紅の間
「騒動」が議題に上った何度目かの会議は、今回も醜く締まりのないまま終わった。
つまらない風紀の問題として済ませるにはことが大きくなり過ぎた。既に当事者に処分は下されているが、一度火がついた疑念は暫く燻り続けるだろう。流石の王も無視はできなかったのか、直々に答弁を行った。
もっとも、迷宮科の存続については全く触れなかったのだが。
用意されたまま口をつけることもなかった硝子杯を見つめる。澄んだ切子に、此方へ近づいてくる影が映った。
「お疲れ様、スペサルティン卿」
隣に座したデマントイド卿の言葉に、礼儀程度の返答をする。
何を考えているのかわからない老公爵。
学苑の経営陣でありながら、現在の状況を良しとするデマントイド卿に対して思うところは大いにある。
「今日はいつもより糾弾が少なかったように思えましたが」
「陛下の方針は変わらないと、序盤でよく分かりました」
扇で口元を隠す。
「お父上とは大違い」
「王という地位から見えるものもあるのでしょう。陛下なりに考えた結論かもしれない」
そう言われると返す言葉も無い。代わりにため息をつく。
「スフェーン家の令嬢が巻き込まれてしまったから、ですかな」
デマントイド卿の問いに一拍置く。
「いいえ。ただ、目に余りましたので」
貴族という地位に義務が伴い、気高くあった時代は去りつつある。五大家を含め多くの貴族は今やただ「そうであった家」に成り下がっているのだ。
品位を保てる者もいる。地に足をつけて新たな時代に臨む者もいる。それでも多くはかつての栄光と名に縋り付き、斜陽の影に呑まれるのを待つだけだ。
そんな貴族を「迷宮産業」などという言葉で惹きつけ、食い物にし始めたのはいつからだったか。
誇りばかりが肥大化した階級の有効活用とでも王は思っているのだろう。
傲慢だ。
同時に、傲慢などと思えるのは自身が一歩引いた場所にいる五大家であるからだろうと、女公爵は冷笑する。
「今回の事件。身を持ち崩した令嬢の悲劇と片付けるわけにはいかないでしょう?根本では陛下の方針が原因なのでは」
熱を帯びていることに気付いて、口を閉ざす。その様を見守っていたデマントイド卿は、皺の奥の目を悲しげに細めた。
「方針の転換で解決する問題ではありません。彼らのために学苑は何を出来るのか、私たちも……力を尽くす所存です」
虚言とは思えなかった。
彼も現状を憂いている。
王だけの問題ではないことぐらい、心の底ではわかっている。ただ、腹立たしいのだ。王もデマントイドもスペサルティンも、何も成せていない。
滅びに向かっている。
それを食い止めるために誰もが行動をしていて……堂々巡りになる。
沈黙の中、デマントイド卿は一礼をして立ち去る。議場に残ったのはスペサルティン卿だけだ。暫し席に着いたまま目を伏せる。
目を閉じていても何も変わらない。
誰に対してかもわからない嘲笑と共に立ち上がる。
議場を出る。紅榴宮の回廊は、円蓋からさした光によって空気までもが赤く染められているようだ。網膜に焼き付くほどの鮮烈な赤と床の境目が曖昧になる。
赤と赤の間で足を踏み外す。
「スペサルティン卿」
誰かの声と共に体を支えられる。失礼、と小さく後付けて声の主は女公爵の体勢を整える猶予を与えた。
「ありがとう……貴女は」
赤に眩んだ目が、少女に焦点を結ぶ。
廃王家の令嬢が不安げにこちらを覗き込んでいた。
礼の言葉が支えかけ、なんとか少女の名を呼ぶ。
「マイカ・グロッシュラーね」
「はい。お久しぶりです」
一転、令嬢は微笑む。以前出会った時と代わりない、どこか幼気な雰囲気を纏った少女は女公爵から距離をとった。
「大丈夫ですか?足元が覚束ない様子でしたが」
「問題無いわ。少し目が眩んだだけ」
首を横に振ると、令嬢は殊更不安げに眉尻を下げた。
「何か紅榴宮に用が?」
助けてくれた令嬢には悪いが、少し冷たく女公爵は尋ねる。
例え過去の事だとしても、グロッシュラー家の行動は斜に構えた見方をしてしまう。そうでなくとも、政治に関わるような背景があるわけでも無い令嬢が中枢を彷徨いているのは不自然だ。
魂胆があるのだろう。
射抜くような視線に怯えているのか、令嬢は体を庇う。
花弁の唇が綻んだ。
「貴女に会いに来ました」
溢れた言葉に呆気にとられ、即座に警戒を強める。
「リシアのことについて、話したいと思ったのです」
続く言葉に唇を歪める。
またリシアか。
「最近何かと縁があるわね」
何でもない発言だったが、令嬢はいたく萎縮してしまった。前掛けを握り込みながら震える小動物的な振る舞いに呆れて、促す。
「一先ず、話を聞きましょう」
一歩引いた心持ちで女公爵は言葉を待つ。マイカに関しての噂は多少耳にしている。相手に呑まれるつもりは無いが、追い返すのも忍びない。助けてくれた礼として話ぐらいは聞こうと考えたのだ。
瞬間、開いた間を踏み荒らすように、大胆に令嬢は女公爵に近づいた。
距離を詰められ息を呑むスペサルティン卿の耳元で、聖女は囁く。
「リシアを助けたいのです」




