満杯
第五通路は北東へ伸びる長大な通路だ。大迷宮の発見とほぼ同時期に調査が進められた通路の一つだが、未だにその全容は明らかになっていない。通路の奥に広がる薄暗い闇、その遥か向こうには、誰も足を踏み入れたことのない地が確かに存在しているのだ。
地上へ続く階段から吹き込んできた風が、リシアの頬を撫でる。その風が妙に冷たくて、リシアは身震いした。
「さむ……」
「地下も夜は冷えるんだね」
捲り上げていたジャージの袖を下ろしながら、アキラは呟く。地上に比べると緩やかな変化だが、迷宮にも昼夜の気温差はある。もっとも、ここ第五通路は第一通路と同じく、比較的地表の影響を受けやすい浅い通路ではあるのだが。
「焦げ臭い」
ほのかに漂う焼けた木材の臭いに、リシアは顔をしかめる。臭いの出元は入洞口のすぐ近くの小通路からだった。
入り口に生々しい焼け跡が残っている。
「結構、大きい火事だったんだね」
散らばる防柵の残骸を乗り越え、小通路に立ち入る。壁に触れると、湿気を含んだ煤が手を汚した。
「あ、リシア待って」
奥に進むリシアをアキラは呼び止める。入り口の防柵を火かき棒を使ってひっくり返した。
「ちっちゃいのあった」
薄汚れたキノコを拾い上げる。よく見つけられるものだ、とリシアは同行者の観察眼に感心する。負けじと火具を掲げ、辺りを見回しながら再び奥に向かう。もう一つキノコを籠の中に放り、アキラはリシアの後を追いかけた。
「細長い通路ではないみたい。すぐに行き止まりになると思うけど……」
そう言い終わらないうちに、地図を片手に歩いていたリシアは立ち止まった。後から来たアキラはリシアの肩口から奥を覗き込み、小さく声をあげる。
「……キノコだらけ」
「すごい! こんなに生えてるなんて」
最奥では、ハチノスタケが巨大な菌輪を作っていた。煤で薄汚れているが大きさも十分にある。
「一週間かそこらで、こんなに大きくなるんだね」
「ね。キノコって成長早いんだ」
リシアは特に大きな子実体を一つ摘み取る。軸は太く、襞もかなり肉厚だ。
暫く、二人は黙々とキノコを収穫する。アキラが火かき棒でキノコを根元から掻き倒し、それをリシアが拾い上げ、籠に入れる。
二股に別れた不思議な形のハチノスタケを入れたところで、リシアは深い溜息をついた。
「どうしたの?」
どこか不安げな声音でアキラは問う。リシアは今まで見せたこともない満面の笑みを浮かべ、アキラの両手を取り、飛び跳ねた。
「満杯! ほら見て、籠に山盛りだよ!」
「ほんと」
アキラは肩口から、背負った籠の中身を覗き込む。
「み、見えない」
「降ろして」
背後から籠を支えるリシア。負ぶい紐から通した腕を抜き、アキラは籠の中を覗き込んだ。
「……これで、依頼達成?」
何処と無く喜色を含んだアキラの言葉に、リシアは頷きかけ、真面目な顔をした。
「ううん、まだだよ」
「あ、そうなの? 何か他に取るものがあるとか?」
「……ちゃんと浮蓮亭に報告するまでが依頼!」
悪戯っぽくリシアは笑う。アキラは少し虚をつかれたような顔をして、つられるように口角を上げた。
「確かに、そうだね」
「でも一先ずは安心。良かった、ちゃんと集まって」
感極まって、リシアは籠を抱きしめる。勢い余ってよろめいた所を、アキラに支えられる。
「……ありがとう、アキラ。付き合ってくれて」
籠を抱きしめたまま、リシアは感謝の意を述べた。首を横に振り、「こちらこそ」とアキラは呟いた。
「色んな通路に行けて楽しかったし」
「私も、一日でこんなに迷宮を行ったり来たりするの初めて」
途端、リシアは悲しげな顔をした。
「それと、ごめんね」
「え?」
「優柔不断だし、うじうじ悩んでばかりで」
今日一日、アキラという迷宮に不慣れな同行者がいたにも関わらず、リシアは動揺し、弱音を吐き、後ろ向きになってばかりだった。父や浮蓮亭の皆、それにアキラの助けがあって、依頼を破棄することも余分に金を出すこともなくキノコを集めきることが出来た。
これがもしリシア一人だけだったなら……いや、そもそも迷宮に潜ることも出来ないのだった。
「優柔不断で悩んでばかりって」
暫く考え込むようなそぶりを見せていたアキラが、口を開いた。
「慎重って、事なんじゃないかな」
その言葉にリシアは一瞬呆気にとられたような顔をして、すぐに笑い声をもらした。
「そうとも言える……のかな?」
ものは言いようだ。それでも、アキラが自分の長点を見つけてくれたようで、リシアは嬉しくなった。
籠を背負い、小通路の出口へ向かう。
「早く帰ろう。もう夜も遅いし、報告は明日の放課後にしよう」
「うん。終業後に中庭ね」
明日の予定を立てながらリシアとアキラは通路を後にする。
薄暗い迷宮の中で、二人の朗らかな語らいが、響き渡っていた。




