追躡
膠着する。
相手の隙を伺っているのか、アキラは無表情のまま瞬き一つしない。一方異種族の女は涼しい顔で、目の前の女生徒ではなく誰かを待つように遠くを眺めていた。
おそらく先のセリアンスロープと合流するのだろう。廃材の足止めも僅かな時間稼ぎにしかならない。
逃げられるか。
リシアはもがきつつ考える。一人しかいないものの、あのアキラが隙を伺うことしかできないような女が相手だ。暴力沙汰は避けたい。
観念したように、リシアは動きを止める。
「あら」
女が顔を覗き込む。
「よかった、話してくれるのかしら」
その所作でさえも、隙にはならなかった。
間近で女の顔を見てリシアは息をのむ。ドレイクやセリアンスロープ、ハルピュイアのような眼球とはまったく異なる目が、揺らめくように色を変え影を帯びる。
複眼だ。
「フェアリー」
思わず呟く。女の口……顎が横に開いた。
「ふふ。その呼び方、好き」
視界の端でアキラが身動ぐ。即座に女は赤ジャージの少女を見つめ、制するように背を伸ばした。
「出来ることなんて、何もないでしょう?」
挑発の言葉のように聞こえた。流石と言うべきか、アキラは柳眉を動かしもせず再び立ち尽くす。
「教えて?そうね、人目が少ないところの方がゆっくり話せるかしら」
フェアリーの片手が肩に乗る。透かし編みの手袋に包まれた華奢な指が小気味よく動いた。
万事休す、とばかりにアキラに目配せする。
「おい」
野太い声が響いた。リシアと向かい合う女学生は一瞬声の主に気を取られる。
「冒険者か?」
警邏だろうか。お仕着せを纏った男が二人、靴音を響かせながら近づいてくる。威圧感たっぷりの振る舞いが、今ばかりは有り難く見えた。
「こんにちは」
一方、女は全く動じていない。朗らかな声音で挨拶をすると、衛兵二人組の片割れは面食らったように会釈を返した。
「子供相手に何をしている」
年嵩の衛兵が尋ねる。リシアの両手を束ねる力が一瞬緩んだ。
「こ、この人」
慌てて声を上げる。しかし、何と告げればよいのか一瞬迷ってしまった。
「突然声をかけてきて」
不審者に出会った時の典型的な物言いになる。無論間違ってはいないが、妙に危機感の無い空気が辺りに満ちる。
「取り敢えず手を」
衛兵の言葉に、意外にもすんなりとフェアリーはリシアを自由にした。驚くリシアの手をアキラが素早く引く。赤く痕の残った同輩の手首を見つめ、密かにアキラは息をついた。
衛兵を見ると、年嵩の方は面倒くさそうに片手をひらひらと振った。追いやるような仕草に従う。
「ありがとうございます」
早口で告げる。既に衛兵二人組は女学生が視界から外れているのか、フェアリーを尋問する。
「何が目的だ」
「少し道を聞きたくて」
「道を聞いているだけのようには見えなかったが」
「まさか客引きとかじゃないですよね」
相方より幾分か若い衛兵が、フェアリーの肩に手を伸ばす。
「触るな」
鈴を転がすようだが多分に棘を含む一声が響く。
「……何か勘違いをしているのではありませんか」
一転、取り繕うように女は片手で口を隠し、微笑む。
リシアの袖をアキラが引く。
「役所で待機する?」
「そうしよう」
「うまく巻けるといいけど」
フェアリーを気にしながら踵を返す。よく背景もわからないが、これ以上関わらないのが吉だ。
辺りを見回す。先のセリアンスロープの姿は見当たらない。あるいは、そういうまやかしなのだろうか。
「アキラ、さっき路地で会った人はいるかな。私じゃわからないかもしれない」
「大丈夫。見てるから」
そう告げて、アキラは再びリシアの手を取った。気遣いに感謝しつつ役所へと向かう。
数歩駆けたところで、背後で破裂音が響いた。
一瞬立ち止まりそうになり、アキラに引かれて再び走り出す。肩越しに振り向くと、衛兵の片割れがふらついているのが見えた。
何をされたんだ。
気を取られた瞬間、アキラが声を上げる。
「追ってきた」
もう一度振り向く。アキラの言う通り、既に女の姿は無かった。
何処に行ったのか。
辺りを見渡す視界が一瞬翳った。
僅かな硬い音を立てて、フェアリーが二人の正面に降り立つ。飛翔としか思えない出現に、リシアは目を奪われる。
その間もアキラは止まらない。むしろ一段と速度を上げ、片肘を前方に突き出した。
強行突破。
アキラの行動を察して、リシアは青くなる。
赤ジャージの上体が華奢なフェアリーに突っ込む。鈍い音と共にリシアはアキラの背に顔を強かに打ちつけた。
するりとアキラの手が離れる。
「たっ」
一歩後退り、揺れる視界で顛末を探る。
アキラとフェアリー、両者が組み合う。女の細い双腕をアキラが抱き込むように捕らえているのを目にして、慌ててリシアは声を上げた。
「アキラ、近過ぎる!もっと離れて!」
女学生は眉を訝しげに顰める。その影で、女が楽しげに含み笑いをこぼした。
「荒っぽいこと」
外套の合わせ目が波打ち、もう一対の腕が伸びる。アキラは茫然としたように目を丸くして、即座に身を離す。
だが、手遅れだった。
次の瞬間、赤いジャージは地に伏した。




