湖畔
湖の周囲には既に、簡易休憩所として用いる天幕が建ち並んでいた。同一の組合章が描かれた天幕街を、学苑第六班の生徒達は歩き抜ける。
時折風に揺られて捲れる天幕の入口からは、装備を解き鎧下姿で寛いでいる者や、頭に巻いた包帯に血を滲ませてうわ言を呟いている尋常ではない様子の者が見える。
「スレート商会は仕事が早いね」
「ここ、確かに寝心地は悪くないんだが回収屋や診療所と組んでからは嫌な話しか聞かないんだよな」
寝具の心地良さを宣伝する組合員を横目に、シラーとデーナは愚痴をこぼす。
新しい迷宮が発見されると、真っ先にやって来るのがスレート商会を始めとした拠点設営を得意とする組合だ。冒険者が身体を休める簡易休憩所を設営し、そこを利用する冒険者から宿泊費を巻き上げるのだ。
最近は医療系の組合や回収屋と提携して診療所も併設しているらしい。
治療が出来る班員がいない時の万が一を考えると安心感はあるが、迷宮内で負傷すると問答無用でこの診療所に回収され、安くはない治療費と宿泊費を払う羽目になる。
金銭的に余裕のある大手組合や幾らでも金を積める父兄を持つ迷宮科生徒ならまだしも、自分達で稼いだ活動費をやりくりしているシラーの班はあまり世話にはなりたくない。
「今日は下見だけど、いつも通り気を配るように」
「はい」
班長の言葉に班員は頷く。新しく発見された小迷宮で混雑しているし、周りの本職冒険者もどこか落ち着きがない。思わぬ厄介事に繋がりそうだ。用心をするに越したことはない。
「おーケインにライサンダー!お前達も来たのか……どうしたんだその頭。変だぞ」
「結構なご挨拶だな。まったくどいつもこいつも」
「悪かった、そんな怖い顔するなよ。ところでハロは?腕を折ったんだろ?」
「酒場でお留守番だ」
「カロールの酒場は潰れたんじゃないのか」
「新しい所を見つけたんだよ。食事が美味くてな、えっと、なんて名前だったか」
「浮蓮亭という店です」
「そうそれだ。浮蓮亭。ドレイク以外の種族にも配慮した食事を出してくれる」
「……それ確か、エジリンが叩き出された店じゃなかったか?」
国外からやって来たらしい本職冒険者の一団が、天幕から出て来る。少しジオード訛りのある禿頭に髭面のドレイク、漆黒の外骨格と金の飾り毛が壮麗なフェアリー、華やかな装飾品を身に付けた臙脂の毛並みのセリアンスロープ。最近はエラキスにも異種族が増えたとは言え、ドレイクとは違う姿はやはり目を惹く。
シラーの背後に着いていた女子生徒が、同輩の男子生徒と囁き合う。
「フェアリーだ。私、初めて見る」
「俺も。あんなデカイんだな。もっと小さくて華奢なもんだと思ってた。鎧騎士みたいじゃないか」
「あれは甲冑を着てるの?それとも生来?」
「自前じゃないか。虫に近いって言うし、外骨格なんだろ」
二人の会話が聞こえたのか、どこか既視感のある髪色のセリアンスロープは同じ色の耳をぴくりと動かし、シラー達を見つめた。しかしすぐに興味を失ったように目をそらす。
「なんか、普通科の体育着みたいな色だな」
ぼそりと副班長が呟いた。
「で、中の様子はどうなんだい」
「泥と水生生物、変な壁画が少し。金目のものは何も見つかってねえ。まだまだ奥はあるけどな」
「壁画ね……生物はヒルとか?」
「それとガマにヒドラってとこだな。先史遺物は彷徨いていないみたいだ」
「それは良かった」
「けどヒドラはわんさか出てくるぞ。さっきも何人か回収しに行ったんだ」
第六班の前を歩く冒険者達の会話に、シラーは聞き耳をたてる。ヒル、ガマ、ヒドラ……何れも小動物と言っても良い部類の生物だ。ただ、刺胞動物であるヒドラは少々厄介かもしれない。腫れと麻痺を引き起こす触手に絡め取られると、暫くは人前に出ることもできず寝込む羽目になる。
薬の準備はあるかと聞こうとすると、同学年の男子生徒が察したように薬品瓶を鞄から取り出した。それを見てシラーは満足気に頷く。
「ハロの土産にでもしたらどうだ?鳥はミミズとか好きだろ」
「ヒドラは歯応えが面白いです。きっとハロも喜びます」
「……冗談で言ったんだがな」
「小浪花ではよく食べられてますよ」
意外に穏やかな声音で、冗談とも本心とも判別がつかない応酬をするフェアリー。
ヒドラを食べるとは驚きだが、同じ刺胞動物のクラゲは、大陸の東側では珍味として食されると聞く。特に冷菜にするのが美味いらしい。
馴染みのないシラーにとっては、ヒドラにしろクラゲにしろゲテモノにしか思えないが。
「じゃあ、俺は待機しなきゃいけねえから。お前達に神の加護があらん事を」
「どうも」
「ありがとうございます」
「回収されんじゃないぞ」
簡単な祈りを捧げるドレイクに感謝を述べ、二人の異種族は急拵えの迷宮口へ入って行く。ドレイクは二人組を見送ると、近くの天幕に入っていった。
「……みんな、準備は出来ているかい」
「おう」
「万端です」
「それじゃあ行こうか」
シラーも班員に最後の確認を促し、迷宮に足を踏み入れる。
温い風が、洞内から吹き上げて来た。