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父娘

既に人通りも少ない住宅街。その隅にひっそりと佇むスフェーン邸の居間に明かりが灯っていることを確認して、リシアは勝手口に回った。


「お父様、爺や、いる……?」


静かに扉を開く。薄暗い台所の床に、居間から差す明かりが影を落としている。人の気配は無い。そっと足を踏み入れ勝手口を閉める。


床板が軋む音がした。


「……御嬢様?」

「わ!爺や……ビックリした」


暗がりから現れたのは、背広を着こなした老紳士だった。スフェーン家の執事は目を丸くし、いつもと同じ穏やかな口調でリシアをたしなめる。


「こんな遅くまで……旦那様が心配なさっています」


そしていつも通り、剣や鞄、上着を手入れするため手を差し出す。


「失礼いたします、預かりましょう」

「大丈夫。また出るから」

「なんと。もう日が沈んで随分と経ちます」


執事は訝しげに目を細めた。


「最近は治安も悪いですし、もしもの事があったら」

「ウルツ、リシアが帰ってきたのかい?」


居間から、父の声が聞こえてきた。少し安堵した様な声音に、リシアは思いの外家族に心配をかけさせていたことを知る。


「ただいま戻りました」

「おいで。ウルツがお茶の用意をしてくれている」


言葉のままに、リシアは居間に入る。スフェーン子爵は小太りの体をゆったりと長椅子に預け、磁器の杯で花茶を味わっていた。不思議と鷹揚には見えない。良くも悪くも貴族らしさに欠ける人物が、リシアの父であるスフェーン子爵だった。


向かいの小さな椅子に腰掛ける。普段のリシアの特等席だ。


「今日は遅かったね」

「ええ、課題に手間取って……まだ終わってないの」


申し訳なさげに、リシアは父に言う。


「また出る」

「どのくらいかかりそうかな」

「真夜中までかかるかも」

「そんなに……」


はらはらとした表情で執事が呟いた。父も、何処か困った様な表情だ。


「もしかして、期限が差し迫っているのかい」

「うん」

「どんな課題なのかな」

「あのね……」


リシアはぽつぽつと、浮蓮亭の依頼について話す。籠いっぱいにキノコを集めないといけない事、もう一人一緒に依頼を受けている子がいる事、件のキノコがまったく見つからない事……そして、あのハルピュイアが言っていた事。


「確かにその通りなんだけど! わかってるけど! もし集まらなかったら……どうしよう」


リシアは俯いてしまう。気落ちしている娘を見て、何故かスフェーン子爵はふくよかな顔に笑みを浮かべた。


「リシア、音を上げて帰ってきたわけじゃあないだろう?」

「……」

「キノコを買うお金を借りる為に、戻ってきたわけでもないだろう?」

「……うん」


怒られた。


そう悟ってリシアは熱くなった目頭をこする。執事がそっと差し出してくれた花茶を一口飲み、息を吐く。


「ごめんなさい。愚痴なんて言って」

「愚痴を聞くくらいなんでもないさ……確かにその冒険者さんの言葉は正しい。もしもの時はキノコを買い集めないといけないだろうね」


父は太い指で焼き菓子を一つつまみ、リシアの受け皿に置く。茶受けによく供される、リシアのお気に入りの店の菓子だった。


「ただ、その『もしもの時』を心配したり、依頼人の期待に添えない事を憂慮するには時期尚早なんじゃないかな」


リシアもそう思ったから、ハルピュイアに啖呵を切ったのだ。それが夜道を走る内に、不安に塗りつぶされてしまっていた。


ぺちり、とリシアは両頬を叩く。


「そうだよね。ありがとう、お父様」

「どういたしまして……お腹は空いていないかい?これだけでも食べると良い。ウルツが買ってきてくれたんだ。好きだろう?」

「うん」


こっくりとした乳酪に刻んだ干果を混ぜ込んだものを小麦の焼き菓子で挟んだ一品を、リシアは一口齧る。いつも通りの美味しさだった。少し元気が出て、リシアは気合いを入れるように背筋を伸ばした。


「キノコかあ……よく輪っかになって生えてて、可愛いんだけどね。うまい栽培法が確立すると良いんだけど」

「お父様、キノコには詳しい?」

「申し訳ないけどあんまり……」


キノコと植物は厳密には違うと聞く。土いじりが好きと言っても、菌類に関しては門外漢なのだろう。


「ああでも、ハチノスタケは火を好むって聞いたことがあるなあ」


しばし考え込んでいたが、何事か思い出したように再びスフェーン子爵は口を開いた。


「火を好む?キノコが?」

「うん。なんでも焚き火や山火事の跡にはハチノスタケの群生が沢山出るとか」

「朽木よりも灰の方が、栄養豊富だからでしょうか」


父の言葉を、リシアはしっかりと記憶に留める。重要な手掛かりだ。


「そういえば一緒に課題をこなしてる友達がいると……悪い事をした、あまり待たせちゃいけないね」


申し訳なさげに父は眉尻を下げた。確かに浮蓮亭でアキラを待たせたままだ。


「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。待ってるからね」

「私めもお待ちしております」


胸元で印を切り、執事は加護の祈りを囁く。


「御嬢様に神の思し召しがあらん事を」

「ありがとう、爺や。お父様も」


執事と父に感謝を述べ、椅子の傍に置いてあった家宝を帯びる。見送る二人に背を向け、リシアは居間を出た。


街灯の並ぶ夜の街をリシアは息を切らせながら走る。スフェーン邸は遠ざかり、不夜城の如きエラキス駅が眼前に現れる。それすらも通り過ぎて、リシアは浮蓮亭に飛び込んだ。

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