地質調査(3)
「ごめんなさい、少しお待ちになって」
異音の主はのろのろと這いずる。小通路での緊張を思い出し、リシアは脱力した。
「よかった……」
「あら、スローネには気を許しているの?」
耳元で囁かれ、跳ね退く。忍び笑いを口ではない何処かから漏らすフェアリーを睨め付け、体裁を整えた。女学生とフェアリーを見比べるように仮面の嘴先を左右に振り、ハルピュイアは穏やかに告げる。
「此方の代表から話を聞いているよ。ケインにたしなめられたってね。ふふ、反省していたから気にしないでね」
口ぶりからするに、ハルピュイアもケインのことはよく知っているようだ。敵意の見えない声音になおのことリシアは混乱する。アムネリスと同様、彼もケインと険悪な関係というわけでは無いようだ。
腹の底ではどうだか。
気を引き締め、今度はハルピュイアから身を引く。その様子を見てか、ハルピュイアはほんの少し肩をすくめた。
「まあしょうがないね」
そうして、他の組合員を見渡す。アンジュはまだ通路の奥を這い、フェアリーはアキラにちょっかいをかけそうな雰囲気で様子を伺っていた。
「それでは」
頭を下げて離れようとする。アキラと共に踵を返した瞬間、後方から声が投げかけられた。
「まあ、まあ。先日の」
どうやらアンジェに捕捉されたようだ。無視するのも悪い気がして、振り向く。
やっとのことで追いついたアンジェは、ごとん、と音を立てて立ち止まった。
「ああ、その……ごめんなさい……」
か細く呟きながら、外套膜が溶けるように広がる。傍らのハルピュイアが慌てて水筒を手にした。
「大丈夫かね」
「大丈夫です、水切れではないんです。体が追いつかなくて」
ハルピュイアを片袖で制して、アンジェはずるずると体を復元する。
リシアの知る異種族は、どの種族も少なくとも手足は持っている。しかしアンジェには明確な四肢が無いように見えた。身体を形作る不定形の肉が、用に応じてその都度働きを変えているのだろう。
「あ、えっと、また会いましたね」
身なりを整えるように腰回りを払った後、アンジェは上体を屈めた。顔を覗き込まれたリシアは会釈を返す。
「もしかして、他の方々もいるのですか?小さなハルピュイアさんや、小さなドレイクさんも」
ハロと赤子のことを指しているのだと気づくまでに数拍費やす。いくつか誤解が生じているようだ。
少し悩んで、誤解だけは解くことにした。
「えっと、私達は夜干舎の組合員ではないんです」
「あら、そうだったのですか?」
首を傾げながらアンジェは波打つ。
「てっきり……」
「学生さんだよね。ほら、街を一周した時にエラキスの学苑を遠目に見たでしょう」
「ガクセイ?」
ハルピュイアの言葉に、今度は逆の方向にアンジェは首を傾げる。ガクセイ、ガクセイと復唱して、不意に折れた首を元の位置に戻した。
「小さなドレイクさんもガクセイなのですか?」
「あの子は……赤ちゃんです」
「アカチャン」
「あまり学生さん達を引き止めるのも良くないね」
収拾がつかないことを感じ取ったのか、ハルピュイアはアンジェの袖に軽く触れた。肩を竦めるように一瞬外套膜を収縮させて、足元を緩やかに溶かす。
お辞儀なのだと気づいて、リシアも頭を下げた。
「もう逃しちゃうの」
フェアリーが残念そうに呟く。光の加減で虹彩と瞳のように見える複眼が、女学生二人に視線を送った。
「そっちと」
腰に帯びた遺物が紅く淡く光る。
「そっちも」
アキラが額を押さえる。
「物凄く気になるのに」
硬質な声で囁く。リシア達のよく知るフェアリーと比べて彼女には「表情」がある。だというのに、纏う雰囲気は冷たく硬い。
端的に言ってしまえば、怖い。
何がそんなに彼女の興味をひくのか。
「……依頼があるので。失礼します」
目を逸らす。溜息のような空気の流れがあった。
「うん、うん。引き止めて悪かったね。気をつけてね」
「いくのですか?いってらっしゃい」
落胆するフェアリーとは対照的に、他二人は和やかに見送ってくれた。
「私達もね、行こうか。ほらアムネリス、機嫌をなおしてね」
「てきとうなことを言うお医者様ね」
ハルピュイアとフェアリーは女学生を追い越し、先に進む。
まさか、同じ依頼を受けているのだろうか。動向を見届けようとしてリシアは立ち止まる。
異種族二人の背中が遠くなる。
一方、御使は未だにリシアとアキラの後ろにいた。
「それでは」
再び岩を転がすような異音が響く。外套膜の下に何があるのか、リシアは考えないようにした。
「まあ」
袖が通路の壁に向かって伸びる。
「おかしな土……」
「スローネ」
ハルピュイアがいつの間にか立ち止まり、振り向いていた。フェアリーの方は痺れを切らしたようにこちらに歩いてくる。
「大丈夫かね」
「ああ、ごめんなさい、知らない味の土でしたから」
「暢気ねぇ。やっぱり足は必要かしら」
異種族同士の冒険だと、こういう形で足並みを揃えざるを得ないこともあるのか。妙なところでリシアは多種族組合の知見を得る。
この様子だと、動向を見る間に夜が更けてしまう。
「夜干舎」一行を横目に、女学生はそそくさとその場を後にした。




