悔しさ
いくつかの確認の末、「夜干舎」は牙と胴の皮を半分引き取った。器用に丸めて皮袋に収めるハルピュイアを見て、リシアは自身の傍らに視線を落とす。残りの皮と有用な臓器、丸々一匹分の肉塊と頭部は女学生二人で運べるような量ではない。途方に暮れるリシアの内心を察してか、セリアンスロープが声をかける。
「肉も半身分、いただいても」
「ぜひとも」
そう伝えるなり、手早くハルピュイアが肉を捌く。医療用の小刀を滑らせる度に蛇の肉に切れ目が入っていく。瞬く間に大蛇は半分に分割された。
この肉を加味しても、「夜干舎」が貰い受ける分は少ないように思えた。先の会話を向こうは内心気にしているのかもしれない。
「ここでも蛇は、食べるのかい?」
小刀を拭いながらハルピュイアが尋ねる。
「いいえ。馴染みはないです」
「おや、そうなんだね。その割には忌避感がなさそうというか、肉を持って帰ると聞いて驚く様子も無かったから」
「食べたことはあるんです。浮蓮亭で……」
「へえ。そういう料理も出すんだね、そのお店は」
ちらりとセリアンスロープを盗み見る。表情や挙動はまるで窺えない。
代表から浮蓮亭での顛末を聞いていないとも思えない。警戒しつつ話を続ける。
「はい」
「やっぱりあの通りは、僕らみたいな余所者が多いんだね。ウゴウくん、やっぱり集会所はあそこで」
「先生。手早く済ませないと鮮度が落ちる」
ハルピュイアの言葉を阻むように告げて、セリアンスロープは女学生へと歩み寄る。
小脇に蛇に絡めたままだった投網を抱えていた。
「あ……」
自身の持ち物を眺め、慌てる。すっかり忘れていた。かたやアキラはいつの間に抜き取ったのか、剣は鞘に収まっていた。
「これも貴女方のものでしょう」
「はい。ありがとうございます」
代表の手から網を受け取る。手甲から伸びる指の根元に、見覚えのあるきらめきがあった。注視する間も無くセリアンスロープは手を引く。
「油紙や素材袋はあるかね?」
「はい」
「これだけの量を持って帰るのは骨だろうけど、大丈夫かい」
ハルピュイアに問われて、小さく折り畳んだ油紙を小物入れから取り出し、広げる。何とか解体したウワバミは包めそうだ。
「運ぶのは私がやる」
隣でアキラが囁いた。
「リシア、早く上に戻ろう……辛いでしょ」
辛い、と聞いて背中をさする。確かに今日は打身だらけだ。それほど痛みは無いが、こういうのは時間が経ってから痛みがやってくることは知っている。きっと酷い痣も浮かび上がってくるのだろう。
そしてそれは、アキラも同じだ。
「うん……ありがとう。アキラにも無理させたくないし」
ほんの少し笑顔を浮かべると、アキラはほっとしたように雰囲気を変えた。リシアに代わって油紙に素材を包む。粗方紙の中に収まったのを見届けて、リシアは皮帯を渡す。
「これで締めたら、背負うことができる」
「なるほど」
本職冒険者達も荷造りが終わったようだ。この後の予定はわからないが、思わぬ収獲物が荷物にはならないだろうか。気になっている端で、代表がハルピュイアに話しかける。
「アムネリスとジェミは先に?」
「そうだねえ。まあ、そこまで遠くには行ってないはずだよ」
「そうか。この荷物だと一度上に戻りたいが」
「一走り行って声をかけてこようかね」
「頼む」
そうセリアンスロープが告げた途端、ハルピュイアの姿が消える。遠くで微かに地をかける音が響いた。
「先生が戻るまで待とう」
「はい」
もう一人の組合員が代表の言葉に頷いた後、ごとごとと外套膜の下で殻が蠢く。裾を円く広げて、天使は腰を落ち着かせた。椅子代わりにもなるのか、と感心する。
「貴女方は上に戻るのでしたね」
声をかけられリシアは頷く。
「はい。本当に、ありがとうございました。蛇もこんなに残してもらえて」
「あと一息、というところまで弱らせたのは貴女方ですから」
ふと、代表は言葉を切る。
「次は仕留められそうですか」
心臓が弱く締め付けられたような気がした。何か、よく知っているのに形容できない感情が込み上げてくる。
「仕留めます。失敗したら……もう次は無いと思うので」
決して準備を怠ったわけではないし、侮っていたわけでもない。それでも追い詰められた。
次は今回の経験を基に、もっと上手くやれるはずだ。そうでなければならない。また既のところで助けが来るかもしれないなんて、愚かな希望的観測だ。
自身の手をきつく握りしめていることに気がつく。
そうか。悔しいんだ。二度も助けられているのに。いや、だからこそ。
腑に落ちて、噛み締める。
隣の友人もどことなく、やるせないような表情をしていた。彼女も悔しいのかもしれない。反省しているのかもしれない。きっとリシアと同じだ。
「アキラ!」
だから、次へと繋げるために肩を叩いた。
「ウワバミの口を綴じたのも、網を引いてくれたのも、良い判断だった。ありがとう」
一瞬同輩は固まり、ぽつぽつと呟く。
「思ってることがわかったから、なんとなく」
そう言ってアキラはほんの少し目を泳がせた。
「ああやって声をかけてくれると、嬉しい。それに、前より立ち回りも上手くいってたと思う」
なおも照れたように、頬を掻く。
「ちゃんと進歩してるんじゃないかな、私達」
その言葉にいくらかリシアは救われた。




