秘密主義
「アキラはなんだか丸くなったね」
水鳥通りのカルセドニー宅から程離れて、ケインは口を開いた。唐突な言葉にリシアは一瞬気を取られ、首を傾げる。
「丸く、ですか」
「うん。いや、勿論体型の話ではないよ?出会った頃からすると、随分と接しやすくなった気がするのさ」
そう言われて、改めてリシアはここ数ヶ月の出来事を思い返す。当初の掴み所のない気質はそのままだが、幾らか理解は進んでいる。ああ見えて少し熱くなりやすいのも、何となくわかってきた。特に迷宮が関わると顕著に。
「危ういところも、見えてきたんじゃないかな」
頷く女学生を見て、セリアンスロープもまた深く頷いた。
「花押の依頼だったか。迷宮で鉢合わせた時は心配だったけど、今は落ち着いたのかい?」
「……はい。話し合いもしました」
「そうか。ふふ、流石は組合代表だ」
いつかもこんなやり取りを、迷宮科の先輩としたはずだ。デーナの姿とケインを重ねる。それほど側から見て、二人は危なっかしいのだろうか。今は、どうなのだろうか。
「私がこんなことを言うのも何だが、ちゃんと彼女を見てあげてほしい」
「……はい。もっとお互いに理解し合えたらって」
「うん。それと、もっと表面的なことだ」
きょとんとしてセリアンスロープを見上げる。月に照らされた耳がぺたりと倒れた。
「ちょっと先程のまやかしの話に戻ってしまうけどね。まやかしがわからないヒトには二種類いる」
長い指が二本、すらりと伸びた。
「極端に視野が広いか」
一本、倒れる。
「極端に視野が狭いか」
指を握り込む。
「私はね、アキラは後者だと思っている」
尚のことリシアは困惑する。リシアが見る限り、アキラは一歩引いて物事を俯瞰するような振る舞いを見せることの方が多い。ともすれば全てに興味が無いような、そんな気さえするのだ。
しかしセリアンスロープは違う意見のようだ。
「言うなれば、もう既にまやかしの中にいるような状態なんだ。何かに魅入られていて、他のまやかしが付け入る隙がない」
思い当たる節は、あった。
「さっき、まやかしがわからないドレイクは二人目だと言ったね。もう一人のドレイクもそんなヒトだったんだ。彼の場合は、迷宮に取り憑かれていた」
街灯や月灯りの仕業ではない影が差した。物悲しげな眼差しが、優しくリシアを捉える。
その眼差しに、何かが突き動かされた。
「どうなったんですか、そのヒト」
即座に後悔した。あんまりな言い方だったからだ。
案の定、セリアンスロープは呆気に取られたような顔をして……綻ぶように微笑む。
「あー、確かに今の言い方だと、ちょっと儚くなっちゃったみたいだったな」
「す、すみません」
「大丈夫、生きてるよ。生きてるはずだ」
一時、周囲が静まり返った。エラキスを一望する坂の途中で、二人は立ち止まる。
「迷宮の深部にさえ行かなければ、死なないヒトだ」
冒険者である、それ以上の情報が含まれているような気がして言葉の意味を噛み含める。
「今は何をしてるんだろうな。とんだ『死に損ない』だったけど、迷宮と縁が切れたら途端に」
そうして、口元に掌を当てた。動揺の色を見せたのは一瞬で、悪戯っぽくリシアをちらちらと見る。
「おっと」
「どうしました」
思わず促してしまう。掌の影から、弧を描いた唇が見え隠れした。
「なんだか饒舌になってしまった」
端的に、とケインは前置く。
「端的に言うとね、彼女が迷宮に惑わされたら頬をひっ叩いてでも目を覚ましてやらないといけないよ。それは君も同じ」
アキラと別れる直前の会話を思い出す。リシアの幻惑を払うのはアキラの役目で、逆もまた然り。そういうことなのだろう。
黙したまま頷く。
女学生を見つめて、冒険者は再び寂しく微笑んだ。
「今でもね、後悔しているんだ。私も、他の誰も、そいつを殴ることが出来なかった」
幾度目かの静寂が訪れる。
セリアンスロープの眉間に皺がよった。
「殴る、は女学生には過激か」
一人で吹き出す。迷宮科なんてところにいる以上、「殴る」程度はきっと過激でもなんでもない。
それを踏まえて、それでもセリアンスロープはリシアを幼気な少女として扱うのだろう。
くつくつと笑いながらケインは歩き出す。
「同じ代表として、提言はひとまず以上」
そんな締めの後に、ころりと声音を変えて夜干舎代表は振り返った。
「それにしても、君って結構、人の口を割らせるのが得意だ」
非難するような口ぶりでもなく、ケインは告げた。それでも少し気まずく思えて、視線が泳ぐ。そんなリシアを見て、ケインは補うように「打ち解けやすいってことさ」と付け加えた。
先程見せた動揺は見間違えではなかったらしい。まやかしの話の後で本心が僅かに垣間見える仕草を目の当たりにすると、少し安堵する。
「だからかな。アキラが丸くなったのも」
冒険者の言葉に、照れるように目を逸らす。お互い様というのが、ほんの少し嬉しかった。
「今となっては」
一転、妖しくケインは目を細める。
「君の方が、ちょっと不可思議な子かもね」
そうして、長い爪の背でリシアの頬を軽く突いた。




