因縁
中庭の長椅子に腰掛け、リシアはアキラがやって来るのを待っていた。一度二人で落ち合ってスフェーン邸に向かい、籠を取って浮蓮亭へ報告に行く予定だ。流石にキノコでいっぱいの籠を背負って登校する勇気は、リシアには無かった。
重い右肩を揉みほぐし、伸びをする。身体のどこかから鈍い音が聞こえてきた。昨日の疲れがまだまだ体に残っているようだ。
足を伸ばし深くもたれて、リシアは頭上を覆う広葉樹から零れ落ちる木漏れ日を見つめる。風がそよぐ度に形を変えるそれが、なんとも眠気を誘う。
リシアは軽く目を閉じて、
「誰が六班を支えてると思ってるんだ」
「そんなに怒らないでください、フリーデル先輩……」
「今の順位だって、殆どは採集組の得点なんだ。なのに」
刮目する。飛び起きると、長椅子から見える掲示板の前に、見覚えのある二人の後ろ姿が立っていた。嫌な汗がリシアの背中を伝う。昨日の出来事を思い出し、耳に真綿を詰められたように心音が大きく響いた。
儚げな令嬢が、ゆっくりとこちらを振り向く。
「あ……」
見つかった。
「リシア」
幼馴染は微笑んだ。昨日の事なんて、まるで無かったように。
フリーデルと呼ばれた、マイカと共に居た男子生徒も振り返る。昨日、一行の先頭を歩いていた二年生だった。
「君は昨日の……」
二年生の顔が歪む。その表情に何かおぞましいものを感じて、リシアは長椅子から腰を浮かせた。
「君とは話がしたかったんだ。こんなにすぐに会えるとは思わなかったよ」
「話、ですか」
リシアは二年生と面識はない。それは向こうも同じはずだ。だと言うのに、彼から明らかな嫌悪感を向けられている事を、リシアは敏感に察した。
二年生が口を開く。
「これ以上、マイカの足を引っ張るな」
あなたに合わせるのに、疲れたの。
二年生の言葉と重なるように、あの日のマイカの言葉が響いた。視界の隅が暗くなる。
「マイカは既に、第六班の班員だ。もう関わるんじゃない」
「フリーデル先輩」
異様な雰囲気を漂わせた二年生を宥めるように、マイカはか細く名を呼ぶ。
「やめてください。いいんです」
「待ってよ。足を引っ張るだなんて……もうマイカと私は何も、関係ないでしょ」
沈黙は状況を悪くするだけだ。そう判断し、リシアは反論する。そもそもここ最近は、マイカを避けていたのだ。足を引っ張るも何も無い。
「シラを切るのか?」
腰に帯びた剣の柄を、二年生は強く握る。何か只ならぬものを感じて、リシアもウィンドミルの護拳に触れた。
「……リシア」
粘つく空気を払うように、凛とした声が響いた。赤い影が走り寄る。
アキラだ。
「ごめん、待たせて」
二年生の視界からリシアを隠すように、アキラは間に立つ。二年生は更に不機嫌そうに眉をひそめ、マイカは突然の闖入者に怯えたのか一歩退いた。
「また君か……」
声を荒げながら二年生はアキラに近付き……もう一人の闖入者に気付いて、息を呑んだ。
普通科の制服を身に纏った、肩口で切り揃えられた短い髪がよく似合っている少女だ。以前もアキラと一緒にいた少女は、真一文字に結んでいた口を開く。
「こんにちは、フリーデル・マイロ……センパイ」
セレスタインはアキラの隣に立ち、冷ややかに二年生を見つめる。アキラほど背が高いわけでも無いのに、彼女からは見る者を萎縮させる威圧感が放たれている。
或いはそれは、威厳と呼ばれるものかもしれない。
「それにグロッシュラー家のご息女も、お久しぶり」
「天敵」の登場に、マイカは可哀想な程怯えているようだった。二年生の影に隠れるように、立ち位置を変える。
「何か口論をしていたようだけど」
「いえ、それは……」
その後に言葉は続かない。沈黙する二人を見つめ、セレスタインは一歩歩み寄る。
「スフェーン家のご息女の事が、随分と嫌いみたいね」
「そんな事、ありません……」
侯爵令嬢はか細く悲痛な声をあげた。思わず駆け寄り、庇いたくなるような可憐な姿だった。
相手がセレスタインでなければ。
「人をけしかけるのがお上手だわ」
侮蔑の言葉だった。だがそれを咎める者はいない。
「センパイも、少しは冷静になった方がよろしいのでは?側から見ててとても……」
それ以上は不要とでも言わんばかりに、セレスタインは二人を一瞥してリシアの方を向く。
「ごめんなさいね。アキラと話し込んでて、遅れさせてしまったわ」
少しだけ口角を上げ、笑顔を作る。
「一緒に正門まで行きましょう。ね」
「は、はい」
まるで命令だ。有無を言わせぬ笑顔に、リシアは萎縮し切りながらも中庭を離れる。
マイカと二年生はリシアについて行くセレスタインの後ろ姿に、焦ったように最敬礼をした。
「……大変ね。あんなのに絡まれて」
たっぷり距離を置いたところで、セレスタインは口を開いた。途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「も、申し訳ありません」
「別にいい。ああいうの見ると、苛立ってくるの」
あの子も変わらないわね。
そう言い捨てて、セレスタインは溜息をついた。
「アキラ、私が入らなかったらどうしようと思ってた?」
「リシアを連れて、無視して逃げようと」
「ほんとー?絶対突っかかると思ってた」
先程までの威厳は鳴りを潜め、屈託のない年相応の笑顔を見せる。
「また迷宮に、二人で行くの?」
続く言葉に、リシアはギョッとする。
「あ、いえ。今日は迷宮ではなくて」
「キノコを酒場に届けに行く。その前に、リシアの家に籠を取りに行く」
「へー。スフェーン卿は確か、旧市街にお住まいだったわよね」
セレスタインは小首を傾げる。
「遠くない?」
「いえ、歩いて十五分ほどですし」
「ふーん。送るわ」
リシアの話などまるで聞いていないようにそう言い切り、セレスタインは学苑の正門を指差す。
一目見ただけで高貴な方が乗るものとわかる、華美ではないが気品のある造りの馬車が停めてある。
あまりにも畏れ多い申し出だ。断るのも承諾するのもリシアには荷が重い。
「なんなら、その酒場まで送りましょうか?」
「いえ流石にそれは!」
「たぶん停めるところないよ」
リシアの必死の拒否とアキラの真っ当なようでずれている意見を聞き、セレスタインは小さく肩を竦めた。
「そう……まあでも、スフェーン卿のお屋敷までは送るわ。乗って乗って」
セレスタインの姿を見つけたのか、まだ距離があるというのに御者は足掛けを準備する。
リシアは腹をくくる事にした。