休憩所(1)
細い路地から出ると、折よくケイン達が通りがかった。呼び止める間もなく二人は立ち止まる。
「そんな奥まったところにあったのかい」
「はい。買取もするのは此処だけだと」
「こっちは三軒まわったよ。聞いたところ、毛皮なんかは飽和気味みたいだ」
代金を渡しながら各自、店で聞いた情報について共有する。薬局の店主が言う通り、前線で動物由来の素材は珍しくはないようだ。もっとも、三軒は買い取る店があるということは、需要は確かにあるのだろう。
「君らも、良い取引は出来たかい?」
「良い……かはわからないですけど、ちゃんと買い取ってもらえました!」
勉強しろとも言われましたけど、と付け加える。それを聞いてハロが鼻で笑う。
「親切な店主」
「相場とかは、どうしても場数を踏まないとわからないからね。ライサンダーから見てどうだった?」
代表から話を振られた妖精に、リシアとアキラの視線が向かう。言葉を探しているのか黙する間に、緊張が高まる。
「適正だったと思います」
胸を撫で下ろすのも束の間。
「次はもっと食い下がってもいいかもしれません」
「ほどほどにね」
学生街の店主達とはわけが違うのだろうが、腹を括る必要もあるのだろう。先程の店主との取引がより「上手く行った」場合を考えるリシアの顔を覗き込み、アキラが呟く。
「値切るのはやったことある」
頼もしい言葉を有り難く受け取る。
女学生二人のやりとりを眺めていたケインは、頃合いを見てか手を叩いた。
「そろそろ休憩所に向かおうか」
そうして、一角を指し示す。
「と言ってもすぐそこだ」
一見してリシアは面食らう。予想よりもずっと真っ当な「宿屋」に近い店構えだったからだ。二階より上に並ぶ窓の数からして、部屋数も多い。規模が大きいのは最前線ゆえか。
目線が上に向いているリシアに気付いたのか、ハロが念を押す。
「泊まるのは広間だよ。大体一階にある」
「あ、そ、そう」
「まあ、まずは見てもらおう」
先導するケインに着いていく。地下深くとは思えない磨き抜かれた重厚な木の扉を開けると、地上の宿屋と同様、従業員が台越しに会釈をした。
「いらっしゃい。碩学院の依頼で?」
「ああ。他にも続々来てるだろう?」
「ははは」
初老のドレイクは微笑みながら、奥の開け放された扉を指差す。扉の向こうは随分と賑やかだ。
「広間ね」
「まだ空きはあるかな」
「五人分はありますよ」
そんな会話を交わしながら、ケインは赤紙幣を渡す。何と、それが三人分の代金のようだった。
「次は君達」
そう促され、勘定台の前に立つ。ドレイクは目を丸く見開いた。
「学生さんか。珍しい」
愛想笑いを返す。
「残念ながら学生割引はまだ作ってなくて」
軽口の後に示されたのは、ほんの陶貨数枚だった。不安に思いながらもリシアはアキラの分と合わせて従業員に渡す。
「寝具は別料金ですけど、大丈夫そうですね。お手洗いは一階右手にあります」
最後に深々と頭を下げる。一行も礼を返して、広間へと入った。
「おっと、すまない」
途端、ケインがよろける。色とりどりの敷き布や脱ぎ捨てられた靴の合間を、ドレイクとは形の異なる爪先で慎重に進んだ。
見渡す限りの人、ひと、ヒト。荷物と自身が横になる場所のみを確保し、同じ組合同士でかろうじて固まっている。混沌とした空間に足を踏み入れたリシアは、気圧されながら何とかケインの後をついていった。
「五人、本当に入りますか?」
「入る入る。ほら、あそことか」
セリアンスロープが指差したのは壁際の僅かな隙間だった。床板が見えているのは、確かにそこぐらいだ。先に辿り着いたケインは早速荷物を解き、厚手の布を取り出す。
「いやー今日も疲れた!ほら、女学生も」
たしたしと床を叩く尻尾に急かされ、隣に荷物を下ろす。女学生とケインを挟み、ハロとライサンダーも腰を下ろした。
ぽつりとハルピュイアは呟く。
「馬小屋よりはマシってとこでしょ」
答えづらい。
夜干舎にならい、休息の用意をする。寝具を取り出し広げると、確かに五人分の空間は確保できそうだった。
再度、周囲を見渡す。賭け事や酒盛りに興じている集団も居れば、隅で半身を寝袋に埋めながら読書をしている者もいる。騒がしいのは我慢する他ないようだ。
ふと、外観から見た「二階」を思い出す。ちょうど真上がそうなのだろうが、軋みや足音は聞こえない。
空いているのだろうか。
「お風呂入りたい」
一息ついた後のハロの言葉に、ぼんやりと天井を眺めていたリシアは反応する。
「お風呂、ここにあるの?」
「併設してるんじゃない?煙出てたし」
お金出るけど、と付け加えてハロは寝袋に潜り込む。すぐにでも入眠してしまいそうな目つきだった。
「……前線のお風呂って、入らない方がいいとかそんな話は」
念の為ケインに尋ねる。笑いながらセリアンスロープは首を横に振った。
「そんなことはないよ。ただ、我々はお湯を貰って、布で拭うくらいで済ませることが多いね」
そういいつつ、ケインは自身の身体の匂いを嗅ぐ。
きゅ、と鼻に皺が寄った。
「一緒に朝イチで行ってみるかい?」
「いいんですか?」
「ああ。もう夜遅いから、その方が安全だろうし」
毛織物に包まり、耳だけを出して寝転がる。
「それじゃあ、おやすみ」
そう告げて静かになった。
反対側のライサンダーに目を向ける。こちらは寝袋も出さずに、壁に背を預けたまま微動だにしない。寝てるのだろうか。だとしたら、夜干舎は全員寝付きが良い。
「明日もあるからね」
小さく笑いながらアキラの方を向く。こちらも寝袋に収まって、フェアリーの触角を凝視していた。
「リシアも早く寝よう」
「う、うん」
頷きつつ、寝袋を捲る手を止める。
「……アキラ。お手洗いってどこだったっけ」
「一階右手って言ってたと思う」
アキラの瞳がきょろりと動く。
「一緒に行く?」
「ううん、アキラは休んでて。受付が近いし従業員も居るから……見て見ぬ振りとかはされないと思う」
「何かあったらみんなで袋叩きにするって言ってたからね」
そんな事態にはならないように祈りつつ、抜き足差し足で広間を出る。出入り口を抜けた途端、喧騒が遠のいたような気がした。




