小さな別れ(1)
隻眼が依頼書を睨め付ける。そのまま穴が開くか炎上でもしそうな視線に、更に書類を晒すように差し出す。
「……こちらの依頼を、進めたいと思っています」
無言のまま講師は紙を受け取る。内容を確認しているのか、指先で文字をなぞった。もう片方の手で棚を探り、何やら分厚い冊子を取り出す。革の表紙に印された花押が目に入り、思わず固唾を飲む。
「役所で掲示されていた依頼か」
「は、はい」
頁を捲る講師の傍ら、所在なさげに立ち尽くす。冊子の内容は役所の依頼書の写しのようだった。全く同じ文面を探し当て、講師はリシアの持ち込んだ依頼書と照会する。
いつもよりも念入りな作業に内心首を傾げる。何を防ごうとしているかが、わからないのだ。
「今回も、普通科の生徒と行くのか」
改めて尋ねられる。
「はい。勿論です」
こればかりは虚勢と思われても、胸を張って答えなければならない。迷宮科の女生徒を一瞬隻眼に映し、講師は再び依頼書に視線を落とした。
「……」
暫く黙して、講師は硬筆を手に取った。
「何かあったら、すぐに知らせるように」
そう告げて了承の署名をする。口元が綻びそうになって、慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます」
講師の返事は無い。代わりに、視界に紙の端が入った。顔を上げると同時に差し出された種類を受け取る。既に次の業務に手をつけているのか、講師は眼帯で半分程覆われた横顔を向けていた。
まだ、何もかもを信頼し許しているわけではないのだろう。もう一度礼を告げ、職員室を後にする。
廊下を歩きながら書類に視線を落とす。いつもと同じ筆跡だが、これを記すのに僅かな逡巡もあったのかもしれない。
息をつく。
「リシア」
名を呼ばれ、立ち止まる。振り返ると、この頃よく話しかけてくる女生徒が微笑んでいた。
「フォリエ」
「もしかして、依頼?職員室から出てきたから」
手中の依頼書を覗き込むようにフォリエは首を傾げる。反射的に手を返し、自身の胸元に文面を当てた。
「うん」
「もしかして役所の?」
頷く。女生徒は一層目を細めた。
「誰から?」
違和感を覚えた。少し考え込んで、弁解するように告げる。
「国の地質調査。前みたいなセレス……様の個人的な依頼とかではないよ」
その答えに、何故かフォリエは一瞬目を見開いた。しかしすぐに元の笑顔に戻る。
「そうだよね」
知り合いの依頼を請け負うという行為には誤解が生じることも多い。例え機会が公正に与えられる役所の依頼でも、気になる者はいるだろう。
それを踏まえての答えだったが、これで良かったのだろうか。
未だ違和感を拭えないまま、会話を交わす。
「まだ募集しているみたいだから、フォリエ達も目を通してみたらどうかな」
「うーん……今は別の依頼を受けようと思って」
フォリエは懐から手帳を取り出した。見開きに挟まれていた紙を広げる。
公文書に用いられている上質紙だ。中身を確認する間も無く、フォリエは再び折りたたむ。
「今回はお互いに依頼があるけど、もしよければ次はご一緒してもいいかな」
答えあぐねる。リシアの返答を待たずに、フォリエはリシアの数歩先に躍り出た。
「そういえば、今回は六班とは別行動?」
女学生は振り返る。
どこか、挑戦的な眼差しだった。
「うん」
気圧されつつ頷く。フォリエは目を細め、背を向けた。
それきり、立ち去ってしまった。
残されたリシアは暫し立ち尽くし、我に返る。
アキラを待たせてしまっている。フォリエとのやり取りは一旦胸の内に押し込み、中庭へと駆けた。
木陰の長椅子に腰掛ける赤いジャージを見つけて、声を張る。
「アキラ」
整った横顔が、はっとしたように何処かしら変わった。些細な変化に目を丸くして、依頼書を掲げる。
「了承、してくれた」
息を切らせ、普通科の少女のもとで立ち止まる。呼吸を整えているとアキラは優しく背中をさすってくれた。
「良かった」
背中に届いた言葉には、安堵が滲んでいた。アキラもまた、内心穏やかではなかったのだろう。
「どうしよう。早速今日行ってみる?」
「うん」
食い気味に答えるアキラに苦笑いをする。リシアは入洞の準備をある程度は整えているが、アキラは準備が必要だろう。
「アキラのお家に立ち寄って、それから駅に行こう」
リシアの言葉にアキラは頷きかけ、何かに気を取られたように目を逸らした。
「……今日は、浮蓮亭には立ち寄る?」
黙する。昨日の今日で、あの険悪な雰囲気に立ち戻りたくはない。その考えが顔に出ていたのか、アキラは気を使うように告げた。
「日を置こう」
「うん」
今度はリシアが食い気味に頷く。
途端、脳裏を赤ん坊の泣き声が過った。
「あ」
思わず声をあげる。長椅子から立ち上がったアキラはこちらを窺うように首を傾げた。
「あの子、今日帰っちゃうんだっけ。赤ちゃん」
「昨日ハロさんが言ってたね。そんな感じのこと」
頰を掻く。ほんの僅かな間の子守だったが、情が湧いてしまったのだろうか。
見送りぐらいは出来たら。そんな事まで考えてしまう。
「……一瞬だけ、浮蓮亭寄る?」
ダメ元で相棒の少女に尋ねてみる。
少しの間気難しげな表情でアキラは悩み、頷いた。




