迷信
「アキラ!」
扉を開け、連れの名を呼ぶ。食事を終えて一息ついていたらしいアキラは口に含んだ茶を飲み干し、リシアに向き直った。
「おかえり」
「た、ただいま……」
肩の力が抜けるような挨拶を交わして、アキラの隣に座る。
食事を皆で取り分けて食べていたのだろうか、会食で用いる大皿が簾の奥に引っ込む。
大皿の代わりに、水を注いだ杯がリシアの前に出された。
「また第一通路に戻る?」
「うん。まだ残ってそうな場所がわかったから」
リシアは革帯に取り付けた小物入れから、迷宮科生徒に配布される地図を取り出す。興味津々な様子で覗き込むアキラにも見えるように、第一通路の頁を開く。
「ここの小通路に行ってみる」
「何があった場所なの?」
リシアは地図に記された、黒い丸を三角形上に配置した印を指差す。
「ここは元々、国が作った炊事場だったの」
エラキスの迷宮が発見された最初期、迷宮探索は王府が主導して行っていた。迷宮各所に残る簡易休憩所や炊事場跡は、この時王府によって設営された施設の成れの果てである。
「キノコは焚き火や火事の跡によく生えるんだって。炊事場なら元々火の気があった所だし」
「火の気?」
父から得た情報を告げると、アキラは無表情のまま、小首を傾げる。
「うん。理由は、私もよくわからないんだけど」
「……僕んところでも聞いたことあるよ、そんな話」
爪を弄っていたハルピュイアが唐突に口を開いた。
「前後逆だったけど」
「え、逆?」
「ハチノスタケは火を呼ぶんだってさ」
「キノコが生えるから、山火事が起きるってことですか?」
「そーゆーこと」
「へえ」
アキラは関心したように頷いた。
「面白いです」
一方のリシアは気が気でない。順序が逆だとリシアの立てた予想は無意味になるのではないか。
混乱するリシアを他所に、面々の会話はキノコ談義へと移る。
「私の郷では」
小さな硝子の杯で蒸留した大麦酒を煽り、セリアンスロープは呟いた。
「落雷の跡にはキノコが良く生えると言っていたな」
「雷が落ちるとキノコが生えるの?何それ」
「土の中のキノコがびっくりして出てくるんじゃないのか」
そう言って、ツボに入ったのか一人でケラケラと笑う。続いてフェアリーも談義に参入した。
「雷も炎も強大な力を持っていますから、それが何らかの成長増進作用を及ぼすのでしょう」
「魔力ってこと?」
フェアリーの言葉にハルピュイアは鼻白む。
「魔力とか関係なくて、ただの根拠のない迷信だと思うけど……」
「こらこら」
ハルピュイアの言葉をセリアンスロープは遮る。リシアの方を向き、呪術師は囁いた。
「不安にさせて悪いね」
「……」
「まあ、情報は錯綜するものだ。相反する事なんていっぱいある」
銀の指輪を重ね付けした人差し指が、地図の一点を指し示す。
未だ踏破されていない難関、第五通路の駅口から程近い小通路だった。
「一週間程前だったかな。ここで火事騒ぎがあったんだ。かなり大規模ですぐに閉鎖処置されたんだが……通行出来るようになったのは、今日の夕方頃らしい」
セリアンスロープは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「火事が起こるかもしれない場所なんて誰にも分からない。同じ経験則なら、火事の跡を調べる方が得策なんじゃないかな」
静かに地図を見つめていたアキラも、口を開く。
「どちらにしろ、火がある所にキノコもある訳だよね」
両者の話を聞き、リシアは暫し沈黙する。
……結局のところ、やるべき事は一つなのだ。ここに座っていてもキノコは見つからない。
「ありがとう、ございます」
深々とリシアは頭を下げる。地図を仕舞い籠を背負う。
「行こう。炊事場と、第五通路へ」
「うん」
「会計は済ませた?」
「さっき支払った。ご馳走様でした」
アキラも傍に立てかけてあった火かき棒を持ち、立ち上がる。
「迷信を信じるの?」
追い討ちをかけるようにハロが呟いた。リシアはそれに答える。
「昔から伝えられている事って、それなりに信憑性があるから伝えられているんだと思う、ます」
妙な語尾になってしまったが言い切る。ハルピュイアは少し唇を尖らせて、つまらなさそうに目を逸らした。
「そうだぞー、迷信や伝承を馬鹿にしちゃいかん」
したり顔でセリアンスロープは頷き、何かを思い出したように慌てた様子でアキラを指差す。
「そうだ、確かめたい事がある」
「なんでしょうか」
アキラがそう言い切らないうちに、セリアンスロープは右掌をぺたりとアキラの腹部に当てた。
「……平らだ。どこに入ったんだあの量」
「喉まで詰まってんじゃないの」
「そんな事で足止めしてやるな」
店主の言葉にすごすごとセリアンスロープは引き下がる。何のことだか分からないが、取り敢えず事は済んだようだ。
「それじゃあ……ちゃんと集めてくる。籠いっぱい」
「頼もしい言葉だ」
「頑張るんだぞ。祈っとくからな、安心するんだ。私の祈祷はよく効く」
「ケイン酔ってるでしょ」
「気をつけてください。依頼も大切ですが、身の安全はもっと大切です」
「……ありがとうございます」
店主と三人組に見送られ、二人は浮蓮亭を後にした。
少し名残惜しそうに閉じた扉を見つめるアキラを先導するように、リシアは駅へ進む。
「日が変わるまでには終わらせよう」
「うん」
歩調を速めるアキラをリシアは追う。いつもとは逆の立ち位置で、アキラはどこか晴れ晴れとしたリシアの横顔を見つめていた。




