配慮
大きく深いため息が一つ。
「お互い様な気がしてきた」
そう呟いて、ハロは水を一口含んだ。ライサンダーもそれまでの姿勢を少し崩し、椅子に軽くもたれる。
リシア達はともかく、組合員二名はケインの反応を見て追求する気は無くなったようだ。
他組合の事とはいえ置いてけぼりのリシアは、なんとも言えない空気の中杯を飲み干す。
「ごちそうさま」
「おお。代はいいからな」
「それは悪いわ」
「じゃあ、次も弁当を注文してくれ」
気前のいい店主の言葉に申し訳なくなる。きっと、気遣ってくれたのだろう。
すっかり心の奥に押し込めていた出来事が突沸する。このひと時、リシアは役所での事を忘れることが出来た。出された飲み物の温かさが、再びじわりと胸に沁みる。
「ありがとう」
「お代わりもするか」
「大丈夫。十分」
杯が引き込まれる。
「私達、そろそろお暇しましょうか」
「うん」
アキラに告げて立ち上がる。ほぼ同時に夜干舎の面々も席を立った。
思わず動きを止める。
「なんだ、どうした」
揶揄うような店主のしゃがれ声に、ハロだけがばつの悪そうな顔をする。
「別に……」
「夜道は心細いと思ってな!」
からっと笑う夜干舎代表を見て、バサルトもつられたように笑う。
「本当にこの子達には優しいな」
「同じ集会所の好だ。気も使いたくなるさ」
そう言いつつも、役所の件については触れない。それがありがたかった。
「そういうことなら、俺もついて行こうか」
続く申し出にリシアは目を丸くする。
「えっ、でも」
「どうせなら店主も行くか?」
「馬鹿言え、店は空けられん」
「じゃあバサルトも加えて行くか」
支度を始める一同を見ながら萎縮する。何だか大事になってしまった。
「あの、とてもありがたいけどこんなに大人数じゃなくても」
「どうせ二手に別れるじゃないか」
「手間をかけさせちゃうし」
苦笑いを浮かべながら告げると、ほんの少しケインは眉尻を下げた。
「なら、以前のように私と行こう。代表同士の話でもしながら」
指を組み、答える。
「はい」
その返答に、夜干舎代表は満足気に頷いた。
「じゃあ、準備をするから少し待っていてくれ」
巻衣の合わせ目に指を差し入れ、辺りを見回す。
「おや、金……」
「俺もここでお暇するかな」
財布を探し出すケインを横目に、バサルトは陶貨を何枚か簾の前に置く。
「どうも」
「それじゃあ」
狭い店内で窮屈そうにバサルトは歩む。見かねて、リシアは先に店を出ることにした。
「外で待ってる」
「おお、待たせてすまない」
「また今度」
他の面子に声をかけて、アキラと共に扉を開ける。会釈をしながらバサルトも表に出た。
「悪いな。いやあ、流石に狭い」
扉を閉めつつバサルトは笑う。微かにしゃがれ声が追ってきたような気がした。
「……あいつが気遣うほど、この辺の治安は悪いのか?学生が何か被害にあったとか」
続く問いに固まる。固着した表情を見てか、冒険者は慌てたように禿頭を撫でた。
「すまん。嫌なことを聞いた」
なんとか口を開く。
「被害。そういう噂は、あるみたいです。信じ難いですけど」
民衆の味方である衛兵が加担しているとは、先程まで夢にも思わなかった。悪夢を思い返すような眩暈が視界を歪める。
「濁すということは、『そういう噂』なんだろうな」
バサルトはため息をつく。その表情に、まるで下卑たものが無いことに気付いて、リシアは驚いた。あの衛兵長ですら僅かにそんな色を滲ませていたのに。
「冒険者稼業ではついて回る話だ。無論、あってはならないことだとも」
一拍呼吸を置いて、至極真面目に告げる。
「気分を害するかもしれないが……君達のような子供や新米を食い物にする奴も、いる。冒険者内にも依頼側にも。月並みな忠告だが、とにかく気をつけるんだ。簡単に気を許してはいけない」
再びため息をつく。今度は少しばかり毛色が違った。
「おっさんが食い気味にすまん」
謝ることはない。そう思ってリシアは首を横に振る。
職業柄、彼は被害者を何人も見て来たのだろう。そう考えるとこの忠告を聞き流すことなど出来ない。
「心配してくれてありがとうございます」
「ああ。それと、黙したままが一番危ない。それだけは覚えていてくれ」
いつか、赤子を診察していた姿が今の様子と重なった。本心からの言葉なのだとひしひしと伝わる。
「もし周りにそんな子がいたら、気にかけてくれるとありがたい」
頷く。
何かが引っかかった。周りにそんな子がいたら。最近、とても気になったことがあったはずだ。
こめかみに指を這わせた途端、こつこつと扉を叩く音が裏路地に響く。バサルトが避けると静かに戸が開いた。
「待たせたね」
赤銅色の耳が覗く。
「金は払えたか」
「ああ。生憎ツケは好みではなくてね」
ふふんとケインは笑う。そう得意気に言うことでもないような気がしたが、つられて吹き出してしまった。その様をしっかりと目撃していたケインの耳が前に倒れる。
「笑ったなあ」
尖った爪が頬をつつく。ほんの一瞬、セリアンスロープはリシアの様子を確認するように目を細めた。
そうして安堵したのか、もう一度頬をつついた。




