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理解者のように

 机に顔を臥したまま、何度目かとも知れない鐘の音を聞く。


 終業後に迎えに来ていいか、と告げるアキラに頷いたのは何時間前か。同じ机の傍らで静かに道具の手入れをする用務員をこっそりと見つめ、上体を起こす。何処かに時計はないかと視線を巡らせる。


「おや、おはよう」


 老人は笑って手にしていた大鋏を置き、小屋の一角へと向かう。新しく茶を入れ直してくれるのだろう。目減りした菓子もそうだが、有難い限りだ。


「今のが、終業の鐘だね」


 茶を注ぐ音と共に話しかけられる。


「家には帰れそうかい」

「友人が、迎えに来てくれると」

「そうか。なら安心だ」


 杯を受け取り、幾度目かの礼を告げて口をつける。濃いめの花茶を渇いた喉に流すと、心地よい温かさが体内に染み渡った。


 杯を空にした頃、戸を叩く音が響いた。


「アキラ・カルセドニーです」

「はい、どうぞ」


 用務員に促され普通科の友人が小屋に立ち入る。


 姿を見てほっとすると共に、終業の鐘から僅かしか経っていないことを思い出す。全速力で駆けてきたのか。


 そんな様子は微塵も見せず涼しい顔のまま、アキラはリシアを向く。


「今なら、人もあまり居ない」


 あ、と小さく声を溢す。配慮に顔がひしゃげそうになるのを我慢して頷いた。


「デマントイドさん」


 席を立ち、深々と頭を下げる。


「ありがとうございました」

「いいんだよ。また来なさい」


 杯を手に包み老人はくしゃりと微笑んだ。アキラも小さく会釈をして小屋を出る。弁当籠を抱え、もう一度頭を下げてリシアは半開きの扉をすり抜けた。


 扉を静かに閉め、アキラを見上げる。


「ありがとう」


 ほんの少し、夜色の瞳が泳いだ。かける言葉を探しているのだろう。先に口を開く。


「行こっか。もし良ければ浮蓮亭とかどう?切り替えて、次のこと考えなきゃ」

「その、平気?」

「うん。今は気が楽」


 振り切るように笑う。アキラに背を向け、正門へと向かう小道を少し急ぎ足で歩く。


「鞄とかは」


 後ろから声をかけられる。立ち止まろうとして、一歩無理やり進んだ。


「貴重品は無いから、いいかな」

「取りに行こうか」

「ううん、そこまでは」


 振り向いて首を横に振ろうとする。


 鈴を転がすような声が、耳を撫ぜた。


「リシア」


 声の方向を向く。


 迷宮科棟から、かつての親友が駆けてきた。


「良かった。まだ苑内にいたのね」


 息を切らせながら立ち止まる。少女は片手にリシアの学業鞄を携えていた。


「それ」

「終礼前に、先生に鞄を届けていいかと聞いたら快く送り出してくれて。探し回ったの」


 頬にかかった蜂蜜色の髪を掬い、鞄を差し出す。添えられた儚げな笑顔に気圧されつつ受け取る。エリス講師ならリシアの居場所を知っているから、探し回る羽目にはならないはずだ。教室担当の講師にでも確認したのだろう。


「……ありがとう」


 置き去りにした鞄を持ってきてくれたことに礼を告げる。一層、美しくマイカは微笑んだ。


 警戒する。


「逃げてしまうのも無理はないわ。みんな酷い噂ばかり」


 朗らかな声音に冷ややかなものを感じて身を竦める。


「私はあんな噂、信じない」


 鞄を手放した嫋やかな指先を、自身の胸元に添える。聖女は距離を詰め囁いた。


「リシアはそんな子じゃないって知ってるもの」


 味方なのだと、錯覚してしまう。


 息を詰めて後退り、会話を打ち切ろうとする。しかし上手い文句が思いつかず、肯定とも皮肉ともつかない言葉を続けた。


「そう思ってくれてるのは助かる」

「当然でしょう。だって、親友なのだから」


 以前、マイカを拒否した日のことを思い出す。あの日の出来事は、そしてそれ以前の決別は彼女の中では無かった事になっているのだろうか。


 もしかしてずっと、理解者であるつもりだったのか。


 耳鳴りがする。


「リシア」


 肩を支えるように力強くアキラが触れる。我に返って、マイカの瞳を見据えた。


 早く離れろと、頭のどこかで警鐘が鳴り響く。


「私、もう帰るね」


 踵を返す。視界の隅で、かつての親友がほんの少しだけ悲しげに目を伏せた。


 何故そんな顔をするのかと、問いたくなる。唇を一瞬噛み締め、必死で言葉を押し戻した。


 理解の及ばない答えが返ってくるに違いない。マイカが班を出た日も、彼女は遠い存在になったのだと叩きつけられたじゃないか。


「いこう、アキラ」

「ん」


 代わりに友人の名を呼ぶ。短く応じてアキラも歩き出す。


「さようなら」


 礼儀程度か、アキラが声をかけた。マイカの答えが耳に届く前に、早足で立ち去る。


 自分でも嫌になるほどに、マイカに翻弄されている。不安定な情調を一層揺さぶられ、足がもつれそうになった。


 立ち止まる。嫌な汗が背中を伝い、思考を冷やした。


「……やっぱり、家にまっすぐ帰る?」


 リシアの早足に悠々と追いついてきたアキラが尋ねる。自身のあからさまな挙動が友人を不安にさせている事に気付いて申し訳なくなる。


 切り替えなければ、と先程自身が放った言葉を脳内で繰り返す。


「ううん。お腹いっぱい食べよう」


 そう告げると、アキラはほんの少し険の取れた表情を見せた。


「同じの食べる?」


 その問いには曖昧に答えた。

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