地質調査(1)
湿った空気の流れを顔に浴びながら、階段を下る。ごく浅い階層とはいえ十分に階段は長い。まだリシアが足を踏み入れた事のない階層では、この階段を下りるのもちょっとした冒険になると聞く。迷宮が見つかった初期の突貫工事で整えた階段は、本洞と同程度には危険なのだ。
自然と視線が足元に向かう。多くの人が足を踏み入れた跡がはっきりと見てとれた。第一通路へと向かう階段も、歴代の冒険者や行政が多少は手入れをしてはいるが段の高低にはばらつきがあり、少し滑りやすい。先達のようにしっかりと足元を確認して一段一段を踏みしめる。この階段も、今となっては迷宮の一部なのだろう。
広々とした第一通路本洞に降り立った二人は早速、三本目の小通路を目指す。疎らな灯を頼りに進むと、程なく壁に幾つ目かの大きな亀裂を見つけた。
「入るよ」
その前に、亀裂の壁を軽くウィンドミルで叩いた。金属音が反響した後に、微かに小動物の駆けずり回る音がした。
クズリを警戒したのだ。繁殖期や飢餓、あるいは手負で気が立っている状態でもなければ、此方に襲いかかって来ることは殆どない。気配や音を察知して、向こうから離れてくれる。もし襲いかかってくる個体がいるのなら、狭い小通路で鉢合わせるよりも本洞で迎え撃つ方が良い。
以前の襲撃を踏まえての行動だ。
アキラも亀裂から離れ、鋤を構えて様子を窺っている。反響がなくなった頃、二人は安心して小通路に足を踏み入れた。
きっかり十歩進んで、足を止める。
「まず一ヶ所目」
「ここ?」
アキラは振り返る。
「入り口からすぐなんだ」
通路内から満遍なく資料を取るとなると、そんな配分になる。通路の真ん中に当たりをつけて、アキラに頼んだ。
「お願い。ここを掘って」
「うん」
言うが早いか、アキラは地面に鋤を立てる。専門家や大きな組合は地質調査に試錐器を用いるが、学生が手に入れるのは難しい。結局、こうして地道に土を掘るしかないのだ。
腐敗した植物の下から砂利と灰色の土の層が現れる。
「あ、これで大丈夫」
アキラに声をかけて、リシアは根掘りで層を薄く削り出した。層ごと土を瓶に詰め、付票に情報を記入する。
これで一つ、資料は手に入った。
道の真ん中に空けた穴を放置するわけにはいかない。アキラは鋤、リシアは根掘りで穴を埋める。表面を均して踏みしめた後、更に奥へと進んだ。
次の目的地は中間点だ。支給された地図を片手に中間と言えそうな場所を探す。程なく踏み入ったアブラスミレの群生地でリシアは足を止めた。
「次はこの辺りかな」
「これ、湖でも生えてた」
「そうそう。やっぱり温度と湿度が安定してるんだね。地上のよりも立派」
セレスの依頼の時にこれを見つけられていたら。そんな事を考えながら群生地を避けて穴を掘る。入り口とは打って変わって、この地点はいつまで掘っても砂利質だった。
「全然、変わらないね」
そう言いつつ鋤で掘り続けるアキラを慌てて制止する。
「ごめん!もう掘らなくても大丈夫」
「まだ砂の層しか出てないみたいだけど」
「それでいいの。アブラスミレしか育ってないって事は、相当深いところまでこんな土だから」
砂利混じりの土を採取する。リシアの手元とアブラスミレを見比べて、アキラは問う。
「もしかして、植物で地質もわかるの?」
「大まかにだけどね。酸性か、石灰岩質かとか」
「アブラスミレとこの土はどんな関係が」
「アブラスミレに限らず、食虫植物は痩せた土地に多い。他の植物は栄養失調で育たなくても、食虫植物は別の手段で養分を取れるから」
手頃な株を指し示す。いつか湖の小迷宮で見た時と同じように、無数の羽虫が葉に止まっている。粘着質の罠に絡め取られているのだ。
「虫で賄ってるんだ。それじゃあ、ここの土に栄養がないのは何故?」
「砂や砂利の多い土は、有機質や養分がすぐに流れ出しちゃうの。勾配を見た感じ、流れた養分は奥の方に行ってるかな」
穴を埋めて、三つ目の調査地点へと進む。深部へ進むにつれ壁は苔むし、アブラスミレ以外の植物も目立つようになった。
行き止まりに辿り着いた時には、ホラハッカをはじめとした迷宮内の普遍的な植生に様変わりしていた。
「ここは養分の吹き溜まりみたい」
「なるほど」
最奥の草むらにアキラは足を踏み入れる。
びちゃりと水が跳ねた。
「ぬわ」
後ずさった女生徒の布靴は水没したように濡れていた。その様を見る前に、反射的にリシアは声をかける。
「大丈夫?」
「うん……水溜りに入っちゃっただけ」
「さっきの場所とは逆に、水はけが悪いんだね」
地図を見る。最奥からは少しずれるが、水溜りを避けて穴を掘る。予想通り、早々に粘土質の層が現れた。
「粘土は水を通さない」
「確かに」
資料を削り取る。最中、アキラがぽつりとこぼした。
「同じ迷宮の同じ小通路なのに、こんなに土の中は違うんだ」
大きく頷く。
「『縮図』って言われることもあるみたい。ただ、多様な地質が地下の狭い範囲で見られるのは、本当はありえない事らしいけど」
地上には存在しない歪な環境でも、一つ一つの事象の根底には同じ理がある。それは酷く不気味だが、同時に安堵もできる。
例え「異界」と呼ばれても、地上の理屈が通じる地続きの「現世」だと納得することができるからだ。




