戦闘 大蛇(2)
噴気音と共に大蛇はとぐろを巻く。鱗が擦れあうたびに、はらはらと白い脱皮柄が舞った。
隙が出来ている。
柄を握る手に力を込め、振りかぶる。更に怯ませることができれば道が開ける。倒すか撤退かは、まだ判別がつかないけれど。
錯視のような紅い軌跡が奔る。剣筋が熱を吹き出し、蛇の体表を舐めた。より小さく固く蛇は縮む。先程の制圧が嘘のように、大蛇は存在感を無くした。
緊張の糸が一瞬途切れかける。
結び目にも見えるとぐろが、陽炎の彼方で不意に解けた。
背筋に冷たいものが伝う。瞬時にリシアは顔を庇うように剣を構えた。
目の前が肉色でいっぱいになり、生臭い吐息がかかる。遅れて音と衝撃が届いた。
「うぐ」
大蛇の口蓋にウィンドミルが支える。牙の合間に挟まった刃がかちかちと擦れ合い、耳障りな音を立てた。
大蛇は毒蛇ではない。だが、瞬発力を持って捕らえた獲物を逃さないための鋭い牙を持っている。半ば肉に埋もれた細い歯でも、ドレイクの身体に致命傷を与えることはできる。今まさに目の前にあるそれを見つめ、リシアは歯を食いしばった。
肩が再び壁につく。押し負ける。それだけならいい。今はウィンドミルで蛇の動きを抑制することができている。これが外れてしまったら。
「……アキラ!」
同輩の名を呼ぶ。
指示と言えるようなものは無い。それでも意を汲んだように、夜色の少女は視界から消えた。
金属音が響く。
ウィンドミルと垂直に突き立った剣に、一瞬リシアは目を見開く。温かな飛沫が顔に散った。
大蛇の頭上にしがみつくアキラと目が合う。
炉に蒼い光が灯った。
口内を焼き尽くすように火が噴き出す。あつっ、と小さく叫びながら頭を僅かに押し返した。
もがき始める大蛇の口からウィンドミルを抜き、横に転げる。体勢を整え向き直ると、隣に赤いジャージが放り出された。
受け身をとってアキラは鋭い眼差しを投げかける。何かを構えようとして、手の中に何も無いことに気付いたのか小さく声を上げた。
「あっ……」
暴れる蛇を二人して見上げる。上顎と下顎を縫い留めるように突き刺さった剣から鮮血が滴る。頭を壁に、天井に打ち付け、大蛇の這う跡が赤く染まる。
いつか、自律型遺物を相手取った時のことが走馬灯のように過ぎった。遺物は直ぐに機能を停止したが、生物はそうはいかない。
それでも、このまま時間を置けば確実に弱っていくだろう。
……いつまで待てばいいのか。
まだらに焼けた舌が剣の合間から溢れる。この状態では、先程のように匂いを拾うこともできないだろう。
いつの間にか尾の先までもが空間に引き込まれていた。長大な体が一画に纏まっていく。
再びリシアは身構える。
おそらくもう一度、がむしゃらに体当たりを仕掛けようとしているのだろう。ましてや今は手負いだ。残る力を振り絞って排除にかかってくる。先程の比ではない威力のはずだ。
見切らなければ。
見切れるのか。
狭くなる視野の死角、手の甲に何かが擦れる。自身が肩に担いでいたものを思い出して、即座にリシアは行動に移した。
腰を低く身を捻り、網を投げる。
空で開いた網が、通路の隅で此方の隙を窺っていた大蛇に覆いかぶさる。長大な蛇でもとぐろを巻いている状態や身構えている時は網で被える程度の大きさになる。案の定、大蛇は尾の先を残して網目の中に収まってしまった。
網を引く。窄まる糸の中で蛇はもがき、血や脱皮殻を振り散らす。顎を閉ざす剣の柄が更に網を絡め取った。自由を失っていく中、一層の恐慌状態に陥ったのか激しく暴れ狂う。
「リシア」
名を呼ばれた。手から網を取り、アキラが叫ぶ。
「とどめを刺して」
頷く。拘束はアキラに任せて、リシアは大蛇に駆け寄る。
蛇の急所。より速く絶命させるには。脳裏で頁が捲れる。心臓、喉、髄。結論が出ないまま、呼吸を荒げ編み目の合間に剣を突き立てる。
何度も、何度も。
それでもまだ、尾の先はのたうっている。瞼のない白く濁った目が、此方を見つめている。
はやく。
はやく、死んでくれ。
刃が滑る。鱗か血か脂か、原因の判別もつかない。ただただ絶命を祈ってウィンドミルを振るう。
尾がリシアの頬を叩く。遠心力を伴った不意の一撃でリシアは体勢を崩し、地に膝をついた。
投網が盛り上がる。最期の抵抗だろうか、貫かれた鎌首をもたげ、横転するように少女を押し潰そうとする。
焦げた呼気が纏わりつく。
憑き物が落ちたようにリシアは我にかえった。先程までしっかりと握ることができていたウィンドミルが、ぬるりと掌から抜け出る。
滴るほどの返り血が、むせ返るような臭いを放つ。
大蛇の顎から突き出た刃を伝って血が滴り落ちる。ネズミと同じ血潮のはずなのに、こんなにも赤くて熱い。視界が染まるような赤が、そこかしこに広がっている。
血に気を取られている間にも影が迫る。避けなければならないのに、粘ついた重みに捕らえられて足が動かない。手指が痺れるのは無茶苦茶に剣を振っていたからか。何故だか頭の隅は冷えていて、そんなことを考える。
滑らかな鱗がどこかの肌に触れた瞬間、地響きと共に土埃が舞った。




