荷造り
穀類を焙煎して煮出した茶の香りが漂う。鼻歌混じりで茶器を選ぶアガタの側で、アキラが小皿に菓子を乗せる。リシアは所在なく椅子に腰掛けながら、おずおずと尋ねた。
「何か手伝う事、ある?」
「大丈夫大丈夫!リシアちゃんはお客様だもの。ちょっとだけ待っててね」
片目をぱちりと瞑り、アガタは土瓶から濃褐色の茶を注ぐ。香ばしい匂いと水色からして、リシアの知る穀物茶よりも焙煎時間が長いようだ。
「深煎りの麦茶、珈琲に似てて好きなのよね」
「珈琲、飲んだことあるんですか?」
「私の故郷では結構飲むの。もしかして、エラキスでもあまり出回ってないのかしら?」
「はい。滅多に入ってこないです」
エラキスで言う「茶」の殆どは、薬草や穀物を煮出したものを指す。続いてチャノキを加工した茶葉を用いた紅茶。豆を焙煎して煮出す珈琲は、舶来品ということもあり貴族ですら口にする機会は少ない。リシアも一度も飲んだことはないのだ。
ただ、大陸では普及した飲み物であるらしい。珈琲に慣れ親しんだという助手の来歴が垣間見える。
「お砂糖と、牛乳も入れる?オススメの飲み方なのだけれど」
「じゃあ、それでお願いします」
少し大きめの取手付きの杯に小匙二杯の砂糖と牛乳が注がれる。くるくると掻き回して、白と褐色の濃淡が渦巻いたままアガタは杯をリシアの前に置いた。
「はい」
「ありがとうございます」
杯が置かれてすぐに菓子をのせた小皿も卓に現れる。水色の皿の上には予想通り、純白の菓子が並んでいた。アキラにも礼を告げて、杯に口付ける。
香ばしくまろやかな味わいに一息つく。
「美味しいです」
「気に入ってもらえて良かったわ」
アガタに勧められて卵白の焼き菓子も一口。苦味と軽やかな甘味がよく合う。杯から珈琲擬きを啜り、菓子をもう一口。これは、止まらない。
「はい、アキラの分」
「ありがとう」
斜め向かいでアキラも卓に着く。
苦味と甘味の循環の中で、ここに来た理由を思い出す。
「……お茶の後、準備でいい?」
「うん」
「準備って、迷宮?今から行くんじゃあないわよね?」
「遠出の準備。さっきの、前線行きの」
「ああ、そうだった」
「アガタさんは装備とか大丈夫?」
「大丈夫よ!」
そう告げて、部屋の片隅に置いた旅行鞄を指差す。
「ちゃんと準備してるわ。私も迷宮は初めてじゃないもの……もっとも、護衛付きや調査隊としてしか行ったことはないけどね」
アガタは照れ臭そうに肩を竦める。詳しく話を聞こうと、リシアは杯を置いた。
「今回は碩学院の調査隊が来ると聞きましたけど、どんな事を調べるんですか?」
「うーん、私は鋼索道関連の調査だけど、他の方々の調査について詳しくは知らないの」
目を見開く。
「全員、カルセドニー教授の関係者かと」
「調査隊は様々な専攻……研究室から成り立つの。迷宮に行くのは貴重な機会だし、危険でもあるから合同で向かうことが碩学院では多いわ」
「ほかの専攻というと、例えば」
「生物地学は毎回いるわね。私達工学もよく加入するし、そうそう、今回は数学科もいるみたい」
「数学」
迷宮と数学。両者の繋がりがぴんと来ないリシアの向かいで、アガタは神妙な顔つきになる。
「どんな子が来るかはわからないけど、ちょっと気にかけようとは思ってるの。私みたいに希望してきてるんならいいけど」
そう呟いて珈琲擬きを口に含む。
まるで、無理矢理迷宮に送られる学徒もいるような口振りだ。迷宮科など無くとも、場所によってはそのようなことがまかり通っているのだろう。
複雑な思いのまま、杯を飲み干す。
「あ、準備する?」
一足先に飲み終えていたらしいアキラが席を立つ。居間から出て、奥の部屋で何か探るような音を響かせた後戻ってきた。
無骨な作りの背嚢をリシアに見せる。
「こんなの」
「これなら、三日分の荷物は収まる。寝袋用の留め金もあるし」
アキラの父が使っていたという背嚢をリシアは手に取る。年季は入っているがしっかりとした生地だ。
「あら、こんな鞄あったの」
「父さんの」
「へえ……教授の弟さんよね」
頬杖をつきながらアガタは呟く。彼はアキラの父と面識があるのだろうか。気を逸らしたリシアの隣で、アキラが鞄に菓子を詰め込む。
「待って。まずは布から。食料もちゃんと厳選する」
「布?」
「着替えや手拭いを何枚か。体を拭えるくらいの大きさがあるとなお良い」
「風呂敷でもいい?」
アキラは大判の布を広げる。触ってみると、乾きやすそうな素材だった。
「いいね、これ」
「風呂敷を三枚と手拭い、着替え」
広げた布の上に赤い体操服を一揃い積む。何着も用意できるものではないと思うが、お下がりか何かなのだろうか。
布類を包み、背嚢の底に詰める。
「食器類は結構重量があるから、衛生用品から入れようかな」
「薬や包帯はいつも纏めて持ってるのがある」
「じゃあそれを。それと、お風呂が使えるとは思わないけど……石鹸はあってもいいかな」
野営では湯を沸かして布で体を拭って済ませると聞いたが、今回のような休憩所ではどうなるのだろうか。その辺りも詳しく夜干舎に聞いておけば良かったと後悔しつつ、リシアはアキラの荷造りを手伝う。
一瞬、助手の表情が視界に入る。微笑ましく見守るような視線を感じて、リシアは背筋を伸ばした。




