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作業小屋

 学苑の裏手にぽつんと建つ小屋に、用務員はリシアを招き入れる。


「さあ、そこの椅子にかけて少し待っていてくれ」


 涙を拭い一礼をして、扉をくぐる。「作業小屋」とは言うものの整頓され居住できるように設た内装を眺めつつ、いくつかある椅子のうち一脚に腰掛ける。


「ここに来るのは初めてかな」


 熾火でヤカンを温めながら用務員が尋ねた。掠れかけた声で答える。


「はい」

「よく生徒が来るんだよ。普通科の子や、迷宮科の子も。理由は色々だけどね」


 用務員の言葉を聞きながら、卓上に置かれた教科書を手に取る。縁やシミに幾人もの生徒が使ってきたような痕跡が見て取れる。


 ここは逃げ込む場所でもあるのだろう。ぱらぱらと頁をめくり、元の場所に置く。


「先に何か、つまむものを出してもいいかな」

「ありがとうございます」

「クワの砂糖がけと、先日貰った焼き菓子に飴。食べられそうかい?」


 駄菓子を目一杯盛り付けた籠が出てくる。昼食を食べ損なった腹が小さく鳴いて、焼き菓子を一つ摘みとった。


 そぼろ状の生地を乗せた焼き菓子は口の中でほろりと崩れる。後から木の実の香ばしい風味が追いかけてきた。


 甘味を得たことで、少しだけ落ち着く。改めて小屋の中を見回した。円い卓を囲むように椅子が数脚、本棚に収まった教科書や図鑑類、土壁に立てかけられた作業用具。その中の妙に真新しい鋤に気を取られていると、用務員が向かいに腰掛けた。


「ちょうどベニフヨウの花茶が手に入ってね。夏にぴったりだろう」


 作業小屋には似つかわしくない切子の杯に赤い水色が満ちる。華やかな茶を前にして、リシアは両手を膝の上に置いたまま呟く。


「本当に、何もないんです」


 杯を口に運ぼうとして、用務員は動きを止める。


「勿論、わかっているとも」


 その言葉にいくらか救われた。はしたなく鼻を啜りそうになって懐を探る。指先が手巾に触れる前に、用務員が布を差し出してくれた。


「隊長殿も部下を守りたいのだろうとは思うが……学苑含め、大人の嫌なところを見せてしまったし酷い目にあわせてしまった」


 物悲し気に老人は両手に収まった杯を見つめる。彼も思うところがあるのだろう。


「一歩も退けないならとことん話し合うべきだが、場所は改めるべきだったね」

「学苑側が招いたのでは」

「いいや、隊長が直談判しにきたんだ。アンナベルグ氏が調整もつけただろうに」


 ため息をつく。その後、思い出したようにほんの少しだけ笑顔を取り戻した。


「アンナベルグ氏は、君達生徒のことを第一に考えてくれているようだ」

「庇ってくれたから、ですか」

「それだけじゃない。前々から学業の改善も申し立ててくれているんだ。最近変わったことはないかね」


 尋ねられ、考える。


 そういえば、迷宮学以外の講義が増えているような気がする。


「普通科の指導内容に近づいていると思います。その、最低限では無くなった程度かもしれませんが」

「色んな道を用意してあげたいんだろうね、彼は。不慣れなところもあるが頑張っているよ。ああ、この間は補償や報酬でやりあっていたし」


 再び表情が沈んだ。


「その矢先にこの事件だ。彼もいくらか責任を取る必要がある」


 胸が痛む。今回の出来事の尻拭いもしなければならないのか。


 講師として当然と言われればそれまでだが。


「辞めさせられたりしませんよね」


 上ずった声で問う。


「もしもの時は私も物申すとも。もっともそこまでの処分が下されるとは思わない。彼は王に見込まれてここにいるからね」


 息がかかっているのか。


 察してはいた情報に、苦笑いともつかない曖昧な表情を返す。その様子を見てか、用務員は微笑を浮かべた。


「少しは気が紛れたかな」


 突然の問いに答えあぐねる。


「……はい。少し」

「追い出したりはしないよ。もっとゆっくりしていきなさい」

「ありがとうございます」


 教室に戻れるか、と自問自答する。フォリエや同輩の言葉を思い返して冷や汗を流した。少なくとも今は無理だ。


「花茶のおかわりはいかがかね」

「いただきます」

「ああそうだ、ハッカ茶もあるしこの間鉱水も貰ったような。乾果もあったし、うん、それもいかがかな」


 老人特有の勧めにリシアは戸惑う。取り敢えず卓上に余白を作ろうと本を抱え、席を立つ。


 戸を叩く音が響いた。


 身を竦める。


「おや」


 手にしていた鉱水の瓶を一旦机に置いて、用務員は細く扉を開ける。


「失礼します、デマントイド卿」


 隙間から聞こえてきたのは講師の声だった。固まるリシアに目配せをして、用務員は外に出る。


 閉まり切らない扉から、二人の会話が漏れる。


「帰ってくれたかな」

「はい。元々紅榴宮で話すつもりではあったので」

「王も重く見ているということかな」


 僅かな沈黙があった。


「今日の件。君もやるべきことはわかっているね」


 二つ三つのやり取りの後、用務員が帰ってくる。


 手には蔓の籠が収まっていた。


「忘れ物だそうだ」


 笑いながらそう告げる用務員から籠を受け取る。蓋を開けるとなんとか形を保ったパイがあった。


 窓の向こうに、離れていく後ろ姿が見えた。

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