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裏目

 午後の始業を告げる鐘の音が、戸板の向こうで響く。思わず席を立ちそうになる。染み付いた習慣と妙な罪悪感が焦燥を生んだ。


「ふふ。気になるかな」

「あの鐘の音を聴くと、どうしても」


 まだ温かい茶を口に運ぶ。リシアの心中を察したのか、宥めるように用務員は口を開いた。


「もう少しゆっくりしていきなさい。アンナベルグ君が持ってきてくれたお弁当を食べるとか」


 揃えた膝の上に置いた籠を見下ろす。お言葉に甘えて、遅めの昼食を取ることにする。


 籠の留め具を外し蓋を開けると、辛うじて原型を保っているパイと散乱した付け合わせが現れた。蓋に留め付けられた突き匙を手に用務員を窺う。彼もまたどこからか取り出したパンと乾酪を皿に盛り付け、口に運んでいた。


「デマントイドさんは、いつもこちらでお食事を?」

「うん。本邸まで戻るのも大変だからね。此処の方が寛げるし」


 ふふ、と老人は笑う。学苑から一歩出たら彼は「デマントイド卿」になる。王位継承権を持ち、言動の一つ一つが政局を揺るがす。だからこそ、苑内の人目につかない作業小屋を気に入っているのだろう。


「食べるものには困らないんだ。見ての通りね」

「この砂糖漬けも贈り物ですか」

「これは裏の森で採れたものだよ。保存食を作るのも季節の楽しみなんだ」


 王家の狩場である緑地で採れた果物を食べられるなんて、考えてみれば贅沢なことだ。皿に乗った赤い実の砂糖漬けを一つ頬張る。かつては当代の王家のみが味わうことが出来た野趣あふれる酸味に口を窄める。


「酸っ……しょっぱい」

「おや、もしかして塩漬けの方だったかな」


 自身も一粒口にして、管理人は笑う。


「口直しにはなるかな」

「も、もう一個いただきます」


 弁当の合間に塩漬けをいくつか齧る。改めて味わってみると、なんとなく浮蓮亭で出てきそうな味がした。


 アキラと会おうと思っていたが、どうしようか。


 酸味のためだけではなく、口を噤み視線を落とす。


「やっぱり砂糖漬けも食べるかい?」


 そう告げる老人に頷き返す。席を立った用務員に何か手伝えることはないか聞こうとして、やんわりと制された。


 おとなしく食事に戻る。


 ふと、恐らく外を通る人影もないであろう窓を見る。


 夜色と目があった。


「うわっ」


 声を上げた途端、人影が戸口へ回り込んだ。素早く二回戸を叩く音が響き、返事を待つ間もなく開く。


「失礼します!」


 押し入ってきた赤い運動着の少女に、老人は気圧されるように言葉にならない挨拶をする。


「お、おお……」


 瞬間、射すくめられる。口に残った塩漬けの実を飲み込む間に、アキラは傍らに歩み寄った。


 少女を見上げる。運動の後なのか、肩で呼吸をし髪が数束頬に張り付いている。尋常ではない雰囲気に無言を貫いていると、アキラが口を開いた。


「言ってないこと、あるよね」


 その言葉が非難めいているように聞こえて、瞳が揺らぐ。そんなリシアを見てアキラもまた、微かに後悔の色を見せた。


「……ごめん」


 沈黙する。


 磁器の擦れる音が、永遠のような時間を終わらせた。


「喧嘩かな」


 花茶をもう一杯用意して、用務員は尋ねる。アキラと二人、首を横に振る。


「いいえ!」

「そうか、ならば……少し席を外そう」


 微かに首を傾げ、老人は微笑む。


「必要がなければすぐに戻るよ」


 場を設けてくれるのだろう。老人の配慮にリシアは覚悟を決める。


「ありがとうございます」


 そう告げると、老人は一つ会釈をして小屋を出て行った。


 後に残された二人、向き合う。


「えっと」


 まずはアキラの状況を確認する。


「誰かから、聞いたの」

「酷い目にあったって、本当」


 質問で返されてしまった。口籠もり、言葉を探しつつ答える。


「役所で衛兵に変な誘いを持ちかけられて、断っただけ。それが大事になって……」


 大事になったのは良い事なのだと、自身に何度も言い聞かせる。これで学苑も王府も何かしら対策は取るはずだ。


 ただ。


「変な目で見る人もいるってだけ。ほんとに、酷いことは何もされてないの。いやまあ、そういう子だと思われるのは嫌なことだけど」

「どうして言わなかったの」


 まっすぐ、夜色の目がリシアを見据えた。


 小さく喉が鳴る。


「……だって、迷宮とは関係ないし。変な奴に絡まれたってだけの話だし」


 言い淀む。


 アキラが要らぬ罪悪感を持つかもしれないと思って。


 そんなこと、言っていいのだろうか。


「一緒に、着いて行けば」


 黙しているうちにアキラが溢した言葉を遮る。


「違う」


 息が上がる。


 結局こうなってしまった。ただアキラに余計な心労を与えたくなかっただけなのに。


「……言えばよかった?」


 俯き、尋ねる。


 暫し浅い呼吸の音だけが響いた。


「リシアが言わなかった理由はわかる。私を思って、でしょう」


 肩を落とす。リシアが思っている以上に、アキラは理解してくれている。それを信頼できていなかったようで、情けなくなった。


「でもやっぱり、言ってほしかったよ」


 頭に心地よい重さと温かさが降る。手のひらのようなそれはリシアの髪を恐る恐るかき混ぜ、撫でた。

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