お茶
馬車は旧市街地へと進んでいる。
天鵞絨張りの席はほどよく体が沈み、振動を和らげる。
だというのに落ち着かない。リシアは身じろぎをすることもできず、硬直して外を眺めていた。
「ここの坂道、エラキスを一望出来るのね。素敵だわ」
「ね。駅もよく見える」
リシアにとっては見慣れた風景を、二人は興味深げに眺めている。上品に足を揃え、絵画の人物のように外を見つめるセレスタインが不意に口を開いた。
「リシア、だったわね」
「はい」
「グロッシュラー家のご息女とは、どういった関係なの?」
「……幼馴染です」
今はもう、それ以上ではない。
「私の父とグロッシュラー卿が友人で、私も幼い頃からマイカとよく遊んでいたのです。親友と言ってもよかった」
「へえ、そうだったの」
二人の会話を気に留める事もなく、アキラは外を眺めている。あるいは、興味のない振りをしているのかもしれない。
「でも、彼女にとって私は……」
友達でもなんでもなかったのだろう。
リシアは暗澹とした気分になる。
不意に、微かだった馬車の揺れが無くなった。
「着いたみたい」
扉が開き、御者が静かに控える。
「ありがとう、セレス」
「感謝します」
「いいのよ。こっちこそごめんなさい……変な質問したりして」
セレスタインが声をひそめる。そっと顔を近づけ、リシアの耳元で囁いた。
「マイロ家のご子息のようになる前に、離れられて良かったわ」
背筋が凍るような、冷たい言葉だった。リシアは固唾を呑む。
「それじゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」
「リシアも。今度会えたら、ゆっくり話しましょう」
馬車を降りて、そんな言葉を交わす。恐れ多い提案にリシアが戸惑っている間に、セレスタインは御者に指示を出す。
「紅榴宮へ」
音も無く御者は扉を閉め、深々と此方に一礼する。アキラの見事な角度の礼に続き、リシアも頭を下げる。
鞭の音が響き馬車が進み出してようやく、リシアは面を上げた。途端にドッと疲れが肩に降りてくる。
「……御料車なんて初めて乗ったわ」
「すごいフカフカしてたね」
余韻に浸る二人は、しばらく馬車の後ろ姿を見送る。居城へと帰って行くのだろう。
「御嬢様、お帰りなさいませ」
背後から声をかけられた。振り向くとスフェーン家に仕える執事が、門を開けて出てくるところだった。
「ただいま爺や」
「あの、先ほどの馬車は……」
そう言ってリシアの隣に立つアキラに気付き、急いで礼をする。
「失礼いたしました。御嬢様の御学友でしょうか」
「そ、そうなの。ほら、昨日言ったでしょ?課題を一緒にやってくれた子」
「……ああ!キノコ集めですね」
執事は破顔する。
「中へどうぞ。お茶の御用意を」
「あ……」
リシアは少し考え込み、逡巡しながらアキラに聞く。
「少し、お茶でもする?夕方までは少し時間があるし」
「いいの? ……ありがとうございます」
リシアと執事に向かって、アキラは頭を下げる。執事もまた礼をして、門の側に立ち道を開けた。
アキラを先導するように、リシアは屋敷の中へ入る。
「えっと、居間にいる」
「かしこまりました」
門を閉める執事にそう告げる。どこか嬉しそうな執事の後ろ姿を見て、リシアは少し照れくさくなる。
学苑の知り合いを連れて来たのは、マイカを除けばアキラが初めてなのだ。
いつもよりも香り高い茶とリシアのお気に入りの菓子を出して、執事は居間を離れた。
茶器を眺めるアキラに示すように、リシアは受け皿に乗った碗を取り、一口飲む。
「カミツレの花茶なんだけど……好き?」
「初めて飲む」
アキラもリシアに倣い、碗に口をつける。相変わらずの無表情だが頰に少し赤みが指す。
「美味しい」
「このお菓子とあうから、食べてみて」
受け皿に添えた菓子を指し示す。昨晩父と食べた、干果と乳酪を混ぜたものを挟んだ焼き菓子だ。アキラの細い指が菓子をつまみ、口に運ぶ。途端に表情に喜色が滲んだ。
その様子を見て、リシアも菓子を食べる。焼き菓子はほろりと崩れ、少し酒精を含んだ干果と濃厚な乳酪によくあう。そこに爽やかな風味の花茶を併せると、いくらでも食べられてしまう。
「確かに、すごく相性が良い。果物も色々入ってるのに全然喧嘩してない」
「でしょ?」
思わず身を乗り出して、同意してしまう。ハッとして、リシアは浮かせた腰を再び椅子に落ち着ける。
「……川沿いの菓子屋の名物なの。あまり、たくさんは作らないんだけど」
「もしかしてパンも売ってるところ?コウノトリの看板の」
「そう、そこ!」
「ならお家の近くだ。こんなお菓子も置いてるんだ、あそこ」
今度行ってみよう、とアキラは呟いて、残った菓子を一口で食べきる。
確か川沿いの通りは、集合住宅が建ち並ぶ閑静な場所だ。学苑からも近く、そこから通う普通科の生徒も多い。アキラもそこの住人の一人だったのだ。
「御嬢様、失礼します」
執事がキノコが大量に入った籠を抱え、戻ってきた。
「ありがとう。そこに置いといて」
「運べますか?とても重いのですが」
「大丈夫。昨日もちゃんと持って帰れたんだから」
心配そうな執事にそう返す。もっとも、家に着いた頃には息も絶え絶えという様子だったのだが。
「もう一つあるから……これを食べたら行きましょ」
アキラに焼き菓子の乗った皿を差し出す。最後の一つだ。名残惜しいが、アキラにあげることにする。
「……」
アキラは菓子を右手で取り、左手も添える。菓子に亀裂が入り、綺麗に二つに割れた。
その一方を、リシアに差し出す。
「最後の一個だから」
「……別にいいのに」
妙な所で気遣いを見せる同行者から、焼き菓子を受け取る。小さな欠けらだが、元の一個分よりもずっと、食べ応えがあるような気がした。




