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組合同士(3)

 点心の甘い香りが漂い始めた頃、リシアはやっと赤子を籠に寝かせた。目をぱっちりと見開いた新生児は喃語を発しながら空に手を振る。少し縫い目のほつれた手袋を見て、アキラは懐かしさを覚えた。


「今も家に残ってる。こんな手袋」

「あ、私も取って置いてる。靴とかも一緒にね」


 思い出の品はどこの家庭にもあるようだ。手袋の先を口に含み、新生児はどこか一点を見つめる。不意にずるりと手が抜け出て、鰓に伸びた。


「あ」


 素早くリシアは小さな手を覆う。唾液を吸った手袋を取って再び嵌めた。新生児は何が起きたのか理解しているのかいないのか、どうも判別のつかない表情のまま再び指先を吸う。


「何故手袋を」


 フェアリーが問う。


「鰓を傷つけてしまうことがあるので、小さい頃は手袋をつけるんです。布で体を包む人もいます」


 体の一部とはいえ気になるのか、力加減も知らないまま自分で外鰓に触れてしまうのは夜泣きの原因にもなるらしい。酷い時には鰓を毟ってしまうこともある。それを防ぐために、鰓を握り込まない程度に厚く作った手袋を嵌めるのだ。


 アキラの返答を聞いてライサンダーは納得したのか、小さく頷く。


「体を守るためなんですね」


 窺うような複眼の輝きを見ながら、アキラは冷水を口に含む。


 興味深いのだろう。


「どの種族でも子供は可愛いねえ」


 セリアンスロープは緩ませる。そういえば彼女は以前、この路地で子供を相手していた。こちらは生粋の子供好きなのだろう。


「そうだ」


 突如ハルピュイアが卓から身を乗り出す。何を思い立ったのか、かつてないほど晴々とした表情だ。


「どうした急に」

「まやかしでさ、母親に化けたら上手くあやせるんじゃないの」


 ほお、と簾の向こうから納得したような店主の声が漏れた。ハロは得意げに目を輝かせて、椅子にもたれる。


 しかし代表の反応は芳しくはなかった。


「たぶん無理だ」


 一転、ハルピュイアは不貞腐れる。


「なんで」

「まやかしは誰にでも効くわけじゃない。どれだけ感覚を共有しているかが重要なんだ」


 ケインは装飾品で彩られた指を一本立てる。耳、目、鼻。順番に指し示す。


「こんなに小さな子供の感じている世界なんて、私にはわからないからね。多分視力も聴力も相当低いんじゃないか。そんな世界に干渉するのは難しいよ」

「共感ってこと?」

「そうだね。価値観の相違とか、そういうのを理解しないとまやかしはかけられない」


 ハロは溜息をつく。


「なーんだ」

「まっ、そんなことしなくてもおっぱい飲んで寝んねすれば赤ん坊はご機嫌だ」

「寝んねしないから困ってるの」

「ドレイクは哺乳類ではないので……」

「それは言葉の綾というやつだよ」


 丁度いい。


 二人のやりとりを聞いて、アキラはここぞとばかりに口を挟む。


「ケインさん。そのことなんですが」

「ん、赤ん坊のことかい?」

「いえ、まやかしです」


 リシアもまた居住まいを正した。二人の女学生の様子に尋常では無いものを感じたのか、代表もまた体を大きくこちらに向ける。


「……何かあったのかな」

「昨日まやかしに」


 リシアは一旦言葉を切る。それから少し黙して、再度切り出した。


「夜干舎を名乗るセリアンスロープに会ったんです。その時に、少しおかしな目にもあって」


 瞳孔が針のように細まった。それもほんの一瞬で、すぐにケインは苦笑いを浮かべる。


「夜干舎を名乗るセリアンスロープね」

「ケイン、揶揄ったんじゃないの?」


 ハルピュイアの野次に肩をすくめる。


「まさか!女学生を不安がらせるようなことはしないよ」


 頬杖をつく。うーん、と小さく唸り、鮮やかな爪で卓を叩いた。


「一先ず、体の不調とかは無いかい?」

「は、はい。なんとも無いです」

「ん。ちょっと失礼」


 音も無くセリアンスロープは席を立つ。次の瞬間にはリシアの顔を覗き込んでいた。


「状況と、相手の覚えてる限りの特徴を」


 紋様をびっしりと描き込んだ掌が、動揺の色を浮かべた女生徒の目を覆った。


「ゆっ」


 上擦った声が出たのは最初だけだった。口を開くごとに、焦りや戸惑いが消えて無感情な声音になっていく。


「夕暮れ、路地裏、尻尾、夜干舎、木箱、金属音、夜干舎」


 滔々と溢れるようにリシアは告げる。脈絡もなくただ単語を羅列するだけのような発言が、次第に一つの言葉に収束していく。


「夜干舎、夜干舎、夜干舎、夜干舎」


 繰り返す。


 異様な光景に、思わずアキラはケインの肩越しに囁く。


「ケインさん……」

「ケイン」


 冷たく、リシアは夜干舎代表の名を言い放った。


「見つけた」


 セリアンスロープが指を鳴らした。びくりとリシアは肩を震わせ、正気を取り戻したように辺りを見回す。


「へ」

「これでもう大丈夫」


 朗らかに微笑みながら、ケインは両手をひらひらと振った。


「ちょっと変なのが残ってたみたいだけど、今ので用は済んだはずだ」

「へんなの?え?」


 状況を理解出来ずに呆けているリシアに代わって、アキラは代表に尋ねる。


「今の、なんですか」

「伝言だよ。まったく、赤の他人に迷惑をかけるなんて」


 笑みが消える。何か思うところがあるように一点を見つめて、セリアンスロープは両手の指を組んだ。

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