夜会
微かに泡が上る杯を掲げる。ジオードより取り寄せたという美酒は、渇きを癒すには甘ったるい。しかしこの琥珀色は格別の美しさだと「女公爵」は思う。杯に口付け想像通りの味を飲み干した後、周囲を見渡す。
今宵も変わり映えのない面子が集まっている。王を輩出する四大家のうちの幾人かと、かろうじて貴族としての体を保っている家の者。どこからか潜り込んだ商人に、ジオードの回し者。一人一人を見つめ、内心辟易とする。
主催には悪いが、無意味な会合は好ましくない。こればかりは現王と同意見だ。
「スペサルティン卿」
見知った顔が近づいてくる。確かクルックス家か。似合わない愛想笑いを浮かべ、男は女公爵に礼をする。
「貴女も来ていたとは」
「勿論。招待いただいたのですから」
此方も愛想程度に微笑む。社交辞令から始まり、当たり障りのない世間話が続く。
「王府の集まりはどうも議会のようで……『迷宮』という言葉が登らない会も久しぶりです」
クルックス卿の言葉に周囲が沸く。当代が迷宮に執心なのは誰もが知るところだ。
「ここはそのような話とは無関係な、真に貴族たる者が集まるのでしょう」
続く言葉に嘲笑を浮かべる。迷宮に執心なのは王ばかりではない。周囲の貴族も踊らされている者ばかりだ。このクルックス卿も、娘を学苑の迷宮科なるものに入れていたはずだ。皆口では迷宮を蔑むものの、心の内では生み出される利権に興味津々なのだ。その利権のおこぼれに預かるべく、自分の子供を迷宮科に差し出す。いつの間にかそんな人間ばかりになってしまった。
「真に貴族たる者」と言った口で、同じ迷宮科の父兄との会話に勤しみ始めたクルックス卿からそれとなく離れる。庭を見せるために開け放された露台に、涼を求めて向かった。
不自然な姿に刈り込まれた木々が、煌びやかな灯りを受けて不気味に浮かび上がる。それに紛れてもう一つ、怪しげな人影があった。
咳払いをする。
「何をしているのですか、スフェーン卿」
ツバキの葉裏をしげしげと眺めていた人影が、弾かれたように振り向いた。
「ああ、スペサルティン卿。いい夜ですね」
軽い挨拶を返され、女公爵は眉間に皺を寄せる。他の貴族相手にもこうなのだろうか。不満やら心配やらを押し込め、挨拶を返す。その間も彼は女公爵の存在など意にも介さずツバキの葉を次々と捲る。
「もう一度尋ねますが、何をしているのですか」
「さっきガチリンサンがいた気がして」
「まあ……あの綺麗な虫が」
「幼虫はツバキを食べないはずなんです。なのにこの木に」
面食らう女公爵を前にして取り繕うこともしない。半ば呆れて腕を組む。
「いないなあ……」
「変わりないようで安心しました」
皮肉混じりに告げると素直に喜ぶ。昔からこういう男なのだ。
「貴方の娘も大事はないかしら」
もう一つ聞きたかったことを尋ねる。スフェーン卿はほんの少し寂しげな表情で頷いた。
「無事ですよ。この間腹を打ったとかで医者にかかった時はどうなるかと思いましたが」
「大変なことじゃない」
「打身だけだったから安心はしました……いや、そういう事ではありませんね」
乾いた笑いが木々のざわめきに消える。
「彼女が弱音を言わないから、私も言わない。それだけです」
先回るように告げられ、女公爵は言葉を失う。
「……間違っていると思っているわけではありません」
沈黙の後、言い逃れのような発言をする。見覚えのある曖昧な笑みが返された。
「彼女が選んだことなのでしょう」
「はい。だから私も全力で支えております」
私に話して貰えれば。
そのようなことを今更言う気にはなれない。スフェーン卿にもその娘にとっても酷だ。
「それに、この頃はリシアも楽しそうなのです」
表情を幾らか明るく変え、スフェーン卿は話す。
「以前迷宮から発光する微生物を持ち帰ってきた時は、私も飛び上がって喜んでしまいました」
「スフェーン邸で怪しげな光がちらつくとは噂で聞きましたが、本当だったのですね」
「おや、もう噂に。凄いですよ。南海のウミホタルにも負けじと劣らない鮮やかさで。何かの会合の折にでもお持ちしましょうか」
「それは、ううん……」
言葉を選ぶ。
「見たい時は、赴きます」
「そうですか。ではその時には論文も用意します」
「まだ碩学院とは繋がりが?」
「ええ。時折寄稿したりもしますが、昔の印税や稿料が細々と入ってくるので」
壇上には、もう長いこと立っていないのだろう。その原因となった「事件」を思い返し、女公爵は目を伏せる。
「……例の件については、本当に」
「スペサルティン卿」
言葉を遮るように、静かにスフェーン卿は家名を呼んだ。
「そろそろ中へ戻りませんか。結局蛾も見つかりませんし、私は他の方々と話でもしようかと」
今となっては、謝罪もさせてくれないのか。
先程と変わらない笑顔の男を見つめ、女公爵は冷ややかに告げる。
「もう少し、月を見ています」
女公爵の言葉を聞いて、スフェーン卿は一礼のち下がる。丸い後ろ姿が広間の人だかりへ消えていくのを見届け、天を仰いだ。
月白の影が夜空を飛び交う。
「葉の裏ばかり見ているから、気づかないのよ」
女は一つ、ため息をついた。




