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試食 陸水母

「あっ」


走り去って行った女学生を見送った後で、してやられたという風にハロは声を上げた。


「あの子、逃げたんじゃないの」

「何から逃げたんだ?」


頭を抱えて机に突っ伏すハルピュイアを見て、異種族達は顔を見合わせる。


「これから美味しい食事が来るから元気出せ」

「それ本気で言ってるの」

「食感が面白いんです」


宥めすかすような言葉をかけるケインとライサンダー。その様子をアキラは静観する。


「君も、ヒドラは初めてかな?」


不意にケインはアキラに話を振る。赤銅色の瞳が興味深そうに赤ジャージを捉える。


「はい。初めて食べます」

「そうか。まあ私も初めて食べるんだけどな……ところで、お名前は?」


呪術師は右手を差し出した。不可思議な紋様が刻まれた掌を繁々と眺めて、アキラは自己紹介をする。


「アキラ・カルセドニーです。学苑に通っています」

「アキラか。東方風の名前だな」


薄暗い店内で、すこし膨らんだ瞳孔が輝く。ドレイクとは違うその瞳や耳を、アキラは不躾だと思いながらもまじまじと見つめてしまう。


「失礼、私達も名乗るべきだな。私はケイン。見ての通り、セリアンスロープだ」


アキラの目の前に差し出されていた手が動く。その手が扉の側に座るハルピュイアを示した。ハロは憮然とした顔で頬杖をついている。


「あっちはハロ。ハルピュイア」


続いてケインの左隣に座るライサンダーを示す。


「で、こっちはライサンダー。フェアリー」


巨躯の異種族が軽く会釈をする。釣られて、アキラも頭を下げる。


「三人共冒険者で、夜干舎に所属している。ちなみに私が代表だ」

「ヤカンシャ」


不思議な響きの屋号をアキラは復唱する。

気になるかな、とケインは微笑んだ。


「故郷に生息する動物の名前だ。神の僕だとか、宙から降ってきたものだとか、色んな伝承があるんだ……そうそう、人を化かしたりもするらしい。私と同じだな」


そう言って、肩口から流れた頭髪を一房弄ぶ。以前迷宮で出会った時と同じ、鈍く光る赤銅色だ。

繁々とその頭髪をアキラが眺めていると、不意に簾が巻き上がった。


「とりあえずの一品だが」


小皿が四つ、カウンターに出された。瓜と薄茶色の不思議な物体を千切りにして和え、鷹の爪と胡麻を散らしたものが深めの小皿に盛り付けられている。


「来た」


ハロはカウンターから目をそらす。席を立とうともしない……或いは出来ないハロの卓に、ライサンダーが皿を置く。


「どうぞ」


恨めしそうにハロは仕事仲間達を睨む。


「……これ、火通ってるの」

「湯引きした」

「それ殆ど生じゃない?」

「生で食べたりもする」


ハロは溜息をつく。


「何言われても、僕食べないから」


セリアンスロープが席を立った。そっぽを向くハルピュイアの隣へ行き、優しく肩に手を乗せる。


「ハロ、ライサンダーがお前のために持って帰ってくれたんだぞ」

「嫌がらせで?」

「何を言うか。ライサンダーがそういう奴じゃないのは、ハロもよく知ってるだろう?」

「……」

「怪我で身動き出来ないハロを励ましたかったんだ」

「喜んでくれると思ったんです。バサルトもそう言ってましたから」

「ライサンダーはヒドラと取っ組み合って、刺胞で酷い目にあってるんだ。そうまでして捕まえてきたのに、お前は……」


店内に静寂が訪れる。


「……フェアリーは刺胞も毒も効かないでしょ」


冷めた表情で、ハロはライサンダーを指差す。確かに全身を覆う外殻は、ヒドラの刺胞程度なら物ともしないだろう。


「つべこべ言わず食べるんだ」


突き匙で酢の物を一掬いして、ケインはハロの口元に近付ける。顔を反らせて身を捩りハロは全身で拒否の意を示す。


「やだあ」

「こら!折角ライサンダーが取ってきて店主が拵えてくれたのに」

「ケインが先食べてよ!そしたら僕も考えるからさ」

「ハロが食べたらみんな食べる」


舌戦を繰り広げる二人を眺めながら、アキラは突き匙を取り、ヒドラの冷菜を一口分掬う。


おそらく、薄茶色で半透明の物体がヒドラなのだろう。一瞬だけ匂いを嗅いでみる。穀物酢のツンとした匂いが鼻にきた。


意を決して一口。


「お、どうだ」


店主の言葉に、異種族三名はアキラの方を向く。暫くもぐもぐと口を動かし、嚥下してアキラは呟いた。


「こりこりしてます。もっと柔らかいものだと思ってたけど」


それから暫し考え込んで、こうとも言った。


「ヒドラ自体に味は無いんですね。臭みも無い」

「そうだな。クラゲだともっと磯の香りがするんだが」


二口目をアキラは口に運ぶ。やはり、こりこりとした物体自体には味が無い。酢の酸味と鷹の爪の辛味が瓜やヒドラの歯応えと相まって、口の中をさっぱりとさせる。食前の冷菜にはうってつけだ。


「ほら、ハロも」


ケインが再び突き匙を差し出す。半ば泣きそうな顔になりながら、ハロは匙を受け取り冷菜を口にする。


暫く咀嚼して、ハロは感想を述べた。


「何これなんか……酸っぱい……」

「そりゃ酢の物だからな」


店主との応酬を見て、ケインは満足気に頷いた。元の席に着き、自身の小皿を手に取る。


「さて私も食べてみよう」

「もしかしてケインさあ」


ハロは匙を咥えながら何事か言おうとして、かぶりを振って黙り込む。


「うん、確かに食感が面白いな」


ハロの沈黙も意に介せず、ケインは冷菜を食べ興味深そうに呟く。


「もう一品、こんなのもどうだ」


再び簾が巻き上がり、今度は平皿が出てくる。まだ油が表面でふつふつと弾ける音が聞こえる揚げ物だ。


「揚げ物も割と良く合う」

「へえ」


前のめりになりながら、アキラは揚げ物を注視する。


「フリットですか」

「パコラかー」

「ステークトじゃん」


夜干舎の面々はそれぞれの故郷の言葉と思われる単語を発した。


「そのまま食べてもいいし、柑橘の汁を絞ってもいい」


皿の端に添えられた櫛切りの柑橘をアキラは手に取る。とりあえずはそのまま食べてみようと、一旦柑橘は元の場所に置き、突き匙で揚げ物を一つ突き刺す。


「熱いから気をつけろよ」


店主の言葉に頷きながら、アキラは揚げ物にかぶり付く。


「ん」


冷菜よりも火が通っているからか、歯応えが増している。こりこりを通り越してギョリギョリとした食感に変わったヒドラを噛み締め、味わう。


「……」

「どうだ」

「美味しいです。下味がしっかり付いてる」

「漬け込み時間そんなになかったでしょ?」


訝し気にハロは呟いて、おずおずと揚げ物を一つつまみ、口に放り込む。


「……ほんとだ」

「切れ目を入れたり粉で層を作ったり、出来る限りの小細工はした」

「ヒドラ自体、味が染みやすいのでしょうか」


二個目の揚げ物を飲み込み、ライサンダーは疑問を呈する。


その右隣でケインは揚げ物に柑橘の汁を搾りかけ、口にした。暫く黙々と口を動かし、


「……酒が欲しい」


万感の思いを込めたような声音で、そう言った。


「酒は一人分でいいか?」

「ライサンダー、飲むかい」

「いえ、今日は遠慮します」

「じゃあ僕にちょーだい」

「駄目だ。未成年だろ」


ぴしゃりとハロを叱りつけるケイン。アキラの方を向いて、念の為といった風に指を立てる。


「君も駄目だぞ?」

「はい」

「ところで、他に何か食べないのか」


店主が誰にともなく聞いた。冒険者三名はそれぞれ、特に頼むものは無いという事を身振り手振りで示す。


ただ一人、アキラは小さく手を挙げた。


「あの、この間の麺料理を大盛りでください」

「餡掛け焼きそば大盛り」

「それと、リシアが食べてた汁物も」

「うん」

「あとヒドラの揚げ物も、お代わり良いですか?」


いつのまにか空になっていた平皿を、酒が出された後に開いた簾の隙間から厨房に差し入れる。皿はゆっくりと引き込まれる。


「……随分食べるな」

「お腹が空いてて。それに、とても美味しいから」

「ふふ、そう言われると悪い気はしないな」


掠れ声を嬉しそうに弾ませて、店主は調理に取り掛かる。


アキラはハッとしたような顔をして、ケインを向き頭を下げる。


「あの、勝手にすみません。あなた方が獲ってきたヒドラなのにお代わりして」

「いや、まったく構わないよ!じゃんじゃん食べてくれ」


何と言うこともないようにケインは笑う。


「しかしこの店、大盛りもあったのか」

「倍量でも良いって言ってくれたんです」

「倍量……?」


小首を傾げるセリアンスロープをよそに、アキラはどこか待ち遠しい様子で頬杖をつく。




……暫くして出て来た大盛りの麺料理を見て、アキラは珍しく歓喜の声を上げ、店内は困惑に陥った。

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