落とし物
麦星通りの役所に着く頃には、斜陽も眩さを失っていた。駅前の喧騒ほどでは無くとも、業後の冒険者達の往来が目立つ通りを振り返る。
「お風呂借りて良かった」
「うん」
リシアの言葉にアキラも頷く。本職冒険者の姿は土汚れが目立っていても、頭から血を被ったような流血沙汰と見紛う姿の者はいない。最も、そんな姿の冒険者は本当に流血沙汰に見舞われ診療所送りにされているのだろうが。
「迷宮内だと前線なんかは休憩所もあるから、そういうところで汚れを落とすヒトもいるかも」
「キノコ狩りで行ったような場所だっけ」
「あそこは廃墟だけど、今はもっと設備も充実して綺麗な造りが主流のはず……まあ、湖の簡易休憩所以外他の場所を見たことないんだけど」
学苑では野宿を想定して寝袋の支給や野営の方法を学んだりもするが、実際に野営をした生徒の話は耳にしない。遠征を行った上級生も、休憩所を利用していたようだ。
獣避けの鈴や香もそこまで信用できるものではないし、何より周りにヒトがいたほうが安心できる。迷宮において「安心」がどれほどの価値を持っているかは深く考えずともわかる。
「迷宮で寝泊まりかあ」
もっとも、そんな「安心の価値」などは友人にとっては重要ではないらしい。キノコ狩り時の発言や今の感慨深い呟きを見るに、ある種憧れを抱いているのだろう。危機感が欠如しているのではなく、本当にただ無邪気に、迷宮が好きなのだ。
いつか一緒に、休憩所があるような奥地まで行こう。
そう告げるにはまだ早いような気がして、リシアは口を噤む。
数えるほどしか来庁者のいない広間を通り、よく見知った受付嬢の立つ窓口に向かう。向こうも既にリシア達の顔を覚えたのか、幾らか事務的な笑顔に柔和さを滲ませてくれた。
「こんばんは」
「こんばんは。駆除依頼の報告に来ました」
窓口の台にアキラが本日の成果を載せる。書類と、念のために生徒手帳も差し出すと受付嬢は目を通した。
「報告すると『完了』という形になりますが」
書類を読んだ後の言葉に、少し考え込む。ここで一度、依頼を終えてしまうのか。
しかし間髪入れず受付嬢は微笑む。
「経過報告にしますか」
きょとんとして、言葉を理解した後首を縦に振る。
「はい!」
「あくまで経過報告なので、現時点で報酬は発生しません。それでもよろしいですか」
「問題ないです」
「では報告を」
今回の成果と取得のあらましを告げる。ウワバミの砕けた生首を見せた時は流石の受付嬢も一瞬眉を顰めたが、即座に何事もなかったかのような笑顔に戻った。
「ウワバミを一個体ですね」
依頼書の特記事項を記す欄に走り書きを残し、差し戻す。
「素材はこちらで換金しますか」
「懇意にしている場所があるので、そちらを頼ります」
「了解いたしました」
収獲物を包みなおして、アキラに任せる。
「またのお越しをお待ちしております」
頭を下げる受付嬢にリシア達も礼を返す。
受付を離れ、役所の出入口へと向かう。
「勝手に継続にしちゃったけど」
「問題ない」
恐る恐る尋ねると、アキラは頷きながら答えた。
「今日のこと、早速活かせる」
頼もしい言葉だった。負けじと今日の反省点を、改めてリシアなりに洗い出す。
語り合いながら役所を出て、通りの半ばまで歩いたところで足を止める。
「あれ、手帳しまったっけ」
懐や小物入れを確認する。生徒手帳がない。先程受付に出して、それきり置いてきてしまったのか。
「素材と一緒に……は包まないか。やっぱり置いたままかも」
「戻る?」
アキラの問いに役所方面と駅を交互に見る。戻るには距離もあるし、アキラは大荷物だ。先に浮蓮亭に向かってもらったほうが楽かもしれない。
「アキラ、先に浮蓮亭へ向かって」
「一人で平気?もうだいぶ暗い」
「そ、それはアキラもでしょ……まだ人通りも多いし、浮蓮亭前以外は裏路地も通らないから」
目を逸らす。
「アキラこそ大丈夫?」
「逃げるか返り討ちにする」
逆に不安になってしまったが、「逃げる」という選択肢があるらしい発言を信じて役所を指差す。
「すぐに向かうから」
「……わかった」
少しだけ歯切れ悪くアキラは頷く。もう一度「すぐに向かうから」と告げてリシアは元来た道を駆けた。
息を切らせて階段を上がり、受付前へ再び戻ってくる。先程の受付嬢の姿はない。用があったのか出払っているようだ。
周辺を探してみる。手帳や類似したものは見当たらない。勘違いかともう一度懐を確認しても、やはり見つからない。
もしやと受付の中を覗き込む。
「おい」
びくりと肩を震わせる。低い呼び声の出どころを探して辺りを見回す。
「何をしている」
威圧的な靴音と共に衛士が一人歩いてくる。見覚えのある顔に、リシアは警戒心を顕にした。
「……落とし物を探しに来たのです。この辺りで生徒手帳を落としたのですが」
声音が冷たくなり過ぎないように告げる。以前アキラと共に役所を訪れた時に絡んできた衛士は、以前と変わらない軽薄そうな笑みを浮かべた。
「生徒手帳?学生さんが、ここで?」
向こうはリシアのことなどすっかり忘れているようだ。呆れつつ答える。
「迷宮科です」
「ははあ、迷宮科ね」
妙な間の後に、衛士は踵を返す。
「確認してきますよ。少しお待ちください」
「よろしくお願いします」
衛士の背中を見送り、近くの長椅子に腰掛ける。
少し、拍子抜けした。衛士長の態度を見る限り迷宮科の生徒には小言の一つでも投げてくるかと思っていたからだ。あるいは、美少女を連れていない平凡な女学生には興味がないのか。何にせよ以前とは違って事は早く済ませてくれそうだった。
詰所か何処かに続く薄暗がりで、何かが動く。目を凝らすと、先程の衛士が生徒手帳を振っていた。
慌てて駆け寄る。
「ありましたか」
礼が先か、確認が先か。少し迷って手を差し出す。
その手を、強く握られた。




