らしい。


「テンが一番、まやかしが上手いと言われているんだ。まあ私達も、研鑽を積めばできるが?」


 妙なところで張り合うケインを横目に、扉を見つめる。普通なら漂う湯気に気付かないはずはない。視覚はおろか温度や湿度も、彼女は誤魔化しているということか。


「広間に戻ろう」


 その一言と共に足を一歩踏み出す。受付の冒険者達は三人に気付くこともなく、宿から出て行った。


「あと、あの冒険者も凄かったな」

「お風呂一緒だった人ですか?」

「うん。入ってきた時、何かまやかしでもかけられたかと思ったよ」


 似ている。


 そう告げたきり、ケインは口を閉ざした。誰に似ているのか、とは聞けなかった。


 粗方片付いた寝床で、ハロが大きく伸びをしている。寝ぼけ眼でこちらを見据え、呂律の回らない声で呟いた。


「まだ女風呂?」

「そろそろ替わると思う。ハロも入るのかい?」

「うーん」


 手櫛で髪を梳かした後、ハロは首を横に振る。


「今日で帰れるでしょ。いいや」


 よろよろと枕元の爪刃に手を伸ばす。ハロは既に出発する準備を始めているが、ライサンダーはどうだろうか。目を向けると、入浴前と変わらない姿勢で座っている。


「たぶん、まだ寝てる」


 ケインはライサンダーの複眼の前で、ひらひらと手を振った。


「朝だぞー、起きてくれ」


 戸を叩くように軽く肩を打つ。ドレイクの身体からは出ないであろう音が響いた。


 身じろぎ一つしない。


「珍しい。熟睡してる」


 面白がるように呟くケインの隣に、アキラは腰を下ろす。


「蟹、食べに行きましょう」


 そう囁いた途端、触角が動く。


 外套の下で腕が何本か軋み出した。


「……すみません。遅れましたか」

「いいや、まだ時間はある」


 謝罪の言葉と共に宿泊所を離れる準備を始めるフェアリーを見ながら、代表は満面の笑みを浮かべる。


「みんな蟹が楽しみなんだね」

「どこで食べられるんでしょうか」

「とりあえず、昨日解散した場所へ行ってみるか」


 残った寝具や布を鞄に納める。リシアとアキラが支度を整えた頃には、夜干舎一同もいつでも出立出来る状態になっていた。


 それでも、ハロはどこか眠たげに目を擦っている。


「そういえば、昨晩長いこと床から離れていたが」


 鞄を背負うリシアに、こっそりとケインが囁く。


「体調とかは問題ないかい?」

「元気です。昨晩は二階に行ってて」


 耳が立った。いつもの好奇に満ちた目ではなく、明らかな動揺の様子をケインは見せる。


 代表の背後で、完全に眠気が覚めた様子のハルピュイアも視界に入った。


 どこから話せばいいか。ひとまず、リシアは正直に鍵盤琴の音色について話すことにした。

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