表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
232/421

小さな別れ(3)

「世話になった」


 店主の奢りを待つ間、赤子の母はハロに礼を告げる。何でもないような顔でハルピュイアは嘯いた。


「まあ、お金は貰ってるし」

「代表にもよろしく言ってくれ」

「ん」


 頷くハロの視線が、どこか複雑げに泳ぐ。昨日のことが尾を引いているのは向こうも同じようだった。むしろ当事者の分、根深いのだろう。


「少し気難し屋なところがあるんだが、大丈夫だったか?」

「そりゃあもう大変だったよ。仕事終わった後だから言うけどさ」

「やっぱり」


 母親は引き攣れた口端を引き上げる。腕の中の我が子を見下ろし、おどけるように囁いた。


「いっぱい困らせたかい?」


 赤子の表情は窺えなかったが、何か反応するように腕を伸ばした。先程のぎこちない笑顔から一転して、ごく柔らかく母親は微笑む。


 穏やかな光景を目の当たりにして、リシアはそわそわとしてしまう。母性というものにはここ最近縁が無かった。


「ほら、肉だ」


 簾が巻き上がり、塊肉の煮込みが現れる。歓心するような声と共に目を輝かせる母親の前で、もう一皿追加される。


「こっちは裏漉しした野菜」

「チビにはこっちだな」


 匙を取り、漉した野菜を少し掬う。赤子の口元に近づけるとお包みが身じろいだ。


「喜んでる」


 そうして、自身の食事に取り掛かった。


 一連の行動をぼんやりと眺めているリシアに、簾の向こうから声がかけられる。


「女学生達も食事か?」

「あっ」


 次の予定を思い出して、慌てて居住まいを正す。


「その、今日は食事というより」

「この後迷宮に行くんです」


 アキラが答える。ほお、と相槌が返ってきた。


「多めに作っておいて良かったな」

「え」

「弁当」


 目を丸くするリシアの前に、竹皮の包みが二つ現れる。思ってもなかった展開に戸惑いつつ、礼を告げる。


「あ、ありがとうございます」

「半分、ケインからだ」


 続いた言葉に身構える。


「……どういうことですか」

「昨日は大変だっただろう。次に来る機会があったら奢ってやってくれと言われたんだ。弁当なのは、本当に偶々だ」


 ハルピュイアが何事か呟いたような気がした。ほんの少し様子を伺った後、包みを受け取る。


 ケインの「配慮」に複雑な思いを抱きながら弁当を眺める。


「いただきます」


 隣のアキラがそう告げて、立ち返る。もう一度簾に向かって頭を下げて、鞄に弁当を詰めた。


「これから仕事はどうするんだ」

「ひとまずは客馬車の警護だ。私みたいな奴が組合を作っていて、子供も預けられる」

「ジオードならそういう所もあるだろうな」


 母親とバサルトは知らぬ仲ではないのか、世間話に興じる。親子はこの街を出てジオードに向かうようだ。


「こんなに早く、迷宮から離れるとは思わなかったけど」


 ほんの少し寂しげに、しかし確かに安堵するように母親は呟いた。


 冒険者の一つの終着点を目にして、リシアはただ黙する。


 バサルトが席を立った。


「最後に診てやろうか」

「お、ありがとう」


 禿頭が赤子を覗き込む。頬に手を触れ下瞼を僅かに引き下げたり、脈を測るように胸に手を置く。全ての動作が、真摯な表情で行われた。


 不満げに赤子が声を上げる。


「おお、すまんすまん。これで終わりだ」


 鰓の色を確かめ、冒険者は離れる。


「健康優良」


 いつか聞いた言葉とともにバサルトは愛想良く笑った。


 途端、本格的に泣き声が上がる。


「元気なことだ」

「よしよし」


 苦笑いを浮かべて母親は赤子の背をさする。ハロのあやしやリシアの子守唄よりも、ずっと早く赤子は静かになった。


「……そろそろ、行こっか」


 同輩に声をかける。当初の目的を思い出したように、アキラは背筋を伸ばした。


「君らは迷宮か。気をつけるんだよ」


 席を立った女学生二人を母親は見上げる。胸に顔を埋めていた赤ん坊が、何かに気が付いたのか辺りを見回した。


 ぱちりと目が合う。


 よく見えているわけではないと、代表は言っていた。しかし赤ん坊は確かにリシアを見て、語りかけた。


 涎で光る唇から喃語がとめどもなく溢れる。


「さよならって」


 意地悪く笑うわけでもなく、平然とした顔でハロが呟く。てきとうな事を、とは思わなかった。


 おずおずと手を伸ばして柔らかな掌をつまむ。


 ほんの少しだけ力をかけて、握り返してくれた。


「う……」


 言葉にならない声が漏れる。途端、赤子はリシアの手を放り出すように腕を振った。


「今度は手を振ってる」


 母親は我が子の手を取り、ゆっくりと左右に動かした。


「ふふ。お互いに見送ろうか」


 その言葉に、リシアは破顔する。


 驚かさないように小さく手を振り、小さく囁く。


「じゃあね。お二人とも、お元気で」


 迷宮を出る頃には、もう親子はエラキスを離れているのだろう。どこか名残惜しい思いで、リシアは扉を開けた。


 続くアキラも立ち止まり、赤子に人差し指を伸ばす。リシアと同様に指を掴まれ、赤ジャージの少女は頬を染めた。ゆっくりと指を引き抜いた後、親子に頭を下げる。


 自由になった腕を、再び赤子は振る。動く赤子を抱え直して、母親は二人に向き直った。


「チビに良くしてくれて、ありがとう。それから、いってらっしゃい……元気に戻ってくれますように」


 そう告げて、親子は再びエラキスでの最後の食事に戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ