夜干舎と過去(3)
「亡命か、難民か?」
しゃがれた声が差し込む。店主もつい口を出してしまう程度には驚いているようだ。確かにこの二人の関係も想像だにしなかったものだが、「戸籍」の話も気になる。むしろ、下手したらこれこそが書類沙汰ではないのか。
少し考え込むようにケインは耳を上下に動かす。
「夜干舎、もとい前の組合に入る前はニンゲンではなかったものでね」
ケインの答えは、即座に飲み込めるものでは無かった。手にした杯を握りしめる。確か細工師の家系だと言っていた。その家は、そう見なされていたのだろうか。
そういう世界、文化もある。エラキスやジオードでは目にすることがないだけで。
ただ、目の前にいる底抜けに明るいセリアンスロープに、そんな背景があったなんて思いもしなかったのだ。
「後見人だのなんだのよりも、結婚した方が早かったんだ」
続く言葉にリシアは思わずウゴウを見る。
結婚相手を前にしての発言だが、些か淡白過ぎやしないか。
当のウゴウは目立って動揺している様子はない。ただ、指に嵌めた銀色の細工を軽く擦った。あれが後見人、あるいは結婚を証明する物なのだろうか。
「組合の登録が、今は身分証明書代わりでもある」
「ゆ、ゆる……」
「そういう場所は大陸でも多い。まあ私の故郷は違ったけど。そもそも冒険者なんて職がなかったからね」
リシアもつい溢してしまったが、移民を白眼視する割には行政的には頓着していないところがエラキスにはある。ただケイン曰くけして珍しいことではないらしい。
冒険者の扱いはどこの国も四苦八苦している。薄らと講義で聞いた言葉を思い出し、改めてその実情を目の当たりにしてありふれた問題であることを確認する。緩くとも完全な無法地帯と化していないのは安堵すべきところか。
「というわけで、戸籍やら身分証明は問題ないんだ」
ケインは反動をつけ前のめりに座り直す。赤銅色の瞳が向かい合うセリアンスロープを見つめた。
その視線に何らかの愛情が含まれているようには、リシアには見えなかった。
「強いて言えば骨を引き取ってくれるくらいか」
いわゆる「夫婦」とは訳が違う。結婚という言葉を聞いた時に想像していたものとは随分とかけ離れているようだ。淡々とした二者を見比べ、リシアは眉尻を下げる。これが現実なのか。
「骨以外は渡さないでよね」
今度はハロが口を出す。言いたいことはわかるが、物凄く強欲な発言に聞こえる。組合員の歯に衣着せぬ物言いにケインは声を上げて笑った。
「勿論君らがそこら辺は優先だ。組合の財産はきちんと残すとも」
「個人の財産は別ですからね」
当然、と言うようにライサンダーが頷く。
「失礼な話ですが、安心しました。他所に遺品を受け取ってくれるような知り合いが居たようで」
「なんか不安になる発言だな」
代表の言葉には答えず、暫しフェアリーは黙したまま触角を上下に揺らす。数拍後に大顎が動くことなく、どこからか声を発した。
「いざという時は連絡をする。それ以外は最低限の干渉。互いに退く気が無いのです。そうするしかないのでは。それに聞いたところ、当初の屋号の問題からかけ離れていると思います」
軌道修正だ。
再び緊張が走る。確かに決着がついていない。
「むむ」
「ケイン、組合員としてもこの問題が長続きするのは困ります。二つの夜干舎の関係は致命的な程に悪化しています。最小限の干渉どころか、断絶を決めかねないでしょう、貴女と彼は」
「そんなことは、ないぞ」
「ここで一つ区切りをつけてください。禍根はあっても冒険者らしい付き合いができる程度に」
「……まあ確かに、常識的な範囲で組合同士付き合うのは大事か」
耳の付け根をかりかりとケインは掻く。向き合うセリアンスロープは覆面の縁を整え腕を組み直した。
どこで落ち着くのか、互いに計っているのだろう。
「此処が先に目につけば良いだけの話だ」
低くウゴウは言い捨てる。
「代表は此処を選ぶ」
視線が交錯する。
先に口を開いたのはケインの方だった。
「なるほど単純な話だ」
鋭い爪が、卓を叩く。
「別に夜干舎が二つある分には問題ない。問題は代表がどちらに出向くかだ。そうだろう」
ウゴウは黙したままだ。
「名を上げればいい。皆の思う第一の『夜干舎』が、代表の選ぶ夜干舎じゃないか?」
宣戦布告のように聞こえた。
はたして、乗るのか。覆面のセリアンスロープの様子を伺う。
「それが落とし所のつもりか」
「言っただろう。名前を変える選択は無いと」
短いやり取りの後、ウゴウは覆面の下で溜息をついた。
折れた。そんな気がした。
「わかった。こんな競争は不本意だが……」
覆面の合間から覗く目が細まる。
「それなら分がある」
「そうそう。お互い励もうじゃないか」
ケインは手を差し出す。その手を取ることなくウゴウは席を立った。
「お前、爽やかに終わらせたつもりか」
まるで保護者か何かのようにぴしゃりと告げる。
「譲歩だ」
告げられたケインは子供のように、どこか無邪気な笑顔を浮かべた。




