誘い込み
隣を歩くアキラから不気味な音が響いた。思わず立ち止まると、無表情のままの友人もまた歩みを止める。
「お腹空いた」
報告するようにアキラは告げる。その間も多彩な音を立てる彼女に、一つリシアは提案した。
「浮蓮亭で軽食でも食べる?」
「うん」
予想通り即答する。ひとまず、今日で次の予定は立てられそうだ。迷宮の話をするのなら、学苑よりも浮蓮亭の方が都合が良い。他の生徒の目を気にしなくても良いし、経験豊富な同業者から指南を受けることもある。勿論食事も美味しい。アキラも浮蓮亭に行くときはいつも上機嫌のように見える。無論、「なんとなく」でしかないが。
「もうお散歩終わってるかな」
「駅一周って言ってたっけ。浮蓮亭にいるかもね」
先程出会った冒険者と赤子について話しながら再び歩き始める。子供に会いたいのだろうか。気持ちはわかる。
「アキラ、子供のこと好きだよね」
「え」
「キノコの依頼の子にもすごく優しかったし、一緒に遊んであげてた」
「ああ。あれはなんだか小さい頃のこと思い出して、懐かしくなったから……リシアも赤ちゃんのあやし方とか上手だけど」
「そ、そう?」
「もしかして弟や妹がいたりする?」
「ううん、あれは見様見真似で」
照れるやら嬉しいやらではにかむ。それはアキラも同じようで、少し視線を泳がせていた。
慌てて話を変える。
「今日もらった依頼についても、もう一度目を通そう」
「うん」
こくりと頷くアキラを見て、こちらも頷いてしまう。
路地に入る。
「アキラはいつ空いてる?流石に明日は早すぎるけど」
「リシア」
裏路地とまだ日の高い通りの狭間で振り返る。隣を歩いていたアキラは、日の照り返す路地の入り口で立ち止まっていた。
「どうしたの?」
「どこ行くの」
「……浮蓮亭だよ。もうすぐそこじゃない」
暗がりを指差す。
「リシア、そこ浮蓮亭じゃないよ」
指さした薄暗闇の彼方を注視する。
何かが違う。でも、何が違うのかがわからない。
「あれ?」
疑問符が脳内を埋め尽くす。以前もこんな事があったじゃないか。
「まだ麦星通りだよ」
その瞬間、目が覚めた。
浮蓮亭のある通りとは似ても似つかない、生活ごみで溢れた狭い路地。わかっていたはずなのに気にもしていなかった足元の廃材に気がつく。
数歩後退り、日向へ出る。
「……ごめん」
平静を装う。混乱を表に出したら「相手」の思う壺だ。
「離れよう」
そう告げた瞬間、アキラの赤い袖がリシアの手を捕らえた。強く引き寄せられたジャージの影で目を白黒させる。
「誰」
低く鋭い一声が響く。
聞き覚えのある金属音とともに薄暗闇が揺らいだ。
「また会いましたね」
凝るように現れた人影にリシアは息をのむ。前に立ったアキラもまた、異様を感知したのか一瞬握った手に力を込めた。
迷宮で出会い、先日の夜も出会った、「夜干舎」の男だ。
「上手く誘い込めたと思ったのですが……逆に警戒させてしまいましたね。申し訳ございま」
覆面のセリアンスロープの言葉が終わらないうちに、アキラは傍らに立て掛けてあった廃材を蹴り飛ばす。派手な音を立てて崩れた廃材の向こうで、一瞬男が怯んだ。
すかさず、腕を引っ立てられる。
「うわ」
「逃げるよ」
頷きながら足を動かす。どことも知れない細い路地を出ると、確かにそこは麦星通りだった。
「に」
アキラの全速力に引きずられながら、息も絶え絶えに問う。
「逃げるってどこに」
「どこって」
「浮蓮亭は駄目、あの人そこを探してるはずだから」
「……」
僅かにアキラの速度が落ちる。悩んでいるのはリシアも同じだ。どこに飛び込めばいいのだろう。学苑の生徒を追いかけ回すような冒険者が近寄らない場所。思い当たる場所は一つしかない。
「戻る?」
アキラも同じ考えのようだ。幸いここは大通りだ、追手も派手に振る舞うことはないだろう。
二人、踵を返す。
リシアの空いた手に、冷たい指先が絡まった。
「待って?」
逆方向に引き寄せられ、リシアは均衡を崩す。尻餅をつきそうになった少女を、硬く薄い体が受け止めた。
「急に引き返していくからびっくりしちゃった。折角先回りできたのに」
触れる背中から声が響く。声帯を振るわせるような声ではない。喉ではない体の何処からか発せられている。
声の主を見上げる。
軍帽の影から覗く不可思議な眼と視線が交わった。
「……彼女を離してください」
リシアの片手を取ったまま、アキラが告げる。尋常ではない気迫を感じて、リシアもまた隙を見計らう。
「ごめんなさいね、うちの代表がまどろっこしいことをしてしまって」
鈴を転がすような声、華奢な体躯。それらからは想像もつかない、硬く微動だにしない四肢。もがく女学生を更に引き寄せ、異種族の女は囁いた。
「聞きたい事があるの。さっき言っていた、浮蓮亭という場所について。ううん、もっと色んなこと」
絡まる手はなおも冷たい。まるで籠手のようだ。
「教えてくれたら、すぐに離してあげる。こんなの貴女も嫌でしょう?ね?人通りも多いし、私も少し恥ずかしいわ」
生優しい言葉が耳を撫でる。
「教えられない、と言ったら」
一層、アキラの夜色の目が鋭くなる。
女は体のどこからか、笑い声のような呼気を漏らした。
「もっと優しく尋ねましょう」
そんなこと微塵も思っていないような返答だった。




