眼中
迷宮科の同輩と赤いジャージの少女の後ろ姿を遠巻きにうかがう。気心の知れた間なのか、いつもは他人と距離を置いているように見える同輩も、屈託なく微笑んでいる。時折見えるその横顔から目が離せず、用件も忘れて立ちすくんだ。
入学してからかの同輩に起きた悲劇は誰もが知っている。没落した貴族が迷宮科に来るのは珍しくもないが、同じく手を取り合ってやって来た幼馴染に捨てられるなんて、非道い話だと思った。相手があの令嬢でさえなければ、彼女は文字通り悲劇の主人公になれた。
単に、相手が悪すぎた。グロッシュラー家のマイカの方が、悲劇の主人公という配役に相応しかったのだ。どんな経緯でマイカがリシアから離れたのか、事の真相は誰も知らないのだろう。ただこの二人が決別したと言う話が伝播するにあたって、両者の性質と背景から勝手な脚色がつけられた。結果、かたや第六班の期待の星、かたや落ちこぼれとは残酷なことだ。
正直なところ、一月も経たずに辞めてしまうと思っていた。そもそも迷宮に一人で立ち入ることはできない。迷宮に入れない以上、在籍する意味はない。しかしリシアは何故か迷宮科に居続けた。
あの夜色の少女が、手を差し伸べたのだろう。
遠目にもわかる美貌には確かに見覚えがある。しかし、迷宮科にあんな生徒がいただろうか。しげしげと二人を見つめていると、夜色の少女が何かに感づいたのか辺りを見回した。慌てて壁に背を沿わせる。
当初は少しばかり存在していたマイカへの批難の声もいつのまにか消えていった。半ば忘れ去られていた事件だ。しかしその事件に、今になって妙な進展があった。リシアが第六班と行動するようになり、自ずと注目を集めるようになったのだ。
マイカに去られてのち、奇跡的に持ち直したリシアについての噂はいくつか耳にしたことがある。曰く、講師に取り入った。決別したはずの幼馴染を頼って第六班に媚を売った。普通科の生徒を引き込んだ。荒唐無稽な話に一片でも真実が含まれているかはわからないが、少なくともそれだけの噂のタネが、リシアにはあるのだろう。
必死だ。それが、好ましかった。
必死な他人を見ていると安堵する。
このまま少女から離れるか直接話しかけにいくか迷って、もう一度盗み見る。
視界の隅に、見知った男の姿が入った。
詰所から出てきた男は大広間に一歩踏み入れ、目を丸くする。彼に声をかけようとして、掲げた腕をすぐに引き下げた。
男の眼中に自身の姿は無かった。遠い受付の女学生を注視していることに気付いて、言葉を失う。
此方に気付かぬまま、男は受付へと向かった。ひと気の少ない大広間に能天気な声が響く。
挨拶から始まったたわいの無い会話。それと無い、と言うには明け透けな探り。そのどれもが聞き覚えのある言葉だった。
ただ一つ、些細な違いがあった。
話の「本質」に至らぬまま、少女達は見切りをつけたのか無理矢理に会話を終わらせる。近づいて来る二人分の足音に背を向けた。一瞥をくれるような気配もなく、足音は役所の外へと消えていく。
いくらか遅れて、衛兵の足音も出入口へと向かってきた。溜息にも似た呼気に耐えられなくなって、名前を呼ぶ。
あからさまに、衛兵は動転した。
「うわ」
「お時間は」
今更挨拶から会話を始める気にもなれなかった。取り繕うように引き笑いを浮かべながら、衛兵は此方へと歩いて来る。受付からは死角になって見えない壁際で、いつものように用件を告げる。
「この間の依頼、受けようと思います」
「ああ、そう」
どこか歯切れ悪く返事をする。違和感を覚えて、すぐに言い立てた。
「何か、困ったことでも」
そう尋ねると、男は煩わしげに目を泳がせる。その様を見ているうちに薄暗いものが噴き上がってきた。
「……最近、依頼を通すのが厳しくなったんだよ。今までみたいに書類を紛れ込ませて終わりってのはもう無理だ」
「衛兵の貴方なら、いくらでも機はうかがえるでしょう」
「無茶言わないでくれ。受付も最近は出入りが厳しくなってるんだ。そもそも、こんな事を言い出したのはそっちだろ」
怪訝な顔が衛兵の瞳に映る。口の端を釣り上げ、男は囁いた。
「もうバレてるんじゃないか」
「なら、貴方も共倒れかしら」
自然、応酬に熱がこもる。二の句が告げなくなった男は再び視線を泳がせた。
「とにかく、今用意できる依頼はないよ」
「本当?出し惜しみしているものがあったりしないでしょうね」
「どういう意味」
「……念を押しただけです」
目の前で溜息をつきたくは無かった。
踵を返そうとした矢先、呼び止められる。
二言三言男は囁く。その言葉が先程の少女達への声かけと重なった。
妥協ですらない感情が滲んだ口調に、吐き気が込み上げてきた。
「さっきの子。あんな風に歩み寄れるなんて、知りませんでした。私の時とは大違い」
冷えた広間に響いた声に、肩を震わせる。幸い、自身が耳にするほど大きな声では無かったようだ。
それでも十分に、目の前の男を動揺させることが出来た。
「ちょっと、声」
小声で男は詰め寄る。
「……見てたのか」
次に何を言い出すのか、あらかた予想はついた。想定通り言い訳を始めた男に背を向け、役所を出る。
分かりきっていたことだ。それでも男の人間性をまざまざと見せつけられて、改めて少女は深く後悔した。




