お呼ばれ(4)
二人の打ち合いを眺めながら、入学前の特訓を思い出す。
急遽迷宮科へ入学が決まったリシアに剣術を教えてくれたのは、他でもない執事だ。父とリシアの頼みに憂うような表情で頷いた彼は、入学式の前までに平凡な少女をまともに剣が振るえるほどの腕前に仕上げた。肺活量ぐらいしか運動に関わる長所のないリシアにとっては、それでも見違えるような進化だった。
「切先ばかりを見てはいけません」
静かな、しかし鋭い一言が発せられる。言葉少なく、的確に改善点を指摘する執事の指導はアキラに対しても変わらない。
教示は不得手だと言っていたがリシアの成長を鑑みるに、またこの数分の間にもアキラの剣技の精度が格段に上がっていることも踏まえると、充分に指導力はある。
彼の尽力があって、今のリシアがいる。改めてリシアは感謝の念を抱いた。
一方で、執事が指導の最初に告げたことをぼんやりと思い出す。
私が教えることのできる剣は、小器用な剣ではありません。
人を殺すためだけの剣です。
確かにそう言っていたのだ。
「白熱してるね」
不意に言葉をかけられ、リシアは辺りを見回す。
「お父様」
丸い体を縮こめ東屋にやって来たスフェーン卿は、囁くようにリシアに尋ねる。少し乱れた襟元をそれとなく指摘すると、慌てて整えた。
「剣の練習かな?」
「ええ、ウルツが稽古を。そうだ、早速アキラに」
「もうちょっと待ったほうがいいかな。ウルツもなんだか楽しそうだし」
友人を呼ぼうとしたリシアを宥め、父はこっそりと来客の様子を窺った。
途端、訝しげな表情になる。
「……あれ、彼女」
「この間いらしていたシノブさんの、姪なの」
「ええっ!」
スフェーン卿の声が響く。執事がまず剣を止め、鞘に納めた。同様にアキラも切先を地に向ける。
「旦那様、申し訳ございません。つい夢中に」
「いやいや、構わないよ」
焦りながらも父は執事に言葉を返す。しかしその目はアキラに向けられたままだった。
東屋へアキラが駆けてくる。スフェーン卿の前に立った後、剣をどうすれば良いのか悩むように逡巡した。慌ててリシアが受け取る。
再び向き直って、少女は深く頭を下げた。
「はじめまして。アキラ・カルセドニーと申します」
「アキラさん。アキラさんか」
どこか茫然と名前を復唱した後、我に帰ったスフェーン卿は微笑む。
「はじめまして、アキラさん。リシアがお世話になっています」
手を差し出す。アキラと慣れない握手を交わした後、スフェーン卿は恐る恐る尋ねた。
「シノブ・カルセドニー教授が貴女の伯母様だと」
「はい」
「うーん、そっくりだあ……」
感服したように父はため息をついた。
「ああ、申し訳ない。カルセドニー教授とは旧い知り合いで」
「碩学院で、でしょうか」
「うん。僕もそこに籍を置いていたことがあってね。指導を受けたことも、仕事仲間だったこともあるんだ」
奇特な巡り合わせだ。アキラもまた、何か思うことがあるのかいつもと違う無表情で父を見つめる。
「不思議な縁だね」
そう呟いて、スフェーン卿は穏やかな眼差しを向けた。
「娘から、君のことはよく聞いていたんだ。頼れる友人なのだと」
思わずリシアは赤面する。狼狽える娘をよそに、父は頭を下げた。かつてないほど真面目な声音で告げる。
「リシアをよろしくお願いします」
「私の方こそ、リシアには本当に感謝していて」
なんだか終始が付かなくなりそうな予感がして、軽く咳払いをした。
「お、お父様……」
「ああ、ごめん。稽古中だったね」
一転、父はいつもの雰囲気を取り戻した。いつの間にか取り皿を用意し茶を淹れていたウルツに話しかける。
「軍の剣も久しぶりに見るよ」
「お嬢様はウィンドミルの方が慣れておりますからね」
主人に杯を配した後、再び剣を取り執事は東屋から出る。
「もう少し、正確な動きができるまで打ち込んでみましょうか」
「はい」
執事の言葉に返事をし、スフェーン卿に向けて一礼をする。剣を携え執事の後を追うアキラの背を見つめながら、リシアは溢した。
「私も、頑張らなきゃ」
卓の上の本を取る。
「お父様、もうしばらくこの本借りていい?」
「うん」
軽食を頬張りながらスフェーン卿は頷く。
「気合十分だね」
正直なところ、肉体的な強さの面でリシアはアキラには全く及ばない。これまでの冒険や今日の練習で痛感してきたことだ。
けれども経験や知識を収集することに関しては、迷宮科としての、班長としての自負がある。
剣と同じで、それぞれ得意としているところが異なるのだ。
その長所を伸ばすことはきっと、互いのためにもなる。そう信じてリシアは書物を開いた。動物の急所はこの書物で理解することができる。他に学ぶべきこと、対策すべきことは何だろうか。今の力量や制度化で扱うことができる罠も洗い出してみようか。以前アキラと話した、落とし穴のような大掛かりなものではなくあらかじめ用意できるような物は何か。
手を動かしたくなって筆記用具を小物入れから取り出した。頁をめくり筆を持って、没頭しようとする。
「次は、お嬢様ですよ」
集中しかけた意識は、執事の一言で一旦途切れた。




