エラキスの夜(1)
空には三日月が浮かんでいた。
月下にはエラキス駅と大通りに点る無数の灯り。不夜城、という言葉が脳裏をよぎる。
その眩い光から隠れるように、二人の少女は薄暗い路地に入る。
「異国通りは今が一番賑やかだね」
特に用が無い限り、本職冒険者も夜は迷宮を出て仮住まいに戻る。今はその「終業時間」にあたるようで、酒場も屋台も盛況しているようだった。そんな掻き入れどきだというのに、浮蓮亭のある路地裏にはリシア達を除いて人っ子一人いない。すぐ側の大通りから喧騒が聞こえるばかりだ。
真鍮の取っ手を握り、扉を押し開ける。
「いらっしゃい」
すでに聞き慣れた掠れ声の挨拶が簾の向こうから掛けられる。
「おや……いいのか?こんな時間まで彷徨いて」
そう言いながら、簾が巻き上がり杯が二つ並ぶ。少し迷ってリシアは籠を下ろしカウンターの席に腰かけた。
「キノコ狩りはどうだった?」
背後から涼やかな声がかかる。振り向くと先日と同じ席で、やはりひっそりとハルピュイアが座っていた。その口元には意地の悪い笑みが浮かんでいる。
ハルピュイアは視線を籠に向け、心底愉快そうに表情を綻ばせる。
「集まらなかったみたいだね」
どうするの?
からかうような口調で、ハルピュイアは問う。
「明日の夕方までだよ?それまでに籠いっぱい、集められるのかなあ」
「それは……」
「もしかして、依頼を破棄しようなんて考えてるの?」
可愛らしくハルピュイアは小首を傾げた。顔立ちと仕草だけなら、マイカ以上に愛らしい。しかしその言動に、リシアは先程マイカに相対した時と同程度の嫌悪感を抱いた。
「そんなわけないよね。依頼の破棄は組合の信用に関わる。迷宮科の学生さんならわかるよね、そのぐらい」
そんな事はリシアもわかりきっている。冒険者組合にとって、信用の損失は死活問題だ。しかし依頼の品が集まらないのなら、どうしようもないではないか。
「僕ならさ、市場で買うかな。籠いっぱい」
「え?」
リシアにとっては耳を疑うような提案をハルピュイアは告げる。
「そしたら依頼は完了するでしょ?」
「だってそれ、本末転倒というか……」
「ホンマツテントー?そんな風に思っちゃうんだ」
愛らしい笑みが、一瞬無くなる。しかしすぐに冷笑を浮かべて、異種族の少年は大袈裟に溜息をつく。
「依頼主にとって、キノコが買ったものか採集したものかなんて重要な事じゃあないんだよ。青紙幣一枚で、籠いっぱいのキノコ買いたいだけなんだから」
ハルピュイアが席を立った。
左腕を机について体重を支えながら針で止められた依頼書をめくり、文面とこちらを見比べる。
「変な先入観で採集にこだわって、規定量集められずに依頼を破棄、信用を落とす方がよっぽど本末転倒じゃない?」
「……」
確かに、必ず採集したものでなければならないなんて、依頼書にも書いていないし誰も言っていない。それでもどこか腑に落ちず、リシアはただ沈黙する。
「迷宮科の学生さんって事は、それなりに良いお家の出身でしょ?お小遣いでも貰って、ハチノスタケを買い集めればいいじゃん?」
あ。
わざとらしく声をあげて、少年は左手で口元を覆い隠した。いかにも失言を申し訳なく思うような体を取って、更に言葉を続ける。
「お金が無いから、冒険者なんて目指してるんだよね……ゴメン」
杯をカウンターに置く音が、狭い店内に響く。
「あの」
アキラが水を一息で飲み干し、杯を置いたのだった。いつも通りの無表情で、しかし熱のこもった声が発せられる。
「貴方の話、すごく納得できます。でも、最後の言葉は侮辱にしか聞こえません」
夜色の瞳がハルピュイアを見つめた。鵲の少年は少し眉をひそめて、しかしすぐに元の冷笑を浮かべる。
「私達は確かに未熟です。でもだからと言って、そんな謂れもない、依頼とも関係の無い侮辱を受ける筋合いはありません」
淀みなく、アキラは言い放った。ハルピュイアの冷笑が引き、真顔になっていく。
耳障りな音が店内に響き渡る。
ハルピュイアの鉤爪が、床を引っ掻く音だった。
「ふうん」
静かに、ハルピュイアはこちらに一歩足を踏み出した。鉤爪が一本ずつ床に触れ、その度に硬質な音をたてる。
「おい」
沈黙を保っていた店主は危うげな気配を感じ取ったのか、掠れ声を荒げる。リシアとアキラの背後で簾が巻き上がる音が聞こえ、
「ただいまー!大人しくしてたかー、ハロ?」
同時に勢いよく、扉が開いた。ハルピュイアは瞬時に声の方を向き、うんざりとした表情になった。リシアとアキラも出入口の方を向く。どこかで見覚えのあるセリアンスロープとフェアリーの二人組が、店内に入ってきた。
「ん?」
瞳を丸くして、セリアンスロープはハルピュイアと学苑の女子生徒達を見比べる。そうして状況を理解したのか、ハルピュイアの方を指差して声を張る。
「何やってるんだハロ! 〈足も怪我してるだろ〉」
一瞬、ハルピュイアは唖然とする。途端に足から力が抜けたようにふらつき、ぺたりと力無く椅子に座った。
ハルピュイアの白い頰が紅潮する。
「ちょっと、ケイン!」
「大人しくしてろと言ったのに……酔っ払いならまだしもこんな可憐なお嬢さん方に喧嘩を売るなんて」
悪かった、とセリアンスロープは臙脂色の耳を寝かしながら謝罪する。
「うちのハロが申し訳ない……あれ、君達見たことあるぞ。特にそっちの赤い子」
「第三通路でお会いしましたよね?」
「その節はありがとうございます」
顔を見合わせる異種族二人に、ぺこりと頭を下げるアキラ。置いてけぼりにされっ放しのリシアも、頭を下げる。




