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早朝練習の後

 腸弦がたわみ、球を打ち返す。庭球場の角で鋭く弾んだ球が、周りを囲む網に受け止められる。応酬もままならず、相手は両手を挙げた。


「うー、降参!」


 そう告げて同輩の女生徒は向かいの陣地から走り寄ってきた。差し出された手を握り返し、一先ず一礼。


「ありがとう、早朝から付き合ってくれて」

「構わないよ」

「やっぱり凄いよ、手も足も出ないもん……ねえ、やっぱり庭球部入らない?」

「ごめん」

「早いよー」


 汗を拭いながら女生徒は笑う。連れ立って木陰に入り、一息つく。伸びをするアキラに同輩は瓶を差し出した。


「お礼!もらってもらって」

「ありがとう」


 深い緑色の硝子を見つめる。少し傾けると、瓶の底から泡がいくつか浮上した。


「鉱水。親戚からたくさん送られてきたんだ」

「鉱水……温泉、みたいな?」

「そうそう。あ、あったかくはないよ」


 蓋を金属片で開ける同輩に倣い、アキラも手頃なものを探す。あいにく見つからなかったので縁を指で弾くと、呆気なく蓋が取れた。


「えっ、今のどうやったの」

「いただきます」


 瓶に口をつける。爽やかな香りとともに、ほのかに甘い液体が流れ込んできた。口の中で泡が弾け、目を丸くする。


 アキラの姿を見て、女生徒は一際大きな声で笑う。


「びっくりしたでしょ」

「うん」


 これが炭酸水か。飲み口を見つめる。もう一口。果物の風味と刺激が面白い。


「朝練、またお願いするかも」

「私でよければ」

「やったー」


 そんなやり取りを交わし、もう少し休むという同輩より先に普通科棟へ向かう。早朝の運動のせいか、気が晴々としている。足取りも軽く、まだ半分ほど残っている炭酸水を飲もうとして向かいから歩いて来る少女に目を止めた。


 いつもと同じ、何か考え事をしているような表情の友人に向かって手を振る。


「リシア」


 迷宮科の女生徒がこちらに気付いた。相手もまた手を振り、とことこと小走りで寄って来る。


「おはよう、アキラ」

「おはよう」


 アキラの挨拶を受けて、少女は笑顔を作る。


「何か運動でも?」

「うん。庭球部の子と打ち合いしてた。今教室に行くとこ」

「えっ、庭球部なの?」

「いや、部活はしてない。練習相手」

「それも凄いね……」


 豊かな表情とともに動く目が、瓶を捉えた。


「鉱水?」


 掲げる。緑色の影が足元で踊った。


「うん。貰った」

「へー」

「飲む?」


 そう聞いた後に、少し考えて「飲み差しで悪いけど」と付け加える。リシアは目を輝かせながらも問い返した。


「いいの?」

「うん」


 少し小さな声で、感謝の言葉が告げられた。瓶を渡す。


 鉱水を飲んだリシアの顔が、きゅっと窄まる。


「わっ」

「大丈夫?」

「うん……久しぶりに飲んだ」


 美味しい、との一言にほっと息をついて、返された瓶を受け取る。残った鉱水を一気に呷った。


 互いの棟に向かう前に、リシアに尋ねる。


「昨日、課外だったって聞いた。大丈夫?」

「え?う、うん……ネズミに襲われたとこに行ったよ」


 そうして辿々しくも、リシアは迷宮科での課外講義やその後の行動について語ってくれた。環境のこと、前回ほどネズミはいなかったこと、子守のこと。


「子守?」


 思わず問い返してしまう。


「うん。あのハルピュイアの子が面倒を見てたよ。依頼みたい」

「そういう依頼もあるんだ」

「これっきりとは言ってたけどね」


 ふと、初めてハロと出会った日から今日までの日数を数える。ドレイクよりも治りが遅いとはいえ、もう既に怪我は癒えているのではないか。「これっきり」とはそういう意味もあるのだろう。


「……なんだか意外」

「そもそも受理なんてしないように思えるけどね。バサルトさんのほうが子供の扱いは得意そうだったし」

「バサルトさん?」


 問いかけて、すぐに思い当たる。回収屋のドレイクだ。


「たまたま、浮蓮亭にいらしてたの。もしかしたらお子さんがいるのかも」


 確かに、小さな子がいてもおかしくはない。子煩悩な父親になりそうな感じもする。しかし「冒険者」という第一印象が、どうも「父親」という一面と結び付かなかった。


「子持ちの冒険者って、多い?」


 アキラの質問に、リシアは一瞬きょとんとしたような表情を見せた。


「多いかはわからないけど……組合員同士で、ってこともあるみたいだし。その場合、子供は遠方に預けている人もいるみたい」

「へえ」

「流石に子連れで迷宮に行く人はいないだろうし」


 そうして不意に真面目な顔で、囁いた。


「でも、子供と離れて迷宮に行くってきっと……怖いし、寂しいだろうね。そうしなければならない理由もあるのなら、尚更」


 リシアの言葉に頷きつつ、内心アキラは違った感想を抱いた。


 子供を連れて行く場所ではない。だから、子供を置いて行く。そうまでして迷宮に行く冒険者が存在する。彼等の中にはきっと、「そうしなければならない理由なんて無い」者もいるのだろう。


 無論、そんな事を口に出したりはしない。


「だとすると、詮索は良くないね」


 リシアの結論もよくわからないまま、返事をする。


「あ、それと。この間小通路で助けてくれたセリアンスロープに会ったよ。それで、妙な質問をされて……まやかしだったのかなアレ」


 うん、と頷きかけて復唱する。


「まやかし」

「夜干舎について調べてるみたいで少し話をしたんだけど、思い返すと変な点ばかりで」

「それ、大丈夫なの」


 ずいと詰め寄る。不安げだった少女の表情が、より一層陰りを帯びた。慌てて言葉を続ける。


「放課後、その話詳しく聞かせて」


 そう告げると、リシアは小さく首を縦に振った。不安がらせてしまった。少し後悔しつつも、一先ず別れを告げて普通科棟へと戻る。少女の身を案じる気持ちに偽りはない。


 今日は家まで送ろう。そんなことを考えながら、昇降口へと向かった。

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