散歩ついで
空の籐籠と鞄を携え、中庭へ向かう。人影一つない広場を覗いて首を傾げた途端、背後から名を呼ばれた。
「リシア」
赤いジャージが駆けてくる。中庭で相手を待つまでもなく、折よく無事に落ち合えた友人と共に正門へと向かう。
「依頼探し、だよね」
休憩時間中に伝えた用件を確認するようにアキラは呟く。
「浮蓮亭に?」
「今日はまず、役所を覗いてみようと思って」
講師の言っていた依頼を最初に確認してみたい。そうでなくともフォリエの話を聞いていると、公的な依頼の競争率が高まってきているような気がするのだ。本職の冒険者だけではなく学苑の生徒も今後は増えてくるのだろう。
「学生向けの依頼が出てるんだって」
「あ、そういうの出してくれるんだ」
「あくまで『学生向け』なだけで、エラキス側が選り好みはしてないと思うけどね。結局早い者勝ちだと思う」
「なるほど」
そういうわけでいつもより歩調も早く、二人は制服通りを過ぎ去る。終業後すぐに出てきたからか、学苑生徒の姿も僅かしか見えない。それでも菫青茶房の硝子窓に一瞬、見覚えのある先輩の姿を見つけた。確か第六班の斥候を勤めている男子生徒だ。おそらく主要な班員の一人だとは思うが、課外が無い日もああやって独自に活動をしているのだろう。憶測をしつつ気付く素振りも見せない相手に軽い会釈をして通り過ぎる。
巨大な構造物が聳える広場に至って、隣を歩くアキラが明らかに速度を落とした。
「どうしたの」
そう聞きながら原因に気づく。
対抗の人混みから、見知った冒険者が二人歩いてきた。一人は堂々と、一人は不機嫌そうに数歩離れて。
「こんにちは」
「なんで無視しないの」
「え」
フェアリーの影でハルピュイアはぐちぐちと呟く。その上半身を隠す程に大きな布包みを見て、リシアは思わず喜色を浮かべる。
「こんにちは。もしかして、お散歩?」
「お散歩です」
覗き込もうとして、ハロと目が合う。一瞬眉間に皺を寄せた後、観念したように体に襷掛けた布の中を見せた。
ちょうど欠伸をしていたところだった。
「今日はぐずってないね」
「さっき大変だったんだよ……だから外で疲れさせてんの」
すっかり子守が板についたのか、ゆっくりと上体を動かしながらハロは話す。その隣でライサンダーは赤子の顔を複眼に映した。弧を描く触角が、小さなドレイクの鼻の上で小刻みに揺れる。
「こんなのも明日で終わり」
「あ、帰っちゃうの?」
「やっと帰ってきてくれたの!」
膨れるハルピュイアを見ながら苦笑いをする一方、胸中を察する。ほんの僅かな間とはいえ、赤子の世話は大変だっただろう。
「この依頼が終わったら復帰って、ケインとも話してたし」
続く言葉を聞いて目を丸くする。
「復帰?」
「そ。もう大丈夫ってバサルトからお墨付きもらった」
そう告げてハロは赤子を片手で支え、空いた手の指を曲げ伸ばしする。確かに子供を抱えられると言うことは、もう腕に問題は無いということだ。
「やーっと仕事出来る」
「子守も仕事ですよ」
「これは、そう、しょうがなく、ケインが取ってきたから」
専門ではない、とでも言うようにハロは呟く。
「でも上手くやれてるでしょ」
「子守唄任せたくせに」
すかさずリシアが口を挟むとハロは目を逸らした。そうは言っても、ここ数日赤子の面倒を見たのは、やはり彼が主体だ。今もライサンダーには渡さず抱えているあたり、責任感はあるのだろう。
「まずは通路点検だよね。これはもう取った?」
「書類は出しましたよ」
「通路点検?」
アキラが尋ねる。二人に代わりリシアが答えた。
「通路にも照明や電信線があるでしょ?それの整備箇所を確認して地図に記入したり、技師の護衛をするの……滅多に無いけどね」
「基本踏破済みのところは横道入ると荒れ放題だからね」
どこか意地悪くハロは間延びした声を出す。
「今回は噂の第一通路」
「噂?」
「閉洞するかもってさ」
え、と思わず声を漏らす。初耳だ。
「閉洞って、入れなくなるってこと?」
「そ。あれ、学苑の生徒ならお上の息がかかってそうだからご存知かと思ってたけど」
嫌味な言葉も気にならないくらい動揺してしまう。リシアにとって第一通路は、第三通路と並んで最も出入りの難易度が低い場所だ。そこが閉まるということは、「稼ぎどころ」を一つ失ってしまう事になる。
そしてそれは本職冒険者も同様だ。
「これが第一通路での最後の依頼かもね」
「……まだはっきりとしたことはわかっていません。色々と憶測はありますが、明らかになるのは点検後の事でしょう」
一つわかっている事として、とライサンダーは前置く。
「今回の点検依頼は、碩学院が連名しています」
ぴくりとアキラは目尻を僅かに動かした、ような気がした。
伯母様は何か、などとはどうも聞きづらくてリシアは黙する。
「そういえば、その依頼はまだ空きがあるようでした。お二人も一度確認してみてはいかがでしょうか」
打って変わって、フェアリーは穏やかに告げた。その横でハルピュイアが今にも文句を言い出しそうに口を尖らせる。
今回の目的地を思い出し、首を縦に振った。
「はい!」
女学生二人、同時に返答をする。幾分かアキラの声が大きいような気がした。




